2013.5.19.ペンテコステ礼拝説教「体も希望のうちに生きる」赤石純也牧師
新約聖書 使徒言行録2章(ペトロの説教)
14 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。16 そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。17 『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。18 わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。19 上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。20 主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。21 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』
22 イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。23 このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。
24 しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。
25 ダビデは、イエスについてこう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、/わたしは決して動揺しない。26 だから、わたしの心は楽しみ、/舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。
27 あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、/あなたの聖なる者を/朽ち果てるままにしておかれない。
28 あなたは、命に至る道をわたしに示し、/御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』
説教要約(文責 近藤)
今日の聖句の前にルカによる福音書23章44~45節を開いてください。
ルカによる福音書23章44
既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。45 太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。
【太陽は光を失い全地が暗くなった】
主イエスの十字架の死により全地は太陽が光を失い暗くなったと書かれてあります。
またルカによる福音書は24章27 を見ますと復活された主は聖書全体を説明してこの書は御自分について書かれていることを言われたのです。
27節『そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された』。
【聖霊降臨と教会最初の説教】
そして今日の聖書の箇所に移ります。使徒言行録2章14~28節(前掲)。
14節『すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた』。
これは五旬祭の日になされた史上最初の説教です。主イエスの復活から50日目のことです。
使徒言行録の初めのところ第1章を開いてください。
【 約束の聖霊】
3節 『イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された』。
その後に今日のペンテコステの出来事が預言されています。
使徒言行録1章8『 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。』
ここには聖霊が降ると、あなたがたは力を受けると書かれています。
使徒言行録1章1 節を見ますと『テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました』とあります。
第一巻とはルカ福音書です。使徒言行録はその第2巻になります。
【聖霊が降る】
第一巻のルカ福音書の最後には主イエスが復活されて四十日にわたって弟子たちに現れ、神の国について話された後昇天されたことが記されています。さらに10日後の五旬祭の日に、今日の箇所の前ですが、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまったと書かれています。そうすると弟子たちは自分たちの国の言葉で語りだしたのです。聞く者には自分たちの国語で語られる言葉には力がありました。
使徒言行録2章
「1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。
聖霊が主の復活50日目五旬祭(ペンテコステ)の日に正に降ったのです。そしてペテロがした説教は教会最初の説教です。ペテロは次のように話し出しました。
【ペテロの説教】使徒言行録2章
『14 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。16 そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。』
これこそ預言者ヨエルの預言の成就ですとペテロは語ります。
17 節以下『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。18 わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。19 上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。20 主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。21 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』
【聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける】
『あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける』と言うことが起こると言われるのです。
預言するとは真の神様のことをを語ることができるということです。
『炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった』とき弟子たちは力を受けたのです。聖霊は力です。
17後半『するとあなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る』
若者は幻を見るとはヴィジョンを与えられること、これは力です。
老人は夢を見るとは希望を持つことが出来る。これも力です。こういう世界が開ける。
【全ての人に力が与えられると言うヨエルの預言】
18節『 わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する』
主のの霊を持った人でなくても全ての人に力が与えられるのです。
子どもたちも神さまについて語るという力が与えられると書かれています。それが21節の終わりに書いてあります。これは救われると言うことです。21『 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』
しかしその前に、主が十字架に架けられた日に太陽が暗くなったと書かれています。
20節『 主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、』太陽が主の十字架の場面で歴史上の事実として暗くなったと預言の成就が書かれています。
21節『主の名を呼び求める者は皆、救われる』とは救いの輝かしい日がきて一人一人に力が与えられる日が来た。これは預言者ヨエルによって与えられた預言の成就だといわれます。これが今日覚えるべき一つ目の事柄です。
【ダビデの預言】
もう一つの事柄とは25節以下を見てください、旧約聖書のダビデの預言が言われます。
『25 ダビデは、イエスについてこう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、/わたしは決して動揺しない。26 だから、わたしの心は楽しみ、/舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。
27 あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、/あなたの聖なる者を/朽ち果てるままにしておかれない。28 あなたは、命に至る道をわたしに示し、/御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』
【ペテロの証】
預言者の言葉をペテロは自分の言葉のように語っています。
説教で聖書の言葉が自分の身の上に起ったことだとペテロは自身の言葉として語ります。
かってペテロは第一部の人生では希望を失い、命に至る道を見失い、どんなに涙を流したことか。そのペテロが変えられたのです。目の前に主を見て、いつも主を信じて生きる生き方へと変えられたのです。その力が今日与えられた。またこの力は誰にでも与えられているという勧めです。
25節『主がわたしの右におられるので、/わたしは決して動揺しない』
26節『 だから、わたしの心は楽しみ、/舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう』。
25節では、ペテロは神を信じて生きる者となって、主がいつもともにおられるので決して動揺しないものになった。それは全ての人にも与えられている生まれ変わらせる力です。
【人生の第一部と第二部】
まとめてみましょう。人生の第一部で仮にあなたが試練にあい動揺ばかりして希望を失っても、たとい道を失ったとしても、涙が止まらなかったとしても今日からは生きるヴィジョンを持った人生の第二部を生きることが出来る。そういう力が誰にでも与えられるのです。
ペテロの第一部を紹介します。「なぜ聖書が分からないのか」と主イエスから何度も言われたペテロです。それなのにやけに自分に自信を持っていて他の弟子の誰もが主に従わなくて死んでも私は主に従いますと。この彼の虚栄が崩れてしまって涙にくれるペテロでした。
私たちも自分を鼓舞し頑張るのです。しかし辛い試練が起ります。たとえば病、家族の病、に襲われ歯を食いしばって生きた人生の第一部を持っています。
【教会から始まる第二部の人生】
しかし今日、人生の第二部を始めることが出来ます。一同が教会に集まっていた時に第二部のドラマが始まったのです。これは私たちにも起こります。教会で神様が新しい人生の第二部を与えられる。それは教会で聖書の解き明かしを聞くときです。第一部では辛すぎました。病や職場の戦い、人生いろんな問題でへとへとです。辛すぎる人生です。生きる喜びも無くなっている。しかしこれは神様の御心ではありません。どうか教会で人生の第二部を備えてください。
それが今日です。今日に限らず毎週の礼拝に集うとき聖霊の稲妻が降るのです。
毎日ヘトヘトの生活している中でこういうヴィジョンが見えないです。
悩み、悲しみ、虚しく生きるのは主の御旨ではありません。
どんな人生の重荷があっても感謝して今日生きることを神様は願っておられます。
教会に行くことをやめ、自分で歯を食いしばって生きて年老いた時に希望があるでしょうか。
死んで無の世界に入るかと心に動揺を覚えても当然ですが、神様はこんな人生の第一部をもって不安のまま死んでいくことを望まれません。
第二部の人生を今日から始めること、今週もそして来週も、毎週ごとに与えられる確かな希望を持って生きることを神様は待っておられます。
第二部の人生が教会で、礼拝で与えられる。そしてたとい現実の状況は変わらなくても第二部の人生を生きることが出来るのです。
教会こそ確かなヴィジョン、希望をもって生きる力が与えられるところです、教会以外にこの力は与えられません。この真理は教会以外のほかのどこでも与えられません。
人生の第二部を生きる力を教会で、礼拝で、説教で、神の言葉から受けてください(おわり)。
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