2012年8月19日説教「主イエス・キリストの記念」ウイリアム・モーア

CIMG7054x600.jpg2012年8月19日説教「主イエス・キリストの記念」ウイリアム・モーア
聖書:ルカによる福音書22章14~20節
説教要約(文責 近藤)

【記念碑】
人類は大昔から重要な出来事や人物を忘れないために記念碑やモニュメントを建ててきた。例えば明治天皇を記念して明治神宮を、エジプトの王はピラミッドを造り、アメリカのワシントンにはリンカン記念堂や戦没者追悼碑があります。ここには重要な人物や出来事を忘れないでくださいという願いがあります。しかしこれらの古代の記念碑はやがて崩れ去って忘れ去られます。世界一の記念碑ピラミッドさえも建てられた時には表面はピカピカの大理石でしたが今は荒れた石がむき出しです。これら記念物は年月とともにちりに帰ります。

【永遠の記念碑】
しかし世界で一つだけキリスト者の心に生きている聖餐という礼典は今も変わらずに残っています。
出エジプトの記念として過越の食事をユダヤ人は祝いました。主イエスが最後の過越祭を祝った時、その行事に新しい意味を付け加えました。ルカ福音書22章14-20節にそのことが書かれています。

ルカによる福音書22章
14 時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。
15 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。16 言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」
17 そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。18 言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

19 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

【私の記念として】
主イエスはもうすぐに起こるご自分の贖い死を通して誰でも信じる者に永遠の救いと命を約束されました。
「私の記念としてこのように行いなさい」と主は弟子たちに教えられました。キリスト者は当時から現代まで2000年間この教えを守ってきました。
聖餐式に参加することによってイエスの贖い死を感謝して記念します。

今もどこの国でもどこの教会でも主の日には教会で礼拝を守り聖餐を受けることができます。この西谷でも聖餐を受けられます。主は大きな記念碑を作ることを命じられませんでした。しかしこの聖餐は年月とともに世界中に広がり信者の各世代でもっと輝き磨かれます。

【最初の聖餐式】
12人の弟子に囲まれエルサレムにある二階の間で初めての聖餐式を主イエスは執り行われました。

その出来事は大きな霊的意味があります。これは主御自身の為でなく初めから終わりまで私たちの為です。この礼典で主の希望に満ちた新しい命が与えられました。聖餐式でイエスの死を覚え感謝をもってその意味を覚えます。そして主が再び来られるまでこの聖餐式を守ります。

『イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」

【聖餐式の意義】
私たちは聖餐のパンと葡萄酒を拝みませんが、主の犠牲のシンボルであるパンと葡萄酒を戴くことは私たちの信仰の告白になり、主の犠牲の記念になります。

【招き】
主はご自分を信頼するものを聖餐に招かれます。そうすると「わたしの記念としてこのように行いなさい。」と言われた主イエスの教えを守ることができます。

愛する兄弟姉妹、大きな感謝と希望をもってこの聖餐を戴きましょう。(おわり)

2012年08月21日 | カテゴリー: ルカによる福音書

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