2013年1月13日、説教「知恵の初め」ウイリアム・モーア宣教師
2013年1月13日、説教「知恵の初め」ウイリアム・モーア宣教師
旧約聖書箴言1章1 イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
2 これは知恵と諭しをわきまえ/分別ある言葉を理解するため
3 諭しを受け入れて/正義と裁きと公平に目覚めるため。
4 未熟な者に熟慮を教え/若者に知識と慎重さを与えるため。
5 これに聞き従えば、賢人もなお説得力を加え/聡明な人も指導力を増すであろう。
6 また、格言、寓話/賢人らの言葉と謎を理解するため。
7 主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。
説教要約(文責 近藤)
【あなたは何を願いますか】
始めに皆さんに質問があります。
ある日、神様が現れてあなたの一つの願を聞いてあげようと言われたら神様から何を戴きたいですか?
人によって答えは違うでしょう。飢えた人なら食べ物を、病気に悩む人なら癒しを、経済的に困っている人にはお金を、さびしい人には話相手となる友を願うでしょう。
【ソロモンは知恵を求めた】
ある日、神はイスラエルの王となったソロモンの夢に現れ「あなたの願うものは何でも叶えてあげよう」と言われた。
ソロモンは神様にただ知恵を願いました。「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるようにこの僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
と。
旧約聖書列王記上3章5 ~10節
「5その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。6 ソロモンは答えた。「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました。
7 わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。8 僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。
9 どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
10 主はソロモンのこの願いをお喜びになった」。
【神の大いなる祝福】
神様は、自分のために長寿や富、敵の命を求めず知恵を求めたソロモンに、その賢明な知恵を与えたもうのみならず、彼の求めなかった富と栄光、生涯誰にも比べられない繁栄を与えると、約束されました。
列王記上
3:10 主はソロモンのこの願いをお喜びになった。
3:11 神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。
3:12 見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。
3:13 わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。
ソロモンの知恵は箴言に記され私たちの日々の生活に用いられています。例えば
箴言10章19 口数が多ければ罪は避けえない。唇を制すれば成功する。
箴言14章3 1 弱者を虐げる者は造り主を嘲る。造り主を尊ぶ人は乏しい人を憐れむ。。
箴言22章1 名誉は多くの富よりも望ましく/品位は金銀にまさる。
箴言26章17 通行人が自分に関係のない争いに興奮するのは/犬の耳をつかむようなものだ。
これらの知恵は経験から知られたものです。
【箴言の目的】
箴言の目的は
箴言1章2 ~6節
「2これは知恵と諭しをわきまえ/分別ある言葉を理解するため
3 諭しを受け入れて/正義と裁きと公平に目覚めるため。
4 未熟な者に熟慮を教え/若者に知識と慎重さを与えるため。
5 これに聞き従えば、賢人もなお説得力を加え/聡明な人も指導力を増すであろう。
6 また、格言、寓話/賢人らの言葉と謎を理解するため。」
であると書かれています。
神のすばらしい知恵を日常生活に応用するとき神を喜ばせる正しい道に導かれ、神の豊かな祝福が与えられるのです。
聖書の知恵は頭が良いと言うこととは異なります。聖書の知恵は神から学ぶ正しい生き方です。学力は知恵を保証しません。学力あるものが知恵に欠けた行動をとるのを現実に見ることが多くあります。
私たちが生きるための知恵を得ようとする意志がありますか。
キリスト者として知恵ある生活を生きたいですね。
しかしどこから始めるでしょうか。
【主を畏れることは知恵の初め】
7節に答えがあります。
箴言1章7「 主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る」。
ここには大事な真理があります。神を畏れることから出発しないと本当の知恵はありません。
【畏れるとは】
畏れるという言葉を正しく理解することが必要です。これは恐れる、怖がるという意味ではありません。聖書の神は愛で御自身の被造物を愛されます。神は人と親しい交わりを持つために人を創られましたので人は恐れで神から逃げる必要はありません。神に近ずきなさい。そうすれば神は近づいて下さいます。
【世人を愛される神】
神が独り子をこの世に遣わされたのは人びとを愛されたからで、神を恐れることはありません。神を畏れるべきです。力と愛と正義なる神に畏敬の心を持つべきです。
私たちの神は全てを創り、すべてを知り、はじめも終わりもありません。そのお方が罪人の私たちに手を差し伸べて愛して下さっています。私たちはその神に畏敬の念を持つべきです。
神は私たちを神の子どもとして霊的にも物質的にも恵んで下さいますので、当然神様との関係を大事に常に尊重すべきです。それ故、神の御子イエス・キリストが教えて下さった道に従うべきです。
何より主を畏れる事こそ知恵の初めです。
【無知な者は知恵をも諭しをも侮る】
逆に神の教えを無視し自分が主との関係に責任がないと思うと愚かになり回りに害になります。
神を離れ自分の目に正しいと思うことを行えば道徳は混乱し、隣人との人間関係は崩壊します。家族の関係も損なわれます。
【無神論者】
箴言1章:7後半「無知な者は知恵をも諭しをも侮る」。と書かれているにもかかわらず無神論者たちは聖書を蔑にして、宗教は戦争の根源だと言います。
勿論、宗教を悪用して戦争を正当化する人も居ます。
現在のテロリストはイスラム教の教えを曲解して自分たちを正当化します。
キリスト教も歴史を見るとキリストの名でひどいことが行われました。それはイエスの教えを無視したもので決して神の御心ではありませんでした。
しかし無神論の害ははるかに大きい。ヒットラー、スターリン、毛沢東、金日成は何億人を犠牲にしました。
神が存在しないと思うと全てのことが許され反対するものを簡単に処分します。
誰でも知恵を得ようとすれば神を畏れなければなりません。主を畏れることは知恵の初めだからです。
【知恵は神様の賜物】
は神様の賜物ですから主に願うべきです。新約聖書ヤコブの手紙1章
5 節「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます」。
愛する兄弟姉妹。自分が正しいと思うままに行動するのでなく主の知恵と道を導きに従って祈り歩みましょう。(おわり)
2013年01月13日
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