「あなたがたは何を求めていますか」ウイリアム・モーア2011.5.22.
聖書:ヨハネによる福音書1章35−42
【人間は神を信じるように造られた】
この間、新聞で非常に意義深い記事が目に留まりました。その記事には「研究によりますと、人間は神を信じるように造られた」という見出しがついていました。有名な英国のオックスフォード大学は3百万ドルを掛け、三年間にわたり、その研究を行いました。人類学者、心理学者、哲学者と神学者の幅広い知識を用いて、重要な結論を出しました。研究の結果では、人間は本能的に神と死後の生を肯定します。つまり、私達は人間として、生まれながら霊的な意識を持っています。例えば、子供は超自然界の存在を当たり前の事として想定します。また、人間は死ぬと、魂が残ると言う本能的な確信を私達は持っています。その確信は文化と時代を超える全人類の共通的な仮定です。
【神はなぜ人を創造されたか】
実は、私はその研究の結果にちっとも以外だとは思われませんでした。なるほどと思ったのです。何故なら、御言葉によりますと、愛する神は人間を創造された時、私達が御自分を信じるように、わざわざお造りになりました。さらに、御自分を愛するように、また、御自分との交わりを持つ為にと、主の大きな恵みを受ける為に私達が特別に造られました。
創世記1章27に記されていますように、「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。」つまり、他の造られた生き物と違って、私達人間は神を知り、神様と共に歩むことが出来ます。
【神不在の人生】
従って、そのように造られた私達は創造主である、愛する神の交わりを断って、誠の神が存在していないように生活をすると、私達は不安であり、空しいです。
それは私達の目的に逆らっているからです。誰かが言いましたけれども、「全ての人間には神の形の穴が空いています。そして、神のみがその穴を満たす事が出来る。」
【聖アウグステイヌス】
同じように、古代神学者である聖アウグステイヌスはこのように書きました。「神よ、あなたは私達を、御自身に向けてお造りになりました。ですから、私達の心はあなたのうちに憩うまで、安らぎを得る事が出来ないのです。」
【心の穴】
愛する兄弟姉妹、私達一人一人の心には穴が空いています。正直であれば誰でもその穴を悟り、感じます。そして、神のみがその空しさを起こす穴を満たし、安らぎを授ける事が出来るのです。
【心の穴を満たす御子イエス・キリスト】
言うまでもなく、神の御子イエス・キリストは私達にある神の形の穴の事がよく御存じです。実は、その穴を満たす為、安らぎを授ける為に、主はこの世に遣わされました。罪の故に私達は神から離れ、主との交わりが壊されてしまいました。しかし、イエス・キリストの十字架の贖い死のお陰で私達は完全に赦され、神との関係が回復され、主の子供になりました。
今日与えられた御言葉の背景は主イエスが御自分の公的なお働きを始めるところでした。主が預言者バプテスマのヨハネに出会ったとき、ヨハネはイエスについてこのように宣言しました。
「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方は私にまさる。私よりも先におられたからである』と私が言ったのは、この方の事である。私はこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、私は、水で洗礼を授けに来た。」(ヨハネ福音書1章29−31)
【見よ、神の子羊だ】
バプテスマヨハネはイエスを昔から神によって約束された世の救い主として認めました。イエス・キリストの身分は彼の身分よりも遥かに偉い、その役割も自分の役割より比べられない程もっと重要であるとヨハネは悟りました。そして、今日の個所の35節から記されているように、「その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、『見よ、神の子羊だ』と言った。」
ユダヤ教には子羊は生け贄にしましたので、ここでのバプテスマヨハネの意味は前と同じように、「世の罪を取り除く神の子羊」です。つまり、主イエス御自身が私達の罪の赦しを得させる為の生け贄になると言う事です。
【ヨハネの二人の弟子】
一緒にいたバプテスマのヨハネの二人の弟子はその宣言を聞いて、「イエスに従った」と書いています。一人はシモン•ペトロの兄弟アンデレでした。もう一人の名前が記されていないが、恐らくこのヨハネによる福音書を書いたヨハネでした。とにかく、バプテスマのヨハネに従ったその二人は、主人のイエスに対する証を聞いて、何も言わずにイエスの後について弟子として従おうとしました。
【何を求めているのか】
そして、「イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、『何を求めているのか』と言われました。」
「何を求めているのか」はちょっと思い掛けない質問だと思います。一般の常識だったら、イエスはそのような冷たい質問をしなかったはずでしょう。その二人はバプテスマのヨハネから離れ、イエスの始めての弟子達になる事はとても嬉しい事だったでしょう。ですからイエスはもう少し積極的に彼らを歓迎すべきではありませんか。しかしながら、弟子として従おうとした二人にただ、「何を求めているのか」とお尋ねになりました。
【弟子になる動機】
勿論、全ての人の心を見抜ける主イエスは彼らの動機がもうすでに分かりました。ですから、その質問は弟子になろうとした、その二人の為でした。彼らはイエスの弟子になる自分の動機について真剣に考えさせる目的で「何を求めているのか」と聞きました。
主イエス・キリストは私達にもその同じ質問をします。「何を求めているのか。」つまり、「私から何を求めているのか。あなたの為に何がほしい。あなたはおもに何の為に生きていますか。人生から何を求めていますか。あなたの最大の希望と期待は何でしょうか。」イエス・キリストはそのような質問を私達にも問い掛けています。
実は、全人類の一番根本的なニーズは前に言及した主のみが満たす事が出来る、人間の心に於ける神の形の穴の問題です。聖アウグステイヌスが言った通りです。
「神よ、あなたは私達を、御自身に向けてお造りになりました。ですから、私達の心はあなたのうちに憩うまで、安らぎを得る事が出来ないのです。」
【神との交わり】
していようがいまいが、私達は何よりも神の赦しと神の交わりが必要としています。それのみが私達を満たす事が出来ます。詩編第42篇2−3aは私達の状態をよく表現します。「かれた谷に鹿が水を求めるように、神よ、私の魂はあなたを求める。神に、命の神に、私の魂は渇く。」
【渇いた魂】
弟子になろうとしたその二人は主イエスの「何を求めているのか」の質問にどう答えましたか。実は、表面的にはその答えは質問にあまり合いません。「何を求めているのか」と言う質問に彼らは「先生、どこに泊っておられるのですか」と答えました。勿論、彼らは主イエスの宿の住所を聞いた訳ではなかったのです。
実は、渇いた魂を持ったその二人はイエスの交わりを求めていました。イエスと共にいて、主についての事を知りたかったのです。「世の罪を取り除く神の子羊」の意味を分かろうとしました。
愛する兄弟姉妹、あなたはイエス・キリストから何を求めていますか。どういう動機で今朝ここに集い、また主イエスに従っていますか。私達は天に召される時までその質問について考えるべきです。キリスト者であるならば、私達は主との交わりを深め、神をよりもっと愛し、忠実に仕える事を第一に求めます。その事こそが渇いている魂を満たします。その事のみが真の生き甲斐と目的を与えるのです。
【先生、何処におられるのですか】
弟子になろうとしたその二人は、「先生、何処に泊っておられるのですか」と聞くと主イエスはこのように答えられました。39節にその返事が記されています。「来なさい。そうすれば分かる」とおっしゃいました。
【主イエスに従う】
その日から、彼らは主イエスについて行って、仕えました。日々イエスの交わりを頂き、主から学びました。イエスを通して神の大きな愛を体験しました。そして、その愛の最大の表現である、神の子羊であるイエス・キリストは十字架で御自分の命を私達の為にお捨てになりました。主イエスについて行く事によって彼らの渇いた魂が満たされ、主を神の独り子と救い主として信じるようになりました。そして、その信仰に強められた彼らは、最後まで蘇られたイエス・キリストに忠実に仕え、大きな働きが出来たのです。
【ついて来なさい。そうすれば分かる】
愛する兄弟姉妹、主イエス・キリストは私達一人一人にも、「来なさい。そうすれば分かる」とおしゃっています。そして、その同じ復活の主は私達にもこう招いておられます。「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、全ての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいた事を全て守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28章18−20)
愛する兄弟姉妹、イエス・キリストについて行きましょう。そうすれば分かります。
【祈り】--あなたがたは何を求めていますか
愛する天の父なる神様、「あなたは私達を、御自身に向けてお造りになりました。ですから、私達の心はあなたのうちに憩うまで、安らぎを得る事が出来ません。」そして、御子主イエス・キリストを通して、あなたは私達の心の真の憩いを授けて下さいました。イエス・キリストの十字架の贖いのお陰で主を信じる者は罪の赦しを頂き、あなたの子供になります。永遠まであなたの救いと交わりによって豊かに満たされます。
神様、どうか御子イエス・キリストについて行く事によってあなたの恵みを悟らせて下さい。そして、信仰を通してその恵みを受け入れるように私達一人一人を導いて下さいますようにお願いします。(おわり)
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