2013.3.31.説教「復活の喜び」ウイリアム・モーア宣教師

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2013.3.31.説教「復活の喜び」ウイリアム・モーア宣教師

 

ルカによる福音書24章エマオで現れる

13 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、14 この一切の出来事について話し合っていた。15 話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。16 しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。17 イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。

18 その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」19 イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。20 それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。21 わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。22 ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、23 遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。

24 仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」25 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、26 メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」27 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。28 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。29 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。30 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。31 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。32 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。33 そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、34 本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。35 二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

 

説教要約(文責 近藤)

今日はイースターです。世界中で主イエス様の復活を祝い墓から主イエスを挙げられた神を賛美します。

 

【ユダの裏切りとイエスの逮捕】

今朝は主の十字架と復活の意味について考えましょう。

 

主イエス様の十字架は弟子たちにとって悪夢のような1週間でした。それは幻想ではありませんでした。全くの事実でした。

 

それはエルサレムに近いオリーブ山で始まりました。主は来たるべきご自身の御苦難について語られましたが弟子たちにはその意味が分かりませんでした。弟子たちにはこれから起こることも分かりませんでした。

 

その夜、突然、祭司長たちから差し向けられた群衆は刀と棒をもって主を捕えにやってきました。ユダは自分が接吻をもって挨拶するものがイエスだと前もって合図していました。ユダは主に近づき「先生、いかがですか」と言って接吻したので、主は言われた、「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」と(ルカ22:48 )」。

 

主を守るため弟子の一人が大祭司の手下に打ちかかって、その右の耳を切り落とした。

そこでイエスは、「やめなさい。もうそれでよい」と言い、その耳に触れていやされた(ルカ22:51)

 

【ユダヤ議会の裁判】

オリーブ山で捕えられたイエスはすぐに最高法院で裁判にかけられました。

 

マタイ26

人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った。

大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」

イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る。」

そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。 どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。

 

【ピラトの裁判】

それから総督ピラトの所に連れて行かれピラトの裁判を受けます。ユダヤ人には人を殺す権限がなかったからです。

 

ピラトはイエスに何の罪も認めずイエスを赦そうとしましたが、ユダヤ人はイエスを「十字架につけろ。十字架につけろ」とピラトに激しく訴え、その声が勝ち、ピラトは負けました。

 

弟子たちの前で主イエスは刑場に十字架を背負って歩かれました。二人の犯罪人とともに十字架に架けられました。十字架の上で主は「父よ彼らを赦したまえ。彼らは自分が何をしているか分からないのです」と執成されました。

 

何時間も苦しまれたあと最後に主は「父よ、わが霊をあなたに委ねます」と言われて息を引き取られました。

 

主イエスを尊敬していたアリマタヤのヨセフという人がピラトのもとに出向きイエスの遺体引き取りを願いました。そして自分の為に用意していた新しい墓に主の体を収めました。

 

イエスの敵は勝ったと思われました。ユダヤの指導者たちにはもう何も心配はないと思いました。イエスは死んだのだ。イエスに従うものなどいない。イエスは人々から間もなく忘れ去られるだろう。

 

【弟子たちの失望と心配】

その時の弟子たちの気持ちはどんなだったでしょう。全てをかけていた彼らの主は残酷な方法で処刑され彼らの生き甲斐も希望は全てなくなりました。

 

主の愛を体験した弟子たちはこれからどうすればよいのでしょう。

神から来られたのなら何故神は御子を死なせたのか。彼らには主の死は意味のない悲劇と思いました。

弟子たちは主のことの他に、自分たちの身の安全を心配せねばなりませんでした。

 

弟子として知られていたペテロは三度、主イエスを知らないと、自分が主の弟子であることを否定しました。

 

弟子たちはこの悪夢を忘れるために故郷に帰り以前の仕事に戻ることが賢明と考えたでしょう。

 

イエスは失敗した。主は「神の国は近づいた」と語られたがその話はどうなったのか。

 

【なぜ生きている方を死人の中にさがすのか】

墓から帰った弟子の婦人たちの言葉に驚かされました。墓に行くと天使が「なぜ生きた方を死人の中に探すのか」と言ったことを弟子たちに伝えました。

 

弟子たちは婦人たちが言ったことが信じられず婦人たちに言いました。あなた方は幻を見たのです。主は死んだ。死んだ者は生き返らない」。

 

【エマオ途上で】

もう一つの話は、その日二人の弟子がエマオという村に行こうと歩いていた時、主が彼らに近づかれたが、主だと分からなかった。主は二人が歩きながら話していたことを尋ねられた。

 

ルカによる福音書24

17 イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。18 その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」

19 イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。

20 それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。21 わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。

22 ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、23 遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。

 

24 仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」

25 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、26 メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」27 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。

 

やっと弟子たちは主の死の意味を悟りました。

 

28 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。

29 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。

30 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。

31 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。

 

【主イエスの復活】

言うまでもなく二人の弟子は主に出会ったので歓びました。主は死んだが今は生きておられる。主イエスの十字架は勝利になりました。

 

早速二人の弟子はエルサレムに帰り他の弟子たちにこのことを話しました。

他の弟子たちも復活された主イエスはシモンに現れたと告げました。

 

愛する兄弟姉妹。私たちは主の弟子たちの喜びが想像できます。3日前、死なれた主は今は生きておられます。神様の力によって死の力は打ち破られました。罪人の勝利でなく、神の勝利になりました。

 

そして弟子たちはすっかり変わりました。弟子たちは自分の目で主の復活を見たのです。

 

そして命じられたように福音を世界の果てにまで伝えたのです。

 

この2000年前の出来事が今の私たちとどう関係があるのでしょうか。

 

主イエスの復活は世界で一番大切な歴史です。

 

なぜなら復活を通してイエス様は神の子であることを証明されました。

 

イエス様が復活されなかったら、主の十字架は正しい人が無実の罪に陥れられたというただの悲劇に終わります。実際ローマ帝国は多くの人を残酷な十字架刑で殺しました。

 

 

【今も生きておられる主イエス】

では1980年後でも主の死と復活の目的と意味は何でしょうか?

 

主の死は私たちが神に赦され、私たちの受ける罰の身代りでした。御子の死によって人は神と和解され神との正しい関係が回復されています。

 

エマオ途上の主は二人の弟子に御自身の死と復活の意味を悟らされました。この二人の弟子と同じく私たちはイエスの死を今理解できます。

 

主の贖い死により私たちは救われます。イエスの死と復活は今も喜ばしい出来事です。

 

主の復活の意味はまだあります。

 

主は今も生きておられ天に昇られた主はそこから聖霊を遣わしておられます。

主は「2,3人わが名によって集まるところ我もそこにいる」と言われた。

 

又同じように「私は世の終わりまでいつもあなた方とともに居る」とも言われました。

 

【永遠の命への復活の希望が】

最後に伝えたいこと、それは復活の希望はこの世に限らず、私たちには永遠の命への復活の希望が与えられています。

 

「イエスは言われた。『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる』(ヨハネによる福音書 11:25)」。

 

主イエスの復活により死は征服されたので、神は死の上の勝利を得て下さいました。

永遠の命の希望をもって死後を恐れず期待できます。

 

【父のこと】

私は先々週、末期肺がんの父の病気見舞いにアメリカに帰りましたが、父には平安があり認知症の母のことを心配して色々介護のことや母の兄弟のことを気遣って話し合いました。

 

父の平安は復活の実であり、父の姿に励まされます。

 

愛する兄弟姉妹。主イエスは蘇られました。イースターの際、皆さまに平安と希望を豊かに経験できますようにお祈りいたします。(おわり)

2013年03月31日 | カテゴリー: ルカによる福音書

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