「あなたに従う道を教えてください」ウイリアム・モーア2011.6.26
【ダビデ王の生涯】
今日、私達は詩編の学びを続けたいと思います。私達は詩編を第一編からずっと順番に学んで来て、今日第25編が与えられました。全体的に見れば、詩編は神の御言葉として何よりも私達に信仰を教えて下さいます。すなわち、神を信じ、頼る私達に相応しい態度と精神を悟らせます。
詩編の作者ダビデ王は自分の生涯において色んな経験がありました。大勝利の時があったら、どん底まで落ちた時もありました。とても元気な時期を過ごしても、力が全部抜けて病気の体験も結構ありました。イスラエルの王としてダビデは権力がありながらでも、同時に沢山の敵に襲われて、常に危機に直面しました。彼は色々な家庭内の問題もあって、悩まされました。ダビデ王は人生に高い山と深い谷のような本当に激しい人生を送りました。私達よりも遥かにもっと劇的な生涯ではないかと思います。しかし、ダビデ王は与えられた誠の信仰から離れず、いつも神の助けで失望せず立ち上がる事が出来、正しく、積極的に生きました。
「復活した主を見た」大西良嗣・滋賀摂理教会牧師2011.6.19
聖書:ヨハネ20章11~18 【はじめまして】 おはようございます。滋賀摂理伝道所から参りました大西良嗣と申します。 本日は、関西地区伝道協議会内の講壇交換ということで、めったにない機会を与えられて、西谷伝道所の礼拝で奉仕をさせていただけることになり、感謝をしております。神学生時代には、毎年、近藤長老に健康診断をしていただいて、お世話になりましたが、西谷伝道所の礼拝に出席させていただくのは初めてです。少し前までは、西谷集会所と呼んでいたと思いますが、少し前に伝道所となられましたね(中会に伝道所開設の届が出された時、わたしはその時、中会の副書記をしておりましたので、中会議場で挨拶された方々のお名前を書き留めたことを憶えております。)そして、今は会堂を取得することに取り組んでいらっしゃるということをうかがっておりまして、ぜひ訪れてみたいと願っておりました。 【マグダラのマリアに起こった変化】 ともに御言葉から教えられたいと思います。 今日の個所では、マグダラのマリアという一人の女性に起こった変化に、特に注目をして読んで行きたいと思います。 この変化は、いわば「信仰的な」変化です。その変化は、復活されたイエス・キリストとの関わりの中で起こりました。 マリアとイエス・キリストとの関わりをたどることで、この「信仰的な変化」が私たち一人一人にも起こる可能性があること、この「信仰的な変化」が自分自身にも与えられている希望であることを確かめたいと願っています。
「神への唯一の道」ウイリアム・モーア2011.6.12.
【主イエス・キリストの驚くべき発言】
聖書を読むと、一つの事が明白になります。それは、主イエス・キリストは驚くような発言をよくなさいました。その発言は人間の常識を超えたので、その当時に聞いた人々も、今の私達も驚かせます。例えば、「自分の命を得ようとする者は、それを失う」(マタイ10章39)。「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」(マルコ10章31)。「柔和な人々は、幸いである、その人達は地を受け継ぐ」(マタイ5章5)。「敵を愛し、自分を迫害する者の為に祈りなさい」(マタイ5章44)。「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒言行録)。
【私は道であり、真理であり、命である】
上述の主の教えは驚かせますが、最もびっくりさせる発言は、今日与えられた御言葉の中に書いてあります。それはヨハネによる福音書14章6に記されています。「主イエスは言われた。『私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行く事が出来ない。』」恐らくこの御言葉は主イエス・キリストの発言の中でどんな発言よりも人を躓かせ、むっとさせるでしょう。
続きを読む: 「神への唯一の道」ウイリアム・モーア2011.6.12.
「神の民の喜ばしい祝宴」ウイリアム・モーア2011.6.5.
聖書:コロサイの信徒への手紙3章15−17
【聖餐式と私たち】
今日、私達は新たに聖餐式に預かろうとします。そして、我々の日本キリスト改革派教会は全ての改革主義教会と同じように聖餐式を重んじて、非常に真剣に扱っています。ですから、日本キリスト改革派教会の式文に於ける聖餐式の典礼文にこう書いてあります。「聖餐を受ける者は、神の御前に、自分自身を吟味し、悔改めと信仰を表さなければなりません。また、主を頭とする教会の枝である事を覚え、愛の一致を表さなければなりません。」
つまり、聖餐式を正しく頂く為に心と魂の準備が必要であります。自分の行動と信仰生活を省みて、そして、罪を悔い改めてから聖餐式を受けた方が良いと勧められています。
【宗教改革者ジョン・カルヴィンと聖餐】
実は、宗教改革者であるジョン・カルヴィンは聖餐の純潔を守る為に、信者が礼典にあずかる前に、彼らを面接して、信仰の状態を量りました。そして、合格した信者には、 硬貨に似たトークンが与えられ、それを持って聖餐式を受けました。その反面、面接を失敗した場合、聖餐を頂く事が出来ませんでした。
その結果、聖餐式は非常に厳かなものになり、多くの信者は自分がふさわしくないままで礼典を受ける事を恐れました。ですから、聖餐式は非常に暗くなり、あんまり喜びのない礼典になりました。
2011年06月05日 | カテゴリー: コロサイの信徒への手紙 , 新約聖書