2013.4.21.説教「塩と光」ウイリアム・モーア宣教師
2013.4.21.説教「塩と光」ウイリアム・モーア宣教師
新約聖書 マタイによる福音書5章
13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。
16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
説教要約(文責 近藤)
【私が悪いのはあなたのせいよ】
漫画ピーナッツの主人公チャーリー・ブラウンは友人のペパーミント・パティ―から言われた、「チャーリー、新学期の初めの日だと言うのに、あなたの為に校長に呼ばれたよ」。チャーリーは「私の為?学校も違うのにどうして私にために呼ばれるの」。ペパーミントは答えた「チャーリー、私たちは昔からの友人なのに、あなたから悪い影響ばかり受けているからよ」。
【相手が見る目は】
もう一つのストリー
ある牧師が犬小屋を作る作業をある坊やがじっと見ていました。牧師は坊やに「犬小屋の作り方を教えてあげようか」と言いました。すると坊やは答えた「僕には犬がいないので犬小屋は必要ないよ。ただ先生が自分の親指を金づちで叩いたときどんな言葉が出るかと待っているだけです」と。
【私たちの言動は】
私たちの周りの人たちは私たちを見ています。私たちは周りの人たちにどのような影響を与えているでしょうか。
主イエスは言われた、「あなた方は地の塩、あなた方は世の光です」。これは山上の説教の一部です。
主は私たちが世に及ぼす影響力を塩と光をシンボルとして力強く教えて下さいました。
キリスト者の行いは周りの者が見ています。
【地の塩】
主は何故塩をシンボルに用いられたでしょうか。
今日では塩は安く手に入りますが、イエス様の時代は塩は大変高価で金より値打ちがあったのです。ローマの兵隊たちは彼らの給料を塩で受け取りました。給料のサラリー【英語salary】の語源は塩のラテン語salariumから来たと言われます。
【塩の役割】
主は塩の3つの役割を用いて教えられました。
第一に、塩は健康に必須です。汗をかけば塩分を失うので、塩で補わねばなりません。地とは周りの人々のことです。私たちは周りの人々にどの様にして健康を与えられますか。
主はこの世にいる間、多くの人びとを憐れんでかれらの肉体的病を癒されました。町をでて主イエスのもとに多くの人びとが集まりました。ですから教会とキリスト者は医療に携わることを大事な使命とします。医療を通して神の愛を伝えることは大事なことです。
【シュヴァイツァ】
ノーベル平和賞を受けたアルバート・シュヴァイツァは長くアフリカで医療宣教に携わりました。一人の患者さんの命を助けた時、その患者さんはシュヴァイツァに聞きました「あなたはなぜこんなジャングルの奥に来ましたか」。彼は答えた「主イエスがここに送られたからです」。
【霊的健康】
癒しは肉体的なものに限らず霊的な癒しが必要です。キリスト者は周りの人に霊的健康を伝えることは大切です。
私たちはキリストの贖い死のお蔭で神との和解を受け、この世の歩みが終っても永遠に生きることが出来ます。
この恵みを周りの者に分かち合う特権が与えられています。霊的健康に至る道はこの道だけですからキリスト者は自分の毎日の生活と言葉によって神の愛と救いを現わす喜びがあります。
【霊的腐敗】
次に塩にはものを腐らないようにする保存力があります。
主の時代冷蔵庫などありません。魚を塩漬けにすると腐りません。他の食べ物も冬の期間など長期に保存するには塩が必要でした。地の塩とされた私たちは社会の腐敗不正を防ぐ責任があり、周りの者に恵みと祝福をもたらす模範的生き方を示さねばなりません。
【霊的幸い】
山上の説教には8つの幸いの教えがあります。
「1 心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
2 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。
3 柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
4 義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。
5 憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。
6 心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。
7 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。
8 義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。(マタイによる福音書5章3~12節)}
私たちは幸いな人の模範を示すことで地の塩の役割をもって世の腐敗を防ぎます。
【霊的味付け】
3番目は塩は良い味付けをします。
甘いケーキにもごく少量の塩は必要です。
隣人を引き立たせる役割をキリスト者は持っています。塩のない食べ物はおいしくありません。
神の恵みによってキリスト者はおいしい生活を周りの者に顕すことが出来ます。
私たちは誠に幸いです。主は私たちと共に居てくださいますので私たちの生活は楽しくエキサイティングで味があります。
13節後半「・・塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」
【世の光】
最後の14節「あなた方は世の光である」
光は無くてはならないものです。この世の生命は光がないと生きられません。
主イエスの光を受けて周りの者に反映します。キリストのないところ光はありません。
私たちは主の光を人々に反映します。私たちは人々を主に導く光になります。
16節「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」
主から戴いた光を周りの者に輝かし、周りの人々が神を崇めようになります。
私たちが光を受けたのは信者の誉れの為でなく神の栄光と隣人の益の為であります。
私たちが地の塩、世の光であることを再確認して神の助けを祈りましょう。(おわり)
2013年04月21日 | カテゴリー: マタイによる福音書
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