2013年1月27日.説教「羊の門であるイエス・キリスト」ウイリアム・モーア宣教師
2013年1月27日.説教「羊の門であるイエス・キリスト」ウイリアム・モーア宣教師
聖書:ヨハネによる福音書10章7~10節
7 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。8 わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。
9 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。
10 盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。
(説教要約 文責近藤)
【「私は・・である」】
この世を歩まれた主イエスは御自身の使命、身分、役割を啓示されました。ヨハネ福音書には御自身について7つほどの「私は・・である」との宣言が書かれています。
ヨハネによる福音書6章35 イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。
8章12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
10章11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
11章25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
14章:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
15章:1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」。
【わたしは門である】
そして7番目は今日の御言葉にある主御自身の宣言です。
「わたしは羊の門である。わたしを通って入る者は救われる。」
今日のこの箇所を学びましょう。
門とは入口です。門の役割は壁の向こう側と行き来することができます。
人間と神様との間には罪という障壁があり門は永遠に閉ざされていました。
【罪は神を隔てる】
罪とは何ですか。簡単に言うと神に従わず自己中心、自分勝手な歩みであります。
イザヤ書 59章2
「むしろお前たちの悪が/神とお前たちとの間を隔て/お前たちの罪が神の御顔を隠させ/お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。」
主イエスこそは神様への唯一のドアとなります。
人間の罪を御自身の御子イエス様が受けて下さり神様のドアを開けてくださいました。
ドアを入ると神様の赦され愛された子となり、以前は罪ゆえ神の敵であったものが今は愛されて神の受入れられた子供になりました。唯一の全能の神を恐れるよりも、その門から入ると神は私たちの味方になって主の愛と親しい交わりを経験できます。
【門は守る】
門の他の重要な目的は門を閉じているときはその中の者を守ります。
この世は安全でなく病気や不幸は珍しくありません。
現代は治療法も進歩して多くの病気が治りますが、いろんな新しい病気が生まれ治療も困難です、また景気も不安定ですぐ悪くなります。人が富んでも瞬間的に無になります。
誰が良い将来を保証しますか。将来のために努力しても、将来は結局未知なのです。
しかし唯一全能の神は将来を知りご自分の民を守って下さいます。
勿論クリスチャンにも逆境はきます、しかし神はご自分の民を守り忍耐と希望を与えて下さいます。
このようにイエスキリストの門はすべての害悪から私たちを守り保護してくれます。
私たちは使徒パウロとともに確信します。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」。(ローマの信徒への手紙 8章28節)
【唯一の羊の門】
又大切なことを覚えて頂きた。主イエス・キリストは唯一の羊の門です。沢山ある門の中の一つではなく、ご自分は羊の唯一の門です。他には門はありません。救いの方法はキリストの門から入る以外にはありません。
神を探すために人間は自分の門を創りたいのです。自分の条件に合った門で神様を知りたいのです。人間が作ったいろんな宗教が良い例です。しかし唯一の真の神の御前に出るために神の条件に合わなくてはなりません。常識ですが神はご自分で条件を創られます。
たとえばイギリスの女王に会うためには自分の条件ではお会いできません。ロンドンに行って自分勝手に塀をのっぼっては泥棒のように逮捕されます。女王の会うには女王の後援会に入り、その活動に参加していると何時かは女王に会えることが叶います。だれでも目上の者に会いたかったらその物の条件に従うべきです。同じように神を知り、神の救いを得ようとすれば神の条件に従うことしかありません。ルカ福音書に主イエスのお言葉がこのように言われます「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ」(ルカによる福音書 13:24)。
人間の作った条件では絶対に神様の御前に出れません。
主イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネによる福音書 14:6)。
【疑問?】
こういう話では神様が心狭い偏狭なお方で、了見の狭いお方と思いますか?おおらかな神なら色んな道を用意されるのではありませんか?イエス様以外の全ての宗教が神に近ずけるのではありませんか。
【酸素】
しかし少し考えてみてください。
人がこの地上で生きるためには空気が必要で、その中の酸素が絶対必要です。酸素以外では絶対生きられません。神がおおらかな方なら塩素や窒素で生きられるはずですが、とんでもありません、酸素を吸う以外には人が生きる道はないように人を創られました。
主イエスの道のみが人を永遠に生かす道です。これは驚くべきことではありません。他の方法は効果がありません。
【私たちの応答】
さて羊の門に私たちはどのように反応すべきでしょうか。
9「 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける」。
イエスの門を貴方の保護に使ってください。
この世ではこれから先も何が起こるか私たちには分かりません。しかしイエスに守られているので何物も恐れることはありません。他の誰よりも主なる神は強いお方ですから、どんなことにも失望はありません。主の門は貴方の為に開かれています。素直な心でこの門に入れば、神とともに歩む新たな人生の生き甲斐が分かります。
主イエスのお約束通り「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」。(おわり)
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