2012年12月

2012.12.30説教「味わい見よ、主の恵み深さを」ウイリアム・モーア宣教師

2012.12.30説教「味わい見よ、主の恵み深さを」ウイリアム・モーア宣教師

 

聖書:詩編341 【ダビデの詩。ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに。】

2 どのようなときも、わたしは主をたたえ/わたしの口は絶えることなく賛美を歌う

3 わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。

4 わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。

5 わたしは主に求め/主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。

6 主を仰ぎ見る人は光と輝き/辱めに顔を伏せることはない。

7 この貧しい人が呼び求める声を主は聞き/苦難から常に救ってくださった。

8 主の使いはその周りに陣を敷き/主を畏れる人を守り助けてくださった。

9 味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。

10 主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。

11 若獅子は獲物がなくて飢えても/主に求める人には良いものの欠けることがない。

 

説教要約(文責 近藤)

 

今年もあと数時間です。もう戻ってきません。

今年を振り返ってみると国内的にも国際的にも喜ばしいことは少なかった。

個人的チャレンジもあったでしょう。経済的問題、病気の問題、肉親を失ったことなど試練が大きかったですが、将来にも同じことがあると思うと不安になります。

 

【どのような時も神に感謝と讃美を】

この詩編を書いたダビデも同じ気持ちを味わいました。

サウル王から逃げるダビデは近くのガドに亡命するつもりでしたが身分がばれるとダビデは気違いの振りをして無事脱出できました。

 

この詩編はこの時の彼の証しと告白です。

ダビデの証は不安、恐れを感じる私たちに力を与えてくれます。ダビデは恐れをどのように克服したでしょうか。

彼はこの詩編342節「どのようなときも、わたしは主をたたえ/わたしの口は絶えることなく賛美を歌う」と告白しました。

 

【不安の時にこそ】

不安の時には神に感謝と讃美を捧げることです。

良いときにはこれは容易なことであっても、不安や恐れの時にこそ主を讃え主に讃美を捧げるなら恐れに打ち克ち、力と勇気を神から与えられます。そして勝利が与えられます。

 

【使徒パウロの告白】

使徒パウロはローマの信徒への手紙 835 節以下にこう記しています。

35 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。36わたしたちは、あなたのために/一日中死にさらされ、/屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。

37 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。

38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」。

 

パウロはダビデと同じように迫害を受けてもあきらめず神と人に仕えました。使徒パウロはどのような時にも「わたしは主をたたえ/わたしの口は絶えることなく賛美を歌う」と言うことが出来ました。

 

【わたしの魂は主を賛美する】

次の詩編34篇「3 わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。

4 わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう」について。

 

私たちは毎日曜日ここに集い讃美を歌いますが、讃美と主を褒め称えることは私たちのために必要です。勇気が与えられ恐れに勝利します。

讃美を歌うとき歌の意味に集中して讃美しましょう。

 

【死の陰の谷を行くときも】

詩編345節「 わたしは主に求め/主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してください」。

どんなことがあってもダビデは恐れませんでした。ダビデはかれの残りの生涯にも決して恐れに負けませんでした。

 

詩編23篇「4 死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける」とダビデはどんなことがあっても主は彼を支え勇気と信仰を与えて下さる神様を信じました。

 

【味わい、見よ、主の恵み深さを】

詩編349節に「 味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は」と告白しました。

 

「味わう」とは自分の経験で知ることです。やってみないと悟られないと言うことです。

 

【聖餐式】

聖餐式を通して主の恵みを味わうのです。

パンと葡萄酒は十字架で裂かれた主イエスの体と流された血を味合うのです。

主イエスはご自分の命を捨てて私たちの贖いとなり人を愛してくださいましたので私たちの不安と恐れを取り除いて下さいます。

 

「死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」。どのような難しいときも力づけて下さる主の恵みを聖餐式を通して与えられることを感謝しましょう。(おわり)

2012年12月30日 | カテゴリー: 旧約聖書 , 詩篇

2012年12月23日クリスマスメッセージ「わたしのクリスマスプレゼント」ウイリアム・モーア宣教師

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20121223日クリスマスメッセージ「わたしのクリスマスプレゼント」ウイリアム・モーア宣教師

聖書:マタイによる福音書1

(イエス・キリストの誕生の次第)

18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

説教要約 文責近藤 

 

【私の子供のころの記憶】

私の子供のころ、両親は私たち3人の兄弟にクリスマス前には一つの素晴らし質問をしてくださった。いつもの質問はあまり歓迎したものではありませんでしたが。

 

それはクリスマスにはどんなプレゼントが欲しいか、そのリストを書いてサンタクロースに手紙を出すことでした。その手紙を書くのはとっても楽しいものでした。

そのリストに書くときその順番が大切です。一番欲しい物をリストの頭に書けば欲しいプレゼントが叶えられると分かっていました。サンタは両親がしてくれると知っていたからで、そのリストの順番を書いて両親に渡しました。

 

1225日朝、クリスマスツリーの下に置いてあるプレゼントを見るのを楽しみにしました。

そしてリストの一番のものがあった時の喜びは今も忘れません。しかしどんなプレゼントだったかもう覚えていませんし、何も残っていません。当時憧れたおもちゃなどは今はもう興味もなくなっていますが、ただ一つだけ忘れないで残っているものがあります。

 

それは3人の子供たちにプレゼントをしてくれた両親の愛で、これは忘れることがありません。一番欲しいものをプレゼントしてくれたのですが、今になっては両親の大きな愛のみしか残っていません。

 

【神様からの永遠のプレゼント】

さて私たちに今年2012年のクリスマスにどのようなプレゼントが頂けるでしょうか。

このクリスマスの時に神様からのプレゼントを私たちは覚えたいのです。

 

唯一の全能の天地の創造主なる神は私たち人間を愛して2012年前の初めのクリスマスに私たちにご自分の独り子をお与え下さいました。

新約聖書ヨハネによる福音書316 節にある通りです。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」

 

2012年前にユダヤのベツレヘムの馬小屋でマリヤは男の子、神の独り子を出産しましたが、それは神の大きな愛の顕れでした。皆さんのために、どんなに大きな愛だったでしょうか。

御子は天国の全ての特権を捨てて地上に降り、神の国の福音を述べ伝えて村々を巡り、病人を癒し、家、財産もなく、良い行いのみをなしてくださいました。にもかかわらず遂には一人の弟子に裏切られ十字架に架けられました。

神はご自分の独り子を与えて下さったほどに私たち人間を愛してくださったからです。

 

今年のクリスマスの際に神の愛を覚えて神様からのプレゼントを戴きます。馬小屋で生まれられたイエス・キリストによって神様からの3つのプレゼントは全ての人にとって最もすばらしい祝福になります。他のプレゼントと違って壊されたり無くなったりしません。いつまでも忘れられない永遠のプレゼントです。

 

この3つのプレゼントについて考えましょう。

 

【罪の赦し】

その1は私たち人間の罪の赦しです。

聖書で言う罪とは人を殺したり、大金を盗んだり、ひどい犯罪を言うのではありません。

それは自己中心の思いと行いです。わたしたちは偽ったり、人を憎んだり、人を軽蔑したりします。愛のない言葉や行いは罪です。このような行為でどれほど多くの人の心が痛めつけられたことでしょう。

 

神の戒めから離れ自分勝手な生き方は神の裁きによって永遠の滅亡に向かっているのです。この私たちを救うために主イエスを遣わして下さいました。主の贖い死によって私たちの罪は許されます。

主はお生まれになった時、御使いから「その名をイエスと名付けなさい」と言われました。それは「ご自分の民を罪から救う」という意味です。

 

全ての罪が帳消しになり、罪のゆえに神様の敵であったものが神に愛された者になったのです。神の愛は何と大きいでしょう。

御子をこの世に送られたとき、王宮でなくみすぼらしい馬小屋で生まれたもうたということは、どんな人にも救いが与えられるためです。

罪の赦しというプレゼントは罪を憎む人にとってどんなに大きな希望を与えてくれるでしょうか。

 

【ウイリアム・スパーリンク君】

クリスマスになると日曜学校ではクリスマス劇をします。小学6年生のウイリアム・スパーリンク君は優しい子供ですが頭が少し弱かった。しかし彼は人気者で、体が大きかったので弱い友だちをよく助けました。

 

ウイリアム君は羊飼いの役をしたかったのですが先生は彼に宿屋の主人の役を与えました。

クリスマスの発表の日がきました。マリアとヨセフが宿を探してヨセフがドアを叩くとウイリアム君は答えます、「部屋は一杯でここに泊まれません」。ヨセフは又頼みます「妻は臨月です。どこでもよいですから部屋を貸してください」。ウイリアム君はまた答えます、「ほかの所に行ってください。部屋は一杯で泊まれません」。ヨセフが何度も頼むと彼の頭はパニックになりセリフが分からなくなりました。黙っていると、後ろから「帰ってください」とささやきました。ウイリアム君が小さい声で「帰ってください」と言いました。マリアとヨセフが悲しそうに帰りそうになった時、彼は「一寸待って。僕の部屋に泊まって下さい。僕は物置に寝るから」と言いました。

 

イエス・キリストこそが私たちのためにそうしてくださいました。主は私たちのために十字架で死んでくださり、あなたの罪を代わって受けたからと言われます。神は私たちの罪を覚えられません。

 

【新生】

2番目のプレゼントは新しく生まれることです。

私たちを新しく生まれ変わらせて下さることです。イエスの誕生は汚れた心を清くして、私たちの心を神の宿る清い場所としてくださいます。

馬小屋のように汚れた心を持っていた私たちを清い神の似姿としてくださいます。

主を信じ罪を悔い改めれば新しい人に変えてくださいます。

 

【永遠の生命】

3つ目のプレゼントは永遠の生命の始まりです。

神の正しい裁きによってわたしたちは罪の罰で永遠の滅亡の道にありますが、主イエスを信じると永遠の生命を戴きます。

肉体は滅んでも神の力と愛のよって復活し主イエスを信じる者には死は永遠の命の始まりになります。

 

【今年のクリスマス・プレゼントは】

愛する皆さん。もう一度質問ですが今年のクリスマスに神から頂くプレゼントは何ですか?

その答えは罪の赦し、新しく生まれること、永遠の命です。主を信じる者にはこれらのすばらしいプレゼントが自分のものとなります。

 

主はいつも私たちと共に居て生きる力を十分に与えて下さいます。

今年のクリスマスにみなさん一人一人が忘れることのないこれらの永遠のプレゼントを受け取って下さることを心からお祈りいたします。(おわり)

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2012年12月24日 | カテゴリー: マタイによる福音書

2012年12月16日説教「天を裂いて降られた神」ウイリアム・モーア宣教師

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20121216日説教「天を裂いて降られた神」ウイリアム・モーア宣教師

聖書:イザヤ書

旧約聖書

イザヤ書6319どうか天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように。

641 柴が火に燃えれば、湯が煮えたつように/あなたの御名が敵に示されれば/国々は御前に震える。2 期待もしなかった恐るべき業と共に降られれば/あなたの御前に山々は揺れ動く。3 あなたを待つ者に計らってくださる方は/神よ、あなたのほかにはありません。昔から、ほかに聞いた者も耳にした者も/目に見た者もありません。

4 喜んで正しいことを行い/あなたの道に従って、あなたを心に留める者を/あなたは迎えてくださいます。あなたは憤られました/わたしたちが罪を犯したからです。しかし、あなたの御業によって/わたしたちはとこしえに救われます。

5 わたしたちは皆、汚れた者となり/正しい業もすべて汚れた着物のようになった。わたしたちは皆、枯れ葉のようになり/わたしたちの悪は風のように/わたしたちを運び去った。6 あなたの御名を呼ぶ者はなくなり/奮い立ってあなたにすがろうとする者もない。あなたはわたしたちから御顔を隠し/わたしたちの悪のゆえに、力を奪われた。

7 しかし、主よ、あなたは我らの父。わたしたちは粘土、あなたは陶工/わたしたちは皆、あなたの御手の業。8 どうか主が、激しく怒られることなく/いつまでも悪に心を留められることなく/あなたの民であるわたしたちすべてに/目を留めてくださるように。

 

説教要約(文責 近藤)

 

【人類の願い】

イザヤ書63章後半「どうか天を裂いて降ってください。」と今日の箇所で神の民は切に祈りました。「どうか天を裂いて降ってください。」は人類の願です。遠い天国を去り降ってきて私たちを助けてくださいと大昔のユダヤ人は願いました。

 

【人の罪】

当時の人々だけでなく多くの人の願でもあります。この切なる理由が少し考えただけで私たちにも分かると思います。どんな楽観的な人でも自分と周りの人と社会を見ればあらゆる点で良くないことに気付くはずです。人はあらゆる点で罪と欠点の存在であると分かります。自己の我侭で悪いと知りながら隣人に罪を犯し、そのことを正当化します。愛する者をさえ傷つけます。ニュースを見ると日々実にひどい事件があり、犯罪、殺人、暴力、暴行、戦争などがあり、これが普通だと思われると絶望的になることもあります。

 

【人は進歩したか】

私たち人間は素晴らしい存在だと言うものもあります。昔と違い人類は科学において素晴らしい進歩を遂げました。科学を通して神の創造が理解できます。ロケットを飛ばして宇宙でロボットを使い調べることなどは素晴らしく進歩しました。

 

【人の本性は変わらない】

しかし残念ながら人間の性質は昔と一つも変わりません。少しでも良くなったでしょうか。実は昔と全く同じです。人は自己中心的です。神が人を創られたとき人間の幸福のために神の戒めを守るように教えられました。しかし人は自分の知恵に頼り自分の思いで歩むようになりました。その結果、悲しみ、苦しみが起こってきました。聖書ではこの状態を罪と言います。

 

イザヤ書645節に記されたとおりです。

わたしたちは皆、汚れた者となり/正しい業もすべて汚れた着物のようになった。わたしたちは皆、枯れ葉のようになり/わたしたちの悪は風のように/わたしたちを運び去った。」

 

私たちが神を拒否することで神と人の関係は悪くなり、人と人との関係も悪くなりました。ある人はキリスト教は罪を強調するので暗い宗教だと言います。

 

人は嫌なことや悪いことに関して言いたくないので隠す傾向があります。例えば福島では放射線から逃れたいけれど、他に選択のない人は黙って耐えてそこに住むしかないのです。

嫌なことは避けたい忘れたいのですが、それで決して問題が無くなるわけではありません。

 

【罪から逃れられない人間】

罪もそうです。ある人は人間は基本的に良い存在と言い、本能的にふるまえば大丈夫だと言います。私もそう考えたいです。醜い社会の罪は忘れたい。しかしその考えは間違っている。罪のことを考えなかったら罪は無くなりません。ストレートに言えば罪を認めるしかありません。罪は明らかなことで避けられないことです。

 

この深刻な問題に直面した預言者イザヤと同じように神に「どうか天を裂いて降ってください」と祈り願うしかありません。罪の力があまりに強いので自己の力で解決しようとすれば絶望するしかありません。私たちの力で罪は解決できません。

 

【御子の受肉】

憐れみ深い全能の神は人間のこの切なる願いを聞き、丁度良い時に天からキリストを私たちを助けるために遣わして下さいました。神こそが天を裂いて降って下さいました。

 

そればかりか神は謙遜になって天の栄光を捨てて人間になりこの世に来られました。聖書によると

言葉、すなわち神の御子キリストは肉体となり私たちの内に宿りました。

 

来週はこの素晴らしいニュースを聞きます。神が人となり私たちと同じ誘惑と闘い、同じ疲れ、同じ歓びと悲しみを経験してくださいました。それはイエス・キリストを通してです。

 

【幼子イエス様】

愛する創造主なる全能の神が栄光と力を捨てて人間の赤ちゃんとなられました。これは驚くべきことです。私たち罪人の為に天国のあらゆる特権をイエス様は自ら捨てて私たちのために人間の赤ちゃんになられたのです。イエス様は私とあなたのために人間になって下さいました。しかしイエス様は罪を全く犯されませんでした。父の神に完全に従われました。

 

【ある家出した妻】

ある若い婦人が何不自由のない生活をしていましたが、毎日のつまらない変化のない生活から我慢できなくなり逃げ出したくなりました。

 

そして家出をしました。その夜夫に電話して自分は大丈夫だが、もう家には帰らないと言いました。夫は妻を愛しているから直に帰ってくるように懇願しました。しかし妻はそれを断りました。妻は何度か家に電話し、そのたびに夫は妻を愛しているから早く帰るように頼みました。

 

遂に寂しくなった夫は探偵を雇い彼女の居場所を探してもらいました。ある遠い街の宿屋にいることがわかったので夫はすぐに飛行機で彼女の所に飛びました。妻のいる部屋の戸を夫は震えながら開けました。彼女は夫を見て一瞬驚きましたが、途端に夫に抱き着き泣き出しました。そして家に一緒に帰りました。

 

帰ってから夫は妻に聞きました。なぜ電話で貴女を愛していると何度も言ったのに帰ってくれなかったかと。彼女は夫に答えました。あなたはいつも愛していると言ってくれたが、それは口先ばかりの愛ではないかと思ったのです。しかし私を探してわざわざ私の所まで来てくれたのであなたの愛を確信できましたと答えました。だから帰ろうと思ったのです。

 

【神の愛】

全能の神様は口先ばかりの愛でなく犠牲的愛でその証拠をお示し下さいました。主イエスはこの世に来られたばかりか、もっと大きな問題、罪を解決するために御自身を十字架に架けて死んで下さいました。その贖いの御業によって神様の御前に出る特権が与えられました。

 

私たちは神の愛された子供となりその父なる神様の全ての祝福を与えられました。

 

愛する兄弟姉妹。私たちにとって御降誕のイエス様は飼葉桶の可愛らしい赤ちゃんに過ぎないだけでしょうか。それともこの世の救い主、あなたの救い主ですか。

 

主が天を裂いて肉体をとって世に降られた神の愛に私たちは驚きを覚えますか。主イエス・キリストを通して天のあらゆる恵みを下さいます。そのことを覚えて心からの感謝を主なる神に捧げましょう。(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年12月16日 | カテゴリー: イザヤ書 , 旧約聖書

2012年12月9日説教「あなたの苦しみは報いられる」赤石めぐみ先生

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2012129日説教「あなたの苦しみは報いられる」赤石めぐみ先生

 

聖書:新約聖書マタイによる福音書2

16 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。

17 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。

18 「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」

 

説教要約(文責 近藤)

 

待降節は主イエスの御降誕を祝う準備の日ですが主の再臨を待つことでもあります。

 

【子どもを殺された母親の気持ちは】

占星術の学者たちにだまされたヘロデ王は、不安のあまり救い主が含まれる当時2歳以下(数え年で)のベツレヘムの男子を皆殺しにしました。しかし幼子のイエスは父なる神の導きで両親に連れられてエジプトに逃れました。

 こどもを殺された母親の気持ちはどんなであったでしょうか。救い主が生まれたということで自分の愛する子供を犠牲にされた。人類の救い主と言われるお方が来られたことに対して歓びの気持ちが湧いたでしょうか。これは18節に「「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」というエレミヤの預言が実現したと書かれています。赤ちゃんを殺すことが万民を救う神の業でしょうか。

 18節の御言葉はこんな悲しいことの預言ではありません。この預言とは、旧約聖書エレミヤ書3115節に書かれた御言葉の引用です。

主はこう言われる。ラマで声が聞こえる/苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む/息子たちはもういないのだから」。

とあるとおりです。しかしここだけ読んでも神様の御心は分かりません。

エレミヤ書31章全体は表題にもあるように新しい契約を記しています。今日はマタイ福音書を離れて、このエレミヤ書を通して救い主の来臨の預言を学びたい。少しさかのぼってエレミヤ書29章から預言をひも解いてみましょう。これはエレミヤがバビロン捕囚のユダヤの民に書いた手紙で70年の時が満ちるなら解放されるという慰めの預言です。

エ レミヤ書291節に、

 「以下に記すのは、ネブカドネツァルがエルサレムからバビロンへ捕囚として連れて行った長老、祭司、預言者たち、および民のすべてに、預言者エレミヤがエルサレムから書き送った手紙の文面である。」

と書かれているように、この箇所はユダの人々が捕囚の地バビロンで聞いた神様の御言葉なのです。

 

エレミヤ書2910~14節をお読みします。

10 主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。11 わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。

12 そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。13 わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、14 わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。」

ユダの人々は言います。神様、いつまで捕囚の苦しみを耐えねばならないのですか。それに対して神様は70年だと言われます。70年とは人の一生の長さです。生きている間に帰れるか分からないが神の約束が告げられています。30章に進みます。

 

【回復の約束】

エレミヤ書303節に捕囚からの回復の約束が記されています。

3 見よ、わたしの民、イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る、と主は言われる。主は言われる。わたしは、彼らを先祖に与えた国土に連れ戻し、これを所有させる。」

70年たてば国に帰すとの神のお約束です。


エレミヤ書3010~11節、

10 わたしの僕ヤコブよ、恐れるなと/主は言われる。イスラエルよ、おののくな。見よ、わたしはお前を遠い地から/お前の子孫を捕囚の地から救い出す。ヤコブは帰って来て、安らかに住む。彼らを脅かす者はいない。11 わたしがお前と共にいて救うと/主は言われる。お前が散らされていた国々を/わたしは滅ぼし尽くす。しかし、お前を滅ぼし尽くすことはない。わたしはお前を正しく懲らしめる。罰せずにおくことは決してない。」

 

【救い主の預言】

続いてエレミヤ書3020節から22節、

20 ヤコブの子らは、昔のようになり/その集いは、わたしの前に固く立てられる。彼らを苦しめるものにわたしは報いる。

21 ひとりの指導者が彼らの間から/治める者が彼らの中から出る。わたしが彼を近づけるので/彼はわたしのもとに来る。彼のほか、誰が命をかけて/わたしに近づくであろうか、と主は言われる。

22 こうして、あなたたちはわたしの民となり/わたしはあなたたちの神となる。」

20節にバビロン捕囚からの回復が預言されているが、これがもっと大きな出来事へと拡大されて行きます。21節に一人の指導者の出現が預言されています。ここに救い主メシアを待つ信仰が始まりました。

 

ひとりの指導者、彼とは誰でしょうか。主イエスのほかに誰が命を懸けて私たち罪人の犠牲となって下さったでしょうか。主イエスがこの世にお生まれになったのは十字架で死ぬためで、神様の救いの御計画を命を懸けて完成するためでした。

 

こうして31章が始まります。

エレミヤ書313 遠くから、主はわたしに現れた。」

「遠くから」とは天からです。

 

「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し/変わることなく慈しみを注ぐ。」

天の神様が主イエスを遣わされたのは愛と慈しみのゆえです。


7節後半

「主よ、あなたの民をお救いください/イスラエルの残りの者を。」

と祈ります。

主よ、あなたの民をお救い下さい。ホシヤナ、ホサナとは私を救ってくださいの意味。この祈りに神は答えて下さるのです。

 

続く8~9節に地の果てから離散の民の帰還が預言されます、

8 見よ、わたしは彼らを北の国から連れ戻し/地の果てから呼び集める。その中には目の見えない人も、歩けない人も/身ごもっている女も、臨月の女も共にいる。彼らは大いなる会衆となって帰って来る。9 彼らは泣きながら帰って来る。わたしは彼らを慰めながら導き/流れに沿って行かせる。彼らはまっすぐな道を行き、つまずくことはない。わたしはイスラエルの父となり/エフライムはわたしの長子となる。」

 

【民の嘆きが喜びに】

13

そのとき、おとめは喜び祝って踊り/若者も老人も共に踊る。わたしは彼らの嘆きを喜びに変え/彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる。」

 

主イエスが遣わされ救いが完成するとき民の嘆きが喜びに変わると預言されています。

バビロンからエルサレムに帰還し真の神様を礼拝することの喜びが全ての人に広がっていく。

 イエスが来られるとき散らされた世の罪人たちは一つ所に集められ神様を礼拝するようになり、その時、嘆きが喜びに変わるのです。こういう大きなことが預言されています。

 

こうして今日の箇所15節になります。

エレミヤ書3115

「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる/苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む/息子たちはもういないのだから。」

 15節の悲しい預言だけで終わるのではありません。続いて

116~17

主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。17 あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。」

15節の悲しいことだけを言いたかったのではないのです。ここには「泣きやむがよい」と慰めの言葉が与えられ、あなたの苦しみは報いられると主は言われます。15節はこの慰めのきっかけです。ですから今日のマタイ福音書のエレミヤ預言を読む時、エレミヤ書31章に戻ってこの流れで読むことが大切です。

 

【主の慰めと民の悔い改め】

15節の言葉はバビロン捕囚の前を思って書かれました。

ラマとはバビロンに捕囚となる前にユダヤ人が集められた所です。

ラケルとはイスラエルの先祖の妻の名前でイスラエルの母親たちを指しています。

ラケルの墓はベツレヘムにあります。ユダヤ人全てがバビロンに連れていかれたのでラケルは一人残されたことになりました。それで泣いていると言われるのです。

けれども16節「泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われるのです」。この慰めの言葉を私たちは受け取らねばなりません。

 

そしてバビロンでイスラエルは悔い改めた。

 

エレミヤ書3118~19

 18わたしはエフライムが嘆くのを確かに聞いた。「あなたはわたしを懲らしめ/わたしは馴らされていない子牛のように/懲らしめを受けました。どうかわたしを立ち帰らせてください。わたしは立ち帰ります。あなたは主、わたしの神です。19 わたしは背きましたが、後悔し/思い知らされ、腿を打って悔いました。わたしは恥を受け、卑しめられ/若いときのそしりを負って来ました。」

主 は民の悔い改めた心を喜ばれ、ここに3131節の新しい契約の始まりが告げられます。

 

【新しい契約の預言】

エレミヤ書3131節、

31見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。32 この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。

33 しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。34 そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。」

 このような大きな約束が与えられ新しい世界が始まります。イエス様の誕生は、この救いがバビロン捕囚から帰されたイスラエルの為だけでなく全世界の民へもたらされる福音の始まりの出来事です。31章16節の言葉はイエス様誕生の時、ベツレヘムで子供を殺された母親にこそ告げられるべきメッセージです。

 

【新しい契約の成就】

でも泣き止むがよい、目から涙をぬぐいなさい、と言われても、子を殺された母親の悲しみがどうやって慰められるでしょうか。あなたの苦しみは報いられると言っても素直に聴くことが出来るでしょうか。でも思い出してください。

 となられた主イエスのこの世の御業を思い出してください。イエス様は生涯、神の国の福音を告げ知らせ、病人を癒し、悲しむ人を慰めました。しかし結局は十字架の上で殺されました。父なる神は、ベツレヘムの子供を殺された母親の悲しみを味合われたのです。

主イエスと父なる神様はあの赤ちゃんを失った母親と同じ苦しみを味わってくださったのです。

 

【主の復活】

でも主イエス様は十字架の死で終わられたのではありません。死に打ち勝って復活して今も生きておられるのです。この復活の命を全ての人に与えようとして十字架の道を歩んで下さったのです。

ベツレヘムで殺された赤ちゃんたちも復活の命に与っています。お母さんたちも救いに与っていると思うのです。イエス様を信じる者すべてが永遠に生きるのです。神様の御業によって報いられないことがあるでしょうか。主イエス様が命がけで父なる神様に従ったので実現することが出来ました。

父なる神が愛する独り子を殺されることを味わってくださったからこそ実現することが出来たのです。

 マタイが「エレミヤの預言が実現するためであった」と主イエスが生まれられたばかりの時点で実現したと大胆に言うのです。主が生まれられた時点でエレミヤ書の成就だと確信できるのです。このぐらい神様の約束は確かです。この救いに私たちも入れていただいています。

 わたしたちにも耐えがたい苦しみ悲しみがあるでしょう。でも「泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われるのです。」

 

主イエスの誕生を待つこの時に今日のエレミヤの言葉を噛みしめ大きな喜びを与えられてクリスマスを迎えたいと思います。(おわり)

 

 

 

2012年12月09日 | カテゴリー: エレミヤ書

2012年12月2日説教「クリスマスの準備」ウイリアム・モーア宣教師

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2012122日説教「クリスマスの準備」ウイリアム・モーア宣教師

 

聖書:旧約聖書イザヤ書401~5

1 慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。2 エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ/苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。

3 呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。4 谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。5 主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。

 

説教要約(文責 近藤)

【預言者イザヤ】

今日は教会歴ではAdvent待降節の第1主の日です。1223日クリスマスの4週前になります。

キリスト教会はこの季節に特に救い主の来臨と再臨について学びます。御子イエス・キリストの誕生は預言者を通して啓示してくださいました。今日はクリスマスの準備のために旧約聖書におけるイエス・キリスト来臨についての預言を新たに学びます。

 

今日与えられた御言葉の背景を簡単に説明します。

イザヤは主の御降誕の前700年にイスラエルで活躍し神の御言葉のメッセンジャーとして働きました。

当時のユダヤ人は主の恵みと教えを忘れ周りの国々に倣って偶像礼拝に陥り反省も悔い改めもせず、預言者の声にも聞かず、それゆえに主はアッシリア帝国を用いて紀元前722年北イスラエルを滅ぼされました。その住民はアッシリアに連れて行かれました。

 

【神の懲らしめと慰め】

更にイザヤは紀元前586年南ユダのバビロン捕囚を預言し、それは100年後に実現しユダヤ人はバビロンに連れていかれました。神の民には神の懲らしめが必要でしたが同時に神は慰めと希望のメッセージをも与えてくださいました。それは懲らしめはいつまでも続くことなく捕囚からの解放と故国帰還の預言です。イザヤ書40章1~2節の御言葉に預言されています。

 

イザヤ書401 慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。

2 エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ/苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。

 

この預言は赦しの宣言です。主は憐れみの神ですから私たち人間を赦し神との良き正しい関係を復帰させたいのです。それ故にこの素晴らしい赦しの約束を宣言しました。2節後半、

 

「・・苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。」

 

まことに嬉しいメッセージです。外国でイスラエルの民は主の懲らしめを受けたが、もう一度主の豊かな恵みを受ける確かな希望です。実にこれは主イエス・キリスト来臨の預言です。

 

人の罪を赦すことのできるお方は神の御子イエス様だけです。

2012年前、初めてのクリスマスに神は私たちを慰めるため、主イエスを遣わして、主イエスはすべての罪の咎を私たちに代わって贖ってくださいました。主は私たちの罪の全てに倍する報いを受けられました。

 

それが2節の御言葉です、2 エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ/苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。」

 

【救い主の到来の備え】

私たちがこの救いを受けるためには準備が必要です。

 

3節以下の御言葉、3 呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。4 谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。5 主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。」

 

大昔、中東では大王が領土を通るとき、その道が安全であるかどうかを調べるために使者を送りました。道が悪ければ道を整えました。そうして王は速やかに安全に道を通ることができました。王の王、主の主なる救い主を迎えるために整えられた道路とは私たち人間の心の準備です。

 

私たち人間が世界と宇宙の創造者、王の王、主の主である御子を受け入れるのに為すべき準備とは何でしょうか。

 

【預言が成就】

イザヤから700年後にこの預言が成就しました。

新約聖書マタイ福音書3章に書かれています。それは主の道を整えるために洗礼者ヨハネが現れました。

 

1 そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、2 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。3 これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」。

 

【クリスマスの準備:悔い改め】

クリスマスの準備とは悔い改めることです。私たちの罪が道を曲げています。罪を自覚しそれを失くすことの第一歩は悔い改めることです。誤った自己中心を改め、何よりも自分が変わること、自分の罪を認め、悔い改めて神との正しい関係に入ることです。そのことによって主イエスの霊は私たちの心に入る余地があります。

 

皆さん、尊敬する客人を家に迎えるには準備します。家を掃除してきれいにします。おいしい料理でもてなしをして客を歓迎します。同様に悔い改めると私たちの心に主を歓迎することになります。

 

今年のアドベントに自身を吟味し自分の罪の掃除をしませんか。家を清めるのと同じように、心を清めることで神の御子なる主イエスをお迎えするのです。

 

プレゼントや料理も良いですが第一にすべき準備とは悔い改めること、自分中心に考えるのでなく、相手を中心に考えると、わたしたちの行動もずいぶん変わります。主にあって私たちは一つになれるのです。

 

親が変われば子も変わるという言葉があります。私が変われば周囲も変わる。

アドベントに際して悔い改めることによってこの世の唯一の救い主、主イエスの御降誕を祝う準備ができます。

 

【主の再臨を迎える準備】

アドベントに際してこれから来られる主の再臨も切に待ち望みます。主は再び来られます。再臨のとき全ての人は主の御栄光をはっきりと仰ぎます。

主の再臨を迎える準備は主のアドベントの準備と同じです。

 

「悔い改めよ。天の国が近づいた」。今悔い改め救い主イエス・キリストを心から受け入れ主に従うことは同時に再臨の準備になります。

愛する兄弟姉妹。今年も共に恵まれた待降節を過ごしたいと主は願っておられます。(おわり)

 

 

 

 

2012年12月02日 | カテゴリー: イザヤ書 , 旧約聖書