2012年9月30日説教「舌の力」ウイリアム・モーア宣教師
2012年9月30日説教「舌の力」ウイリアム・モーア宣教師
聖書:ヤコブの手紙3章1~12節
1 わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。2 わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です。3 馬を御するには、口にくつわをはめれば、その体全体を意のままに動かすことができます。4 また、船を御覧なさい。あのように大きくて、強風に吹きまくられている船も、舵取りは、ごく小さい舵で意のままに操ります。5 同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。6 舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。7 あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。8 しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。
9 わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。10 同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。11 泉の同じ穴から、甘い水と苦い水がわき出るでしょうか。
12 わたしの兄弟たち、いちじくの木がオリーブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか。塩水が甘い水を作ることもできません。
説教要約(文責近藤)
【兄弟げんか】
子どもの頃、私の両親が一つの格言を教えてくれました。「石と棒はあなたの骨を折ることは出来るが、あなたの言葉は決して傷つけられない」と。
兄と喧嘩したときのこと兄は私を「太った豚」と罵りました。それでこの格言で言い返しましたが、兄は嘲笑ってもっと悪辣なことばをもって私に返しましたので兄の言葉はもっと私を傷つけました。
【舌の力】
言葉は相手を傷つける力があります。言葉は石や棒より相手を傷つける力があり、その回復は肉体的損傷より簡単ではありません。
今日の御言葉は舌の出す力を述べて舌の監督の重要性を強調します。
人はいろいろな悪行を避けることに努めますが言葉となると自己の理性が働きません。舌の力を軽く見積もる傾向があります。舌のもつ善と悪の作用は大きいです。言葉一つで天国にもなり地獄にもなります。
特に教会のなかでは言葉に注意が大切です。
【言葉で過ちを犯さない人は自分の全身を制御できる完全な人です】
箴言18章21「 死も生も舌の力に支配される。舌を愛する者はその実りを食らう。」とあり、また
ヤコブの手紙1章26節「自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です」とあります。
【教師になるな】
さて今日の御言葉の1、2節「わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。2 わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です。
ここで教師とは教会のリーダーであり役員です。教会の役員は信者に影響力があり自己中心になることに警告をしています。教会員にたいして自分の言葉を制御する責任があります。
私たちは言葉で過ちを犯すと記されています。言葉で落度がないように
神の助けで舌を完全に監督できるようにしたいのです。
なぜなら言葉で過ちを犯さないなら自分の舌を制御できる完全な人になります。
【言葉と行動】
言葉は行動と連なっているからです。行いは口の言葉に支配されているからです。まず悪を考えて次に舌で悪を表現してその後に悪を行うからです。
それゆえ舌の監督は特別に大切です。
今日の御言葉の6つの例をもって舌の力を考えましょう。
1、舌は馬の轡に譬えられる。3節を見てください。轡(くつわ)は小さいが馬の口に嵌めることで御者はおおきな馬全体を自由に制御することができる。舌も同じです。小さくても人の善と悪を支配します。
2、4,5節で船の舵も舌に例えられる。舵取りは小さな舵で船の方向をおもいのままに定め船を無事に目的の港に導きます。同じように小さい舌でも人を大言壮語させます。
3、5節後半~6 節「見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。」
ここに舌は火に例えられる。ほんの小さな火花が大火災を引き起こすように、小さな不親切な言葉が大きなダメージを人に与えます。とくに子供や目下の者に手厳しい言葉を発すると想像できないほどのダメージを与えてしまいます。
1970年代、世界的になった人気歌手のカーペンターズは兄リチャードと妹カレンのデュオポップスですが、ある音楽批評家が妹カレンを悪く言いました。それが原因で彼女は拒食症になり32歳の若さで亡くなりました。
4、7節からは舌は恐ろしい獣に比べられます。7節~9節「7 あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。8 しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。9 わたしたちは、この舌で父なる主を讃美し、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。10 同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。」
人間は恐ろしい動物をも支配しますが自分の舌を支配できません。神を賛美した後で相手を呪います。これは大いなる矛盾ですが私たちの舌はそのようなものです。
5、最後に11~12節「 11泉の同じ穴から、甘い水と苦い水がわき出るでしょうか。
6、12 わたしの兄弟たち、いちじくの木がオリーブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか。塩水が甘い水を作ることもできません。」
愛する兄弟姉妹。舌の矛盾した働きについて賛成されるはずです。神を喜ばす為になる言葉だけを語ろうとするなら、舌を制御するために、自分の口を開く前に以下の5つの点を自問自答してみてはどうでしょうか。
自分の語る言葉は真理に基づいているものでか。噂さ話は大抵その真実は疑わしいからです。
自分の話は相手に役立つものですか。
自分の話は相手を鼓舞するものですか。
自分の話は相手に必要なものですか。その話はいい目的からですか。
自分の言葉は親切と心遣いが含まれているもんぽですか。相手を少しでも傷つけることはありませんか。
以上を自問自答してから正直に答えるなら舌を制御できるでしょう。しかし、何より、神のみが相手を喜ばし励ます言葉を発するような心を与えて下さいます。神のみが私たちにその変化を齎してくださいます。
コリントの信徒への手紙二 5章17 を見てください
「だからキリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」
今日からのこの1週間、神の愛をもって隣人を愛し言葉を制する時私たちはきっと勝利できます。(おわり)
2012年09月30日 | カテゴリー: ヤコブの手紙
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