「神への唯一の道」ウイリアム・モーア2011.6.12.
【主イエス・キリストの驚くべき発言】
聖書を読むと、一つの事が明白になります。それは、主イエス・キリストは驚くような発言をよくなさいました。その発言は人間の常識を超えたので、その当時に聞いた人々も、今の私達も驚かせます。例えば、「自分の命を得ようとする者は、それを失う」(マタイ10章39)。「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」(マルコ10章31)。「柔和な人々は、幸いである、その人達は地を受け継ぐ」(マタイ5章5)。「敵を愛し、自分を迫害する者の為に祈りなさい」(マタイ5章44)。「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒言行録)。
【私は道であり、真理であり、命である】
上述の主の教えは驚かせますが、最もびっくりさせる発言は、今日与えられた御言葉の中に書いてあります。それはヨハネによる福音書14章6に記されています。「主イエスは言われた。『私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行く事が出来ない。』」恐らくこの御言葉は主イエス・キリストの発言の中でどんな発言よりも人を躓かせ、むっとさせるでしょう。
【神への唯一の道】
この大胆な主張は高慢、度量の狭さ、頑迷などと言われる事があります。しかし、主イエスが御自分は神への唯一の道であり、最高の真理であり、全人類に真の命を与えるお方とおっしゃると、決して高慢ではなかったのです。しかも、それは人に聞かれなければならない一番重要な事実を伝えたのです。実は、御自分の深い哀れみからその最も大事な真理を啓示して下さいました。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行く事が出来ない」と言うイエス・キリストの啓示は、私達人間にとって並ぶもののない重要な真理です。
【宗教についての間違った仮定】
しかし、主イエスの主張はいったい何故そんなに論争的なものなのでしょうか。一つの理由は主イエスの主張が宗教について、よく信じられている仮定に反対します。その仮定は誤っていますが、現代の社会に結構認められているようです。
【その1;全ての宗教は基本的に同じか】
第一の誤った仮定は、「全ての宗教は基本的に同じものです。」皆さんもその仮定を聞いた事があると思います。「各宗教の表面的相違を取り除くと、大抵同じ事を教えるのです。それは、全ての人間は兄弟、そして神は私達の親のようです。ですから、どんな宗教を信じても構いません。全ては私達を同じ所へ導くからです。」
言うまでもなく、多くの宗教は似たような道徳と価値観を教えます。その故にある程度の共通点がありますが、重要な相違もあるのです。
実は、イエス・キリストの宣言、「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行く事が出来ない」とは、キリスト教を他の宗教から弁別します。と言うのは、もしイエス・キリストは神への唯一の真の道であるのなら、他には有効な道はないはずです。つまり、キリスト教の独特さはイエス・キリストの独特さに基づいています。
他の宗教の創立者はこう言います。「私に従ったら、真理を探す方法を教えます。」しかし、イエス・キリストのみは、「私は真理であります」とおっしゃいます。他の宗教の指導者は、「わたしに従ったら、救いの道を悟らせます。
主イエスは、「 私は永遠の命への道である」と言われます。他の宗教の先導者は、「私に従ったら、悟らせます」と言いますが、主イエス・キリストは、「私は世の光である」と宣言されました。他の宗教家は、「私に従ったら神への多くのドアを教えます。イエス・キリストは、「私こそが神へのドアであります。ですから、私に従いなさい」と言います。
【救いは神の一方的恵み】
他の宗教は信者の自力と努力に基づいています。すなわち、一生懸命に頑張って善行を積んで、また儀式を励み行ったら、神の好意を勝得る事が出来ます。それに反しイエス・キリストは神の独り子として、深い愛を持って、御自分の手を常に私達に差し伸べておられます。また、人間は自力で救いを勝得る事は全く不可能である事も教えられました。
実は、天の父なる神様は御独り子イエス・キリストを救い主としてこの世に遣わされました。罪の全くない主イエスは十字架で私達の罪を贖って下さいました。その故に私達は罪のない者として神によって受け入れられ、プレゼントとして、その救いと愛を永遠に頂けます。ですから神の好意と救いは全く一方的な恵みです。
【放蕩息子の譬え】
イエス・キリストの放蕩息子の譬え話と他宗教の良く似た譬え話を比較すると、放蕩息子の譬え話はキリスト教の特性をよく示します。両方の譬え話は家出する自己中心的な息子のお話です。両者は自分の間違えを認め、家族に和解する為に家に帰りました。
しかし、他宗教の譬え話には、息子は何年間の重労働で自分の罪の報酬を払わなければなりませんでした。それに反し、主イエスの譬え話の放蕩息子は、直ぐに愛する父親によって赦され、完全に受け入れられました。
愛する兄弟姉妹、全ての宗教は基本的に同じものではないのです。御覧になりましたように、キリスト教と他の宗教には基本的な所から相違があります。ですから、どんな宗教を信じるのはとても大事な事です。
【その2;どんな宗教でもその有効性と真理は同じか】
宗教について第二の誤った仮定は第一と関連があります。第二は、「色々な宗教の中で重要な相違があっても、どんな宗教でもその有効性と真理は同じです。あなたは、あなたの真理があって、私も私の真理があります。」
日本にも宗教の自由が国によって保証されています。宗教の自由は本当に大事な、必要な権利になります。実は、私の先祖は宗教的自由を得る為に、数百年前にヨーロッパを捨てて、アメリカへ渡りました。しかし、皆の為に宗教の自由が国によって守られても、全ての宗教の有効性と真理は同じ訳ではありません。他の事と同じように、宗教に関しても真理と誤りがあるのです。
勿論、誰でも主イエス・キリストと同じように、 「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行く事が出来ない」と言えるでしょう。当然ですが、ただ何かが言える事だけでその真理を保証出来ません。ですから、主イエスが御自分の驚くべき発言をすると私達はその真理をどうして確かめられますか。
【キリストの真理の証明;預言の成就】
初めに、イエス・キリストは自分の御降誕の数世紀前の神の預言者の預言を成就されました。旧約聖書の60個所以上には救い主の事が預言されました。救い主の故郷と誕生地や、乙女に生まれさせる事や、譬え話で人々を教える事や、友人によって裏切られる事や、十字架で処刑された事や、お墓から蘇られた事なども預言されました。そして、主イエスはその全ての預言を果たされました。
愛する兄弟姉妹、それはただ偶然ではありませんでした。イエス・キリストは神の御子とこの世の唯一の救い主であるからこそ、神の預言を成就する事が出来たのです。
【奇跡】
また、イエス・キリストが行った奇跡も御自分の資格と真理を示します。御自分の言葉で人の難病を癒されました。男の子の弁当から何千人も満腹させました。水を葡萄酒に代えたり、嵐を静めたりしました。それは勿論マジックではなかったが、神の独り子としての力です。
【主イエスの復活】
更に主イエスの復活によって御自分が言われた事の真理が分かります。と言うのは、父なる神は偽りを言う人を死者の中から蘇えらせるはずがないからです。主の復活によって神が御子の真理と地上のお働きを確証されました。また、500人以上の目撃者は蘇られた主イエスに出会いました。
愛する兄弟姉妹、私達が信じる事はただ私達にとっての個人的真理ではありません。それは唯一の全能の神の真理であります。そして、宗教と言われるものには真理があれば、偽りと過ちもあるはずです。
【その3;度量の狭さと頑迷の現れか】
最後に、宗教について第三の誤った仮定はこれです。「キリスト者はイエス・キリストが神への唯一の道であると言うと、それは度量の狭さと頑迷の現れです。」もし、実際に神への沢山の道があるのならば、その態度は度量の狭いだけではなく、更に偽りです。
しかし、罪が一つもない神の独り子イエス・キリストのみが私達の罪の贖いになり、人を聖い者として神の御前に連れて下さる資格と力があります。ですから、私達は神の真理を認め、その最も重要な真理を周りの者に分ち合うと、それは決して度量の狭さや、頑迷などではありません。
【正しい治療法】
医療から類推して説明しましょう。ある夫婦には赤ちゃんが生まれました。しかし、その子は新生児黄疸と言う血液型不適合が原因の病気にかかり、肌と目も黄色になりました。小児科の先生は赤ちゃんの両親に病状を説明しました。その病気は結構危ないけれども治療は簡単です。ただ赤ちゃんを特別な紫外線ライトの下に置いたら、黄疸が分解され肝臓から排泄されます。
両親は説明を聞いて、先生にこう言いました。「病気と比べ、治療はちょっと簡単過ぎるじゃないですか。赤ちゃんをライトの下に置くだけより、石鹸でごしごし擦り洗いましょう。そして、それでも不十分であるのなら、赤かちゃんを漂白剤に入れましょう。一生懸命にやったらきっと黄疸がとれ、元気になります。」
先生は、「それは駄目です。治療は本当に一つしかありません」と答えても両親は次にこう言います。「病気を知らないふりをしましょう。慣れたら、黄色い赤ちゃんも可愛く見えて来るでしょう。何もしなくても、大丈夫だと心から信じます。」
先生はまたこう言います。「放置すると、赤ちゃんの病気が深刻になる可能性が十分あります。一つの方法のみが効果があります。私はこの病気をよく研究して、ライト・セラピーで沢山の患者を成功裡に治療して来ました。赤ちゃんの為に私を信じて下さい。」
もし両親がやっとのことで先生の声を聞いて、勧められた治療方に応じると、それは度量の狭さと頑迷(がんめい)の現れだと思われますか。とんでもありません。両親はようやく賢くなり、理にかなった決定をしました。
【主イエスこそ完全なる癒し主】
全ての人間は、例外なく罪と言う病にかかっています。我々キリスト者は唯一の治療を受け、大いなる医師イエス・キリストを信じ頼ります。人は自分の善行を持って、一生懸命に罪をごしごし擦り洗おうとしても、効果的ではありません。また、その病を知らないふりをして、自然に治ると思いたくても、それは全く甘い考えです。イエス・キリストのみは効果的治療を提供出来ます。そして主イエスは無償で私達の病を治して下さいます。御自分の十字架死のお陰で主はもう既に私達に代わって罪の報酬を払ってしまいましたからです。
私達は主イエス・キリストと主御自身の賜物をただ心から受け入れる立場です。そうすると、「私は道であり、真理であり、命である」とおっしゃるイエス・キリストは豊かに祝福して下さいます。主は道として生涯、私達に正しい目的と満足のある生き方に導いて下さいます。主は真理として私達に現実を見させて、必要な知恵を与えて下さいます。そして、主は命として救いと平安を与え、父のもとに案内して下さいます。愛する兄弟姉妹、この主イエス・キリストに従いましょう。(おわり)
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