2013.5.26.説教「始められたことを成し遂げられる神」ウイリアム・モーア宣教師

2013.5.26.説教「始められたことを成し遂げられる神」ウイリアム・モーア宣教師

聖書:新約聖書フィリピの信徒への手紙1

3 わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、

4 あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。

5 それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。

6 あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。

 

説教要約(文責近藤)

 

【夢に見る完璧な教会】

皆さん、完璧なキリスト教会について考えてみましょう。

私が夢の幻にみる完璧な教会は、人々は一つになって、教会の益を求め、神の栄光の為に励みます。良いことばかりを励み、相手を自分より偉いと心から尊び、教会員は悪口を言わず、相手について言うことは良いことばかりです。

 

讃美歌を唄うと天使の歌声のようです。更にこの完璧な教会の牧師の姿を見ると、彼の説教は毎週、信者のニーズを満たし、聞く者は信仰がますます豊かになって成長します。完璧な教会の牧師の説教はいつも面白くて聞く者の注意を集めます。

牧師は魅力的性格と溢れる信仰をもって会員をいつも喜ばせます。

 

実は私は夢の幻にこのような完璧な教会を見ると目が覚めてしまいます。なぜなら私がこの群れの牧師になったらこの教会の完璧さが壊されてしまうことが分かるからです。

 

冗談に誰かがこういいました、もし完璧な教会を発見したらその教会に属してはいけません。なぜなら自分がその教会に入ると、その完璧さを壊してしまうからです。

 

【この世には完璧な教会はない】

実はこの世には完璧な教会は存在しません。使徒パウロは言いました『「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です(テモテへの手紙一 1:15)』

 

ここでいう罪人とは、一般に言う犯罪人のことでなく、聖書のいう罪人とはこの世の定義と異なります。はじめ神と人は平和で互いに愛し合いました。しかし人は神のもとの自由を悪用し自分の目に正しいと思うことをして自己中心的になりました。自己中心的な行為と態度を聖書は罪といい、全ての人は罪人です。

 

【教会は罪人の病院】

それ故、教会は完璧な人の集まりではなく罪人の病院です。教会で罪という病気は癒されるのです。

 

主イエスは言われた「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである(ルカによる福音書5:31)」。

 

完璧でない私たちは教会で神の救いと赦し受け、「私に従いなさい」と主イエスが教えて下さった生き方に従うのです。

 

【初代教会も罪人の集まりであった】

皆さんは新約聖書の初代教会は今日の教会より優れたものとして憧れます。皆が主の証を立てました。しかし実を言うと今日の教会と変わらず罪人の集まりで、自己中心的であり愛に欠けました。しかし罪の赦しと主が教えて下さった生き方により癒されました。

 

【フィリピで始められた教会】

今日の聖書はフィリピの教会に送られたパウロの手紙の一節です。パウロと他の二人の弟子がAD50年ころフィリピに来て伝道しました。使徒言行録16章を見てください。

 

使徒言行録16

12 そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。13 安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。

14 ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。

15 そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。

 

フィリピのリディアという婦人が洗礼を受け、このリディアの家で集会が始められたのです。迫害のなかにも奇跡的に神に守られ教会は成長したのでパウロは他の地に伝道に行きました。その後10年間に二度ばかりフィリピ教会をパウロは尋ね信者を励ましました。またフィリピの教会はパウロの為にも捧げ祈りました。

 

パウロは伝道の結果多くの教会を建てあげましたが、パウロは迫害されローマに連れていかれました。フィリピの信者がパウロのもとに献金をもって行きました。

 

【フィリピ教会も完全でなかった】

しかしフィリピの教会は完全ではありませんでした。それでパウロはこのように書き送りました。

 

フィリピの信徒への手紙2

2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。

 

これは完璧な教会に書き送ったものではありません。教会の中に争いがあり、自己中心的な罪が教会の中にありました。パウロは又こう書き送りました。

 

フィリピの信徒への手紙3

18 何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。19 彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。

 

フィリピ教会も罪人の集まりでした。又パウロは書きました。

 

フィリピの信徒への手紙4

2 わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。3 なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。

 

二人の熱心な信者エボディアとシンティケが大喧嘩になりました。パウロの願いは二人の和解でした。そしてフィリピ教会の将来に確信してこう書きました。

 

それが今日の聖書の箇所です。

フィリピの信徒への手紙1

3 わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、

4 あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。

5 それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。

6 あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。

 

【パウロの確信】

神が成し遂げられた教会は罪人の集まりであってもパウロは確信しました。

「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」。

 

【始められたことを成し遂げてくださる神】

その大きな信仰と希望は何処から来たのでしょうか。それは6節に記されています。

6 あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」。

 

【主がフィリピで、西谷で始められた良き業】

神がフィリピで良き業を始められました。川岸でパウロがリディアに出会い彼女に神が信仰を豊かに授けられました。自分ではなくパウロは神こそがフィリピで伝道を始められたと確信しました。忠実である私たちの神は御自身が始められたことを成し遂げて下さるのは理の当然とパウロは信じました。私たちの主は始められたことを成し遂げてくださる全能の神だからです。始められた時からイエス・キリストの再臨の日まで神はずっと働き良い結果を保障してくださいます。

 

愛する兄弟姉妹、この神の保証はこの西谷教会にも当てはまります。小さな群れでありながら愛する神は西谷教会を成長させ16年近くにわたり忠実に守って導いて下さいました。

 

これから主の再臨の日まで主イエスが始められたことを成し遂げられ成長させてくださると私は確信しています。(おわり)

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2013年05月26日 | カテゴリー: フィリピの信徒への手紙 , 新約聖書

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