「あなたに従う道を教えてください」ウイリアム・モーア2011.6.26

【ダビデ王の生涯】

今日、私達は詩編の学びを続けたいと思います。私達は詩編を第一編からずっと順番に学んで来て、今日第25編が与えられました。全体的に見れば、詩編は神の御言葉として何よりも私達に信仰を教えて下さいます。すなわち、神を信じ、頼る私達に相応しい態度と精神を悟らせます。

 

詩編の作者ダビデ王は自分の生涯において色んな経験がありました。大勝利の時があったら、どん底まで落ちた時もありました。とても元気な時期を過ごしても、力が全部抜けて病気の体験も結構ありました。イスラエルの王としてダビデは権力がありながらでも、同時に沢山の敵に襲われて、常に危機に直面しました。彼は色々な家庭内の問題もあって、悩まされました。ダビデ王は人生に高い山と深い谷のような本当に激しい人生を送りました。私達よりも遥かにもっと劇的な生涯ではないかと思います。しかし、ダビデ王は与えられた誠の信仰から離れず、いつも神の助けで失望せず立ち上がる事が出来、正しく、積極的に生きました。

 

【救いの道】

ダビデ王は生涯に於いてどんなに大変な事であっても、神は救いの道をその荒れ野を通して備えて下さいました。そして、その救いの体験と与えられた信仰を神の聖霊の導きで詩編に記しました。

 

今朝の御言葉、詩編第25編をもって、ダビデが豊かに支えられた信仰を学びたいと思います。その信仰は私達も支え、生涯の様々な荒れ野を通して救いと勝利の道へと開きます。

 

【信頼】

この個所の第一の教えは、私達は困難な時、困っている時、守って下さる愛する神を徹底的に信頼出来ます。

 

【日常生活における信頼】

私達にはごく普通の日常生活に絶対的に信頼が求められています。例えば、道路の橋を渡るのにその安全を信頼しなければなりません。つまり、その橋を設計したエンジニアと橋を整備する人を信じなければなりません。そうしないと、事故を恐れて何処へも行けません。同じようにレストランへ行くにも信頼が求められています。つまり、出された料理の材料が安全である事を信頼しなければなりません。信頼が出来なかったら、一口も食べられません。

 

同様に自分のお金を銀行に預ける事も結構な信頼がいります。必要な時、自分のお金を直ぐに銀行から貰える事が信頼出来ないと、一円も銀行に預けられないでしょう。

言うまでもなく、何かを、誰かを信頼しようとすると、その信頼の対象がとても大事であります。私達の信頼の対象の信用性がないと、信じるはずがありません。だから、信じられない橋を渡れない。信じられないレストランへ行けない。信じられない銀行にお金を預けられません。その反面、橋や、レストランや、銀行などを信頼すると、そのさまざまな成果を得られます。同じように唯一の誠の神を信頼すると、神の恵みと助けも頂けます。

 

【試練に襲われる時も】

詩編第25編の背景が詳しく記されていませんが、結構困難な時期だと思います。ダベデ王の敵が迫って来て、彼に酷い恥をかかせようとしました。その時代、敵が王を倒すと、色んな事で王に恥をかかせました。そうすると、国民の目に王の評判が汚れて来て、もう王権を取り戻す事が出来ませんでした。ダベデ王はそう言う大変な事に直面すると、このように神に祈りました。今日の御言葉の1節から3節まで見て下さい。「主よ、私の魂はあなたを仰ぎ望み、わたしの神よ、あなたに依り頼みます。どうか、私が恥を受ける事のないように敵が誇る事のないようにして下さい。あなたに望みをおく者は誰も決して恥じを受ける事はありません」とダビデ王が切に祈ったのです。

 

【危機に直面したダビデ】

ここで非常な危機に直面したダビデは何をしましたか。困難から救われる為に人を信じましたか。また、自分の知恵や、力や、地位や、富などを信頼しましたか。決してそうではありません。神のみに依り頼み、主のみに自分の望みに置きました。ダビデ王は自分の助けが神から来ると心から信じて、危機に直面した時も失望せず、大きな安心がありました。信頼の対象は愛する全能の唯一の神ですから、そう言う信仰が出来ました。

 

【助けと救いは真の神から】

愛する兄弟姉妹、私達の助けと救いも神から来ます。どんな事があっても、どんなに難しい状態に直面しても、我々の神は救う力と能力があります。ですから、困難の際、私達は最終の手段として神に祈りません。つまり、他の解決方法全てを尽くしてから神に頼りません。返って、私達はダビデ王と同じように始めから主を信じ、主に祈ります。信頼の対象として私達の力と人の力、更に運よりも、そして勿論実際に存在していない作り上げた神々よりも全能の神は遥かにもっと信頼性があるからです。

 

【御子イエス・キリスト】

神の御子イエス・キリストは大きな、大きな愛を持って、私達の永遠の救いの為に御自分の命を十字架で捨てて下さいましたので、言うまでもなく私達の祈りを聞いて、共にいて、守って下さいます。ですから、困難な時、私達キリスト者は先ず、信仰を持って神を迎ぎ望み、依り頼みます。そうすると、神は私達の祈りを聞いて、私達の為にベストな結果をもたらして下さいます。

 

【混乱の時】

詩編第25編の第二の教えは、私達は困難の時だけではなく、混乱の時も何よりも神の導きを求めるべきです。この世は変わりつつあるものです。特に現代の社会は常に変わります。そして、私達は将来が分かりません。また、勿論人間は将来を保証出来ないのです。分からない未知の事が保証出来るはずがないからです。その結果、目まぐるしい変化するこの世に住む私達は不安と混乱です。

 

【ギリシアの問題】

最近ギリシアと言う国がよくニュースに出て来ます。そして、残念ながら、それは良い理由ではないのです。ギリシアと言う国家の財政はパンクになりそうな状態なので、大混乱です。実は、国は国民の一人当たりの借金は四百万円程になり、その借金を払い戻す事が出来なくなりました。そして、外国からの財政的援助を受ける為に色んな厳しい条件が付いてあります。税金が増やされ、年金がカットされ、教育と社会福祉の出費も大分減らさなければなりません。また国は出来るだけ沢山の財産を売り出さなければなりません。更に、公務員の給料も減らす事になりました。ですから、国民は混乱して、将来が恐ろしいものになりました。生活水準が大分下回る事になり、特に期待された楽な老後生活は昔の夢に過ぎない状態です。実は、これは遠いギリシアの問題だけではありません。アメリカも日本もその同じような財政上の危機が迫って来る可能性が十分あります。

 

【私たちの絶対的指導者】

このような激動の混乱な世にいる私達は神の御指導と導きが絶対に必要とします。時間に限られていない神のみは将来が分かりますので、私達を正しく導く事が出来ます。ですからダビデ王はその大事な事実を悟り、続けて神にこう祈りました。

 

【あなたに従う道を教えてください】

今日の個所の4節を見て下さい。「主よ、あなたの道を私に示し、あなたに従う道を教えてください。あなたは誠に私を導いて下さい。教えてください、あなたは私を救ってくださる神。絶える事なくあなたに望みをおいています。」

 

神が備えて下さる正しい道を歩むと、私達はこの世の混乱と将来を恐れなくても良いのです。主は御旨に従って私達を導いて下さるからです。そしてそこには比較出来ない程の平安があります。その故にダビデと同様に私達は心から常にこう祈ります。「主よ、あなたの道を私に示し、あなたに従う道を教えてください。あなたは誠に私を導いて下さい。教えてください、あなたは私を救ってくださる神。絶える事なくあなたに望みをおいています。」

 

このように祈れば、神は将来をも通る道を教えて頂き、その道を歩むように必要な力と勇気を与えて下さいます。私達キリスト者は神に従う道を絶えず主に聞き、そして導かれると、その道に迷いません。

 

【罪を犯しても主の赦しを祈る】

最後に今日の御言葉からもう一つの大事な教えがあります。それは罪を犯すと主の赦しを祈らなければなりません。私達は毎日神に対しても、隣人に対しても罪を犯します。それは反駁出来ない事実であります。アダムとエバの罪の結果、全人類が自己中心的に生まれ、罪人です。ですから悔改めと赦しが必要とします。

 

ダビデ王は自分が罪人である事を心から認め、赦しを祈りました。6節と7節にこのダビデの祈りが記されています。「主よ思い起こして下さい、あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。私の若いときの罪と背きは思い起こさず、慈しみ深く、御恵みの為に、主よ、私を御心に留めて下さい。」

 

また、11節にダビデはこう祈りました。「主よ、あなたの御名の為に、罪深い私をお赦し下さい。」

 

神の御独り子主イエス・キリストは御自分の十字架の贖い死の値段で私達の罪の赦しをもう既に獲得して下さいました。しかしながら、私達は罪を犯すとその罪を悔い改め、神から赦しを祈るべきです。

 

私達は主イエス・キリストによりもっと似ていく道を歩んでいるからです。更に、主の祈りに私達はこう祈ります。「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。」つまり、神の大きな赦しを頂いた私達は隣人を心から赦さなければなりません。そして、私達は赦す心がないと自分自身の罪深さとイエス・キリストの憐れみの理解と感謝が欠けてしまいます。ですから、私達キリスト者は常に罪を告白し、悔改め、神の赦しを新たに祈ります。

 

【ダビデ王に倣う】

第一に、ダビデ王は困難な時、困っている時も、先ず守って下さる愛する神を徹底的に信頼し、その助けと救いを期待しました。

 

第二に、彼は混乱の時も何よりも良い将来の為に神の導きを求めて、その道に従いました。

 

そして最後にダビデは罪を犯すと、悔改め、主の赦しを心から祈りました。

 

愛する兄弟姉妹、この三つの教えは我々の信仰の中心にあり、主の助けで実行すると大きな恵みが伴います。どうか、ダビデ王のお祈りが私達一人一人の祈りになります。 

 

詩編25篇「1;主よ、私の魂はあなたを仰ぎ望み、2;わたしの神よ、あなたに依り頼みます。どうか、私が恥を受ける事のないように敵が誇る事のないようにして下さい。3;あなたに望みをおく者は誰も決して恥じを受ける事はありません。いたずらに人を欺(あざむ)く者が恥を受けるのです。 4;主よ、あなたの道を私に示し、あなたに従う道を教えてください。5;あなたはまことに私を導いて下さい。教えてください、あなたは私を救ってくださる神。絶える事なくあなたに望みをおいています。6;主よ思い起こして下さい、あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。7;私の若いときの罪と背きは思い起こさず、慈しみ深く、御恵みの為に、主よ、私を御心に留めて下さい。」(おわり)

2011年06月26日 | カテゴリー: 旧約聖書 , 詩篇

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