2013年9月1日説教「神様はどういうお方ですか」崔 宰鉉(チェ ジェヒョン)牧師
2013年9月1日説教「神様はどういうお方ですか」崔 宰鉉(チェ ジェヒョン)牧師
聖書:創世記1章25-31節
25 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。
31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
(説教要約 文責近藤)
【人の生きる主な目的は何か】
クリスチャンとして私たちが生涯を通して為すべき一つの事は何ですか。
それは神を知ることではないでしょうか。礼拝を通して聖書を読むこと、祈ることを通して神を悟る事では無いかと思いすが事は簡単なことではありません。目に見える人間の親についても十分に知り尽くすことが難しいわけですが、まして霊なる神様について暗闇にいる人間は知ることはなおさらです。
【盲人と象】
限りある人間が目に見えない神について知ることは非常に難しいことです。
目の見えない3人が象を触って言いました。はじめの人はこれは柱ですと鼻を触って言いました。次の人は、これは壁であると、その腹をさわって言いました。3人目の人は天井だと象の背中を触って言いました。
すべての人は神を知っていると思っておりますが人は本当は何も分かりません。私たちは神の御前に立つ時まで神のことを完全に知る事は出来ません。しかし人は礼拝で祈り、聖書を読む事によって聖霊の助けによって神様を完全ではないけれども知ることができるのであります。
【神様はどういうお方ですか】
今日そのひとつ神様はどういうお方ですかという趣旨のことを語りたいと思います。
【その1、創造主】
神様は創造主です。創世記1章1節に「始めに神は天と地とを創造された」と五つの単語で御自身を簡単に語っておられます。「初めに、神は、天と、地と、創造された」と単語を知っても、この世の人はだれもこの五つの意味を一生かかっても完全に知る事は出来ません。
【罪人は創造主を知りえない】
神について罪人である人間は完全に神を知る事は出来ません。
この世に降られたイエス・キリストは肉体をとって人となり、罪びとの贖いとなられましたが、それでも神の御心を知るために謙って熱心に祈られました。イエス様でさえこのように祈られたわけです。まして罪のある人間は神様の御心を計り知る事はできません。また天と地の大きさを測る人はありません。200億光年離れた星を最新の観測機器では観測できますが、これは全体ではなく天と地のほんの一部です。
【愚か者は創造の秘密を知らない】
最後に創造の秘密を知る人はこの世にいるでしょうか。人は自分の体を自由に動かせますが、髪の毛一本も人は支配できません。私も白髪が生えたきました。しかし自分で白髪が生えるのを止めることも出来ません。医学が進歩しても人は自分の骨をまた自分の血液を作る事は出来ません。創造の秘密を知らないからです。創世記1章1節は人間の知恵では神の天地創造の秘密を知りえない領域を語ります。これは純粋に信仰の領域であると、このことを信じられない人は、偶然の存在として宇宙や人間の存在を見ていますが、そして自分の好きなように行動しますが、それは愚かなことです。
韓国のある医者の話ですが自分の健康に自信を持っていましたが、ある時検診でガンとわかりました。同僚の医者は手術をしましたが、ガン細胞はすでに全身に広がっており、どうしようもありません。彼は数週間後に亡くなりました。
人間は自分が自分の主人になるにはあまりにも小さな存在です。私たちは神が創造主である事を知り、聖書は被造物に対する使用説明書だと言うことが分からなければなりません。
この世の物はそれを造った会社があります。例えばここにマイクがありますが、マイクを作った会社の使用説明書によって、このマイクを正しく扱うことができます。だれもその使用説明書を疑う人はいません。
神が創造主であると信じる人は、使用説明書である聖書を疑わないで従うと高価な自分の命を正しく育てることができます。
聖書と言う使用説明書を通して人は人間の命を作られた神様と神の目的を知り、そしてその説明書である聖書を通して高価な自分の命を正しく育てることができるのであります。
【その2、神は男と女を創造された】
二番目は神様は父性と母性を持っておられるということです。創世記1章27節をいっしょに読みましょう。
創世記1章27「 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」。
多くの人には神さまは男性のように思われますが、それは全てではありません。ここ創世記1章で神は男と女を創造されたのです。神は確かに父性の特性を備えておられます。神はその大きな父性を現されました。
それは出エジプト記では紅海を開いて、イスラエル民族を渡らせました。
また18万5,000人のアッシリアのセナケリブの軍隊を滅ぼされました。神様は父性の強さを表しますが、母親の繊細さや柔らかさが足りません。真の強さは両性を兼ね備えていると思います。
【母親の愛】
子供が高熱を出すとき母親は看病ができますが、そして母親は子供の泣く意味も分もわかりますが、父親はなぜ泣いているかその意味がわかりません。母親の愛は父にないものです。私たちの神は父性とともに母性を備えておられる事実はわたしたちに大きな慰めになります。
詩編121篇の3節、4節を見てください。
「3 どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。4 見よ、イスラエルを見守る方は/まどろむことなく、眠ることもない」。
もう一つイザヤ書49章15節を読んでください。
イザヤ書49章15 「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない」。
この御言葉は神の母性の証拠であります。私たちの神様は母性を備えた方であるということは私たちに大きな慰めになりますね。
【イ・ジェチョル先生の思い出】
韓国の有名な牧師イ・ジェチョル先生は私が尊敬する牧師ですが、朝鮮戦争の直後、母親の愛について証しております。彼が5歳の時、兄は軍隊で軍人でした。そしてその兄を見舞いに行った時のことです。行は軍用車で行きましたが帰りは汽車で帰らなければなりませんでした。それは寒く-20度の気温でした。汽車は古く、吹きさらしの列車でありました。1番辛かったのは寒さで足が凍り付いたことです。私は冷たさに泣きました。母は私に自分の靴下を脱いで履かせました。そして私は暖かくなりましたが、ソウル駅に着いた時、母親を見るとその足は青く凍傷になっていました。イ・ジェチョル牧師と一緒にいたのが母でなく父親だったら「男なら我慢しろ」というでしょう。私は7年間海兵隊で働きましたので、私なら「立て、走ってみろ、温まるから」と言ったでしょう。しかし母親は自分の命のことを顧みません。
神はこのような母性を備えておられ、人間に永遠の命を与えるために御子を犠牲にしてくださった。このように嵐の世を生きるときに私たちの生きる力の源になって下さったのは神の母性のお蔭です。
母性は神の最高のプレゼントで、それは優しくあたたかく、繊細な愛であります。
神は父性と母性で私たちを愛し守り祝福してくださいます。神がともにおられれば私たちは幸せになれない事はありません。
【その3、神様は祝福されるお方】
神様はどのようなお方ですか。その三番目は神様は祝福されるお方であるということです。
創世記1章27~28節を読みましょう。
創世記1章
27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
また5章1節~2節を読みましょう
世記5章
1 これはアダムの系図の書である。神は人を創造された日、神に似せてこれを造られ、2、 男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた。
何事も肝心なのは始めが大切だということです。それは後に続くことを規制します。
神は人を創造して初めにされた事はなんでしょうか。それはすぐに作られた人を祝福されたことです。ところで神の祝福とはなんでしょうか。
神様の祝福とは一言でいうと、被造物に対するアフターサービスであります。高価な物にはちゃんとしたアフターサービスがあるのでその製品は確かであります。アフターサービスのない製品には信頼がありません。人間は神のアフターサービスがなければ人間らしくなれません、凶器になりかわります。
創世記5章2節
「男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた」。
ここで注意すべきは人は神のご利益のみを求めてはなりません。神でなく祝福のみを求めるのは偶像礼拝者であります。偶像は人の心を破壊する凶器であります。神は御自身の栄光のために人を創造されました。私たちの求むべきは祝福の源である神様です。
今日神様について三つのことを知りましたが、これは神様の一部にしか過ぎません。
神様を知るのは知らない人に神を知る助けとなるためです。
その為に神様を詳しく知る必要があります。私ももっともっと神様について学び神を知らない人に神様をわかりやすく伝えたいと思います。そして御前に美しいクリスチャンでありたいのです。(おわり)
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