2012年9月23日説教「信仰とは何ですか」ウイリアム・モーア宣教師

2012年9月23日説教「信仰とは何ですか」ウイリアム・モーア宣教師
聖書:へブライ人への手紙11章1~7節
1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
2 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。
3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。
4 信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。
5 信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。
6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。
7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。

説教要約:文責 近藤
【夜の高速道路】
最近は夜間に高速道路をドライブすることがよくあります。その理由は深夜割引があったり、渋滞がなく、また夏なら夜は熱くもありません。今年の夏、高速道路で長野に休暇に行きましたが、その帰り道、大雨になり10メートル先が見えないほど見通しが悪い中を危険を感じながら少しスピードを落として走りました。その時のわたしの態度と行動は信仰に近いものでした。道路の先はほとんど見えないが命がけで道があると信じ、道路の側壁は川の激流にも耐えることを確信して走ることができたからです。高速道路を信頼せず道を信じなかったら決して走らず雨が上がるのを待ったでしょう。

このように毎日の生活においても信頼を求められます。例えば朝スイッチを入れれば電灯が燈ることを信じるし、ポストに郵便物を入れると相手に届くとか、医師の処方箋を薬局に出すと薬剤師はその薬が医師の指示通り渡されるということを信じます。

会堂の造り方が分からなくても確かに安全に建てられていると信じるので毎週ここに集います。それは信頼のお蔭です。

それは今日の聖句「1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」です。
毎日の生活は信頼のお蔭で生きることができますが、信頼がなければマヒ状態になります。

【信仰とその対象】
信仰の場合も同じですがその対象は違います。その対象は人や物でなく神です。信仰は神を信じること、神の約束、愛、力、救いを確信しその中に生きることです。わたしたちの信仰の対象は聖書に啓示された神様です。聖書にこう書かれています。
「 ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒言行録4章12)
信仰の唯一の正しい対象が聖書に記されています。それはイエス・キリストです。その他の者は救いになりません。

信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
私たちは神を見ないが神を信じて生きています。

【ハドソン・テーラー】
160年前、有名な英国人の伝道者ハドソン・テーラーがはじめて宣教師として中国に伝道に行った時のことです。大凪(なぎ)で船は進めなくなり人食い島に流されそうになりました。海岸では人食い人種が御馳走が流されてくるのを待ち受けていました。

船長はテーラー先生に神の助けを祈ってくれるように頼みました。テーラー先生は船長に「祈りますが風がもうすぐ来るのでまず帆を上げるよう」に言いました。船長は大なぎなのに帆を上げると笑いものになると断りました。テーラー先生は今帆を上げないと風のために祈りませんと答えました。船長がテーラー先生の言うことを聞きいれたので今度は祈りました。すると大風になりましたので、船長はテーラー先生のところにきて「まだ風のために祈っていますか。もう風は十分です。風を止めるように祈ってください」と頼みました。

テーラー先生は神を信じ、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認したので主がその祈りに豊かに答えて下さいました。

今日の聖書は旧約聖書の3人の人物の例を挙げ信仰の結果を記録しています。

【アベル】
「4 信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。」

アダムとイブの最初の子供であるアベルとカインですが、アベルは信仰によって神を礼拝しました。つまり自身をすぐれた生贄として神に捧げました。信仰を持つ者は神を感謝をもって礼拝します。愛する兄弟姉妹、それは私たちの姿ですか。

【エノク】
「5 信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。
6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。」

エノクは主とともに歩んだので主に喜ばれました。それ故神はエノクを生きたまま天に移された。

【ノア】
「7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。」

人類の堕落と罪の故に神はただノアの家族を除いて人類を滅ぼすことを決めました。ノアの家族のゆえに人類は残りました。周りの嘲りにたえて120年かけてノアの家族は箱舟を造りました。信仰がなければ箱舟を作ることは出来ませんでした。

私たちは望んでいる事柄を確信し見えない事実を確認して神のお働きに参加したい。

2012年09月23日 | カテゴリー: ヘブライ人への手紙 , 新約聖書

コメントする

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.nishitani-church.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/925