2012.8.5.説教「変わることなきイエス・キリスト」ウイリアム・モーア
2012.8.5.説教「変わることなきイエス・キリスト」ウイリアム・モーア
(説教要約 文責近藤)
聖書:ヘブライ人への手紙13章8節「イエス・キリストは、きのうも、今日も、また永遠に変わることのない方です」
【アフリカから帰国した宣教師】
わたしは数年ごとにアメリカに帰国するたびにアメリカの変化に驚きます。
表現する言葉、ファション、料理、考え方の変化に気づきます。
あるアフリカに行った宣教師の話ですが、久しぶりの帰国の前にその奥さんはファッションのカタログを取り寄せ最新の服を家族のために作りました。帰国しそれを着て自信満々で町を歩いていると周りの人の視線を感じました。なんと後ろの4人の子供たちが頭にカバンを載せて付いてきたからです。
【変化は永久?】
「この世に永久のものは一つしかありません。それは変化です」と誰かが言いました。
テクノロジーは特にそうです。コンピューターの進歩はアナログ時代に生まれた人にとってデジタルの現代に生きるのはチャレンジングなことです。温暖化のために気象の変化は激しいし、私たちは自身の年齢的変化にも、周りの環境の変化や経済の変化に翻弄されます。
【永遠に変わらぬお方】
この世に住む私たちは変わらぬ避けどころが必要です。山奥に逃げても変化が追ってきます。全ての変化に対し、今日の御言葉はまことに良いお知らせです。それは「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」
変化の嵐の中にいる私たちにとって、変わらぬ愛するイエスキリストこそ変わらぬ避けどころです。それは神の御子イエス・キリストです。
私たちの健康が衰えても主はこういわれます。
コリントの信徒への手紙二 12章9 「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」
困難の中にいる人にはこういわれます。
ヨハネによる福音書16章33 「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
死の影にいる人にはこういわれます。
ヨハネによる福音書 11章25 「イエスは言われた。『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる』」。
【昨日】
イエスは昨日も変わることなきお方です。
主イエスは三位一体の神として初めがありません。父と聖霊と同じように初めがない永遠のご存在です。このように言われます。
ヨハネによる福音書1章
「1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
2 この言は、初めに神と共にあった。3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」
主御自身もこういわれました。
ヨハネによる福音書 8章58:イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」
主は御自身神であられるにもかかわらず全人類の救いのため天の御国を去って貧しい人となられ馬小屋で生まれ、すべての人の僕となり、行いと言葉によって神であることを示され、最後に全人類の贖いとなられて十字架にかけられ死んで下さった。しかし墓より3日目に神の力で蘇られました。主を信じる者は誰でも救われますし復活の喜びが受けられ、死んでも主とともに永遠に生きられます。これが変わらぬ主イエスの昨日のお姿です。
【今日】
今日も変わらぬお姿とは。
主は天にあって父なる神の右に坐して私たちを執成してくださいます。
そこから神なる聖霊を遣わして私たちの働きを助けて下さいます。福音が現在も伝えられ飢えている人に食べさせ、囚われている人を解放し、圧迫された人に自由を、病めるものを癒し、主は昨日も現在も変わることなく働いておられるのです。
【永遠】
永遠に変わることなきお方とは。
主イエスが将来は変わられるのでしたら私たちの信仰は益があるでしょうか。私たちはもっとも哀れな存在になります。
コリント人への第一の手紙 15章19 もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
本当はそうではありません。主イエスは永遠の住いを用意されるために天に帰られました。
ヨハネによる福音書 14章
「1あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。2 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。3 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」
主が迎えにくるという主イエスのお言葉を信じる者は、イエスが来られるとき喜びをもって主を見ます。
おして私たちの目からすべての苦しみ、悩み、痛み、死を取り去り給います。主はこの約束を守られます。
この世にいる私たちは変わりますが、主は永遠に変わらないお方ですから、私たちは 主のお言葉を信じられ、十字架の愛のゆえに私たちを救い神の子としてくださいます。
今も主は天国で私たちのために執成して下さいます。御霊の力で歓びで満たしてくださいます。
主は永遠に変わることのないお方ですから将来の問題に答えて、約束された永遠の住いを保証してくださいます。
私たちの主イエス・キリストは、きのうも、今日も、また永遠に変わることのない方です。この主を信じ従いましょう。(おわり)
2012年08月05日 | カテゴリー: ヘブライ人への手紙
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