2013.6.23.説教「御国の主に仕えて生きる」後藤公子元大会派遣インドネシア宣教師

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2013.6.23.説教「御国の主に仕えて生きる」後藤公子元大会派遣インドネシア宣教師

 

聖書:マタイによる福音書25「タラントンのたとえ」

14 「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。15 それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、16 五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。

 

17 同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。

18 しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。

19 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。20 まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』21 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』

22 次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』23 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』

 

24 ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、

25 恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』26 主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。27 それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。28 さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。29 だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。30 この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」

 

 

説教要約(文責 近藤)

 

【終末時代を生きるクリスチャンの生き方】

主イエス様がこの世に生まれられてから再臨までを終末時代と言うが、終末を生きるクリスチャンの生き方について今日の御言葉から聞きましょう。

 

主から託されたキリスト者の地上の使命とは何でしょうか。

会社や官庁に働く者には定年がありますが、クリスチャンには定年はありません。そればかりか天に召されて(死んで)も天国での使命が与えられています。

 

地上で小さいことに忠実な者は天国にあっても大きなものを託された者です。

地上における人の一生の歩みは神様のテストでもあります。

 

【タラントンのたとえ】

主人が総額8タラントンの金を3人の僕に託して旅に出ました。

1タラントンの重さは今日の単位では34キログラムでお金に換算すると600デナリオンに相当します。マタイ20章にあるブドウ園の話から分かりますが当時一日の労働者の賃金は1デナリオンでした。年に300日働くとすると1タラントンは20年分の賃金です。1タラントンは生活費を支払っても莫大な金額が残ります。

 

主人が旅に出る留守の間に財産の一部を僕たちに預けたのは、僕たちがそれを運用し利益を上げ資産を増やすことを期待した主人の願がありました。僕に対して厚い信頼があったことが分かります。

 

5タラントン、2タラントン、1タラントンとそれぞれの能力に応じて僕たちに異なった金額を託しました。当時にも銀行はありましたが、主人はそこに預けることを望まず僕たちが仕えて働くことを望みました。

 

「少しのものに忠実だったから多くを任せよう」と言うほど主人は大金持ちでした。主人は僕を使って金儲けをすると言うよりはタラントンを預けたことは主人に対する忠実度を測るテストでした。

 

【早速出て行き】

僕は主人の意図を分かっていました。当時、旅に出ると言うことは、すぐには帰らないと分かっていました。忠実な僕は主人が旅に出るとすぐに働きました。迷いもなく僕として為すべきことをいつものように継続しました。あたかも主人が見ているように、主人がいつ帰ってきても良いように、義務感でなく喜んで働きました。主人の信頼に応えたいと。

 

【主を愛する忠実な者】

5タラントン預かった僕も2タラントン預かった僕も、その利益は主人のものと分かっていましたが一生懸命働いたと言うことは僕が主人を愛していたからです。

 

20 まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』21 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』

 

22 次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』

 

しかし1タラントン預かった僕は主人の気持ちを理解しませんでした。

 

5タラントンと2タラントンを預けられた僕に対し、21節、23節に書かれているように「主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』」と同じ言葉でこの二人を誉めました。

 

【1タラントンを預かった不忠実な僕】

しかし1タラントンを預かった僕は24節、「24 ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、25 恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』」

 

5タラントンと2タラントンを任された僕は運用するために預けられたという意識を明確に持っていましたが、1タラントンを任された僕は運用するために任されたと言う意識がなく、その使命を果たすことなく主人の期待を裏切った。主人の信頼に応えませんでした。それで彼は悪い怠惰な僕、怠け者と言われました。

 

何も悪いことをしたのではないが怠惰な悪い僕と言われた。

 

【能力の差と忠実さ】

2人の僕が主人から託された使命を果たしたので主人はこの2人を褒めた。ここで考えるべき事は5タラントンを預けられたの者と1タラント預けられたものだけでよかったと思いますが、2タラントンを預かった第2の僕も5タラントンを預かった僕と同じようにそのタラントンを活用した。

 

ただ5タラントンと2タラントンの能力の差があったが忠実さにおいて問題はなく主人の目には2人の評価は同じでした。活用する能力の差があったが忠実さに於いて差はないのです。このことを主は2タラントンを預けた僕の例から言はれたのではと思います。

 

【すべては主からの賜物】

タラントンという言葉はタレントという言葉の語源です。一般に特別な才能を示しています。しかしもっと大きな意味があると思います。

 

使徒パウロは言います、「いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか(コリントの信徒への手紙一 4:7)」。

 

私たちの命、からだ、家族、教育すべては何もかも主からの賜物ですから、自分のものと言えるのは何もありません。

財産、時間すべてを主のために忠実に管理するのが僕の勤めです。

 

【主人に対する畏敬の念】

忠実な僕と不忠実な僕、その差は主人に対する畏敬の念の差であります。

 

24節以下「ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、25 恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』26 主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。27 それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。

 

28 さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。29 だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。30 この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」

 

1タラントンを預かった僕は主人のために働きたくなかったし、畏敬の念もなかった。

 

【わたしたちの主人】

主人とは私たちの救い主イエス・キリストです。主イエスは僕としてこの世に来て下さり十字架の上で私たちの為に自らを捧げられ、私たちを救って下さったお方です。

 

パウロはコリントの信徒への手紙二 515 節で「その一人の方(キリスト)はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです」。

 

主イエスは全ての人のために死んでくださった。私たちクリスチャンは私たちを救うために死んで復活された主イエス・キリストによって生かされているのであります。自分のために生きるのではなく主と御国のために今ここで生かされております。今与えられているものは一時的に主から預けられているものです。主は私たちを僕として主の為に忠実に働くよう召して下さいました。

 

【主のための労苦は決して無駄にならない】

一般のビジネスの世界でも人びとは一生懸命働きますが、必ずしも利益を生むとは限りません。しかし神の御国のために働くなら私たちの働きは豊かに報われます。「私たちの苦労は決して無駄になることはありません」と聖書は約束しています。

 

使徒パウロも言います、「私の愛する兄弟たち、こういうわけですから動かされないようにしっかり立ち主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならない事をあなた方は知っているはずです(コリントの信徒への手紙一 15:58

 

主の御国は確実に進展しています。御国の主であられる主イエス・キリストに与えられたタラントンを用いて忠実に仕えましょう。(おわり)

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2013年06月23日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 新約聖書

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