「神の子となった私たち」ウイリアム・モーア2011.5.15.

聖書:ガラテヤの信徒への手紙3章26~4章7

 

【韓国旅行の思い出】

数年前に家内と私は韓国の大田市で開催する、米国長老教会の宣教団の集まりに参加しました。そして、私達は帰りに用事があってソウルで二泊しました。その間にちょっと時間があったので、ある有名なデパートに入り、地下の食品売り場をうろうろしました。その中には勿論キムチの売り場や、お肉屋さんや、果物とお野菜の店などがありましたが、特に面白いのはお茶の売り場でした。何故なら、韓国は、戦争と貧困の故に、お茶の文化が大分衰えて来ましたが、最近の経済発展と伴い、お茶もブームになり、色んな昔のお茶の種類が盛んになりました。とにかく、歩きながら韓国伝統のお茶屋さんの前に止まりました。丁度試飲の時で足も疲れていたので、招待されるままに茶屋に座りました。

家内は座る途端、そのお茶の産地などを聞いたり、入れ方などで話が進みました。お茶の産地は南の方で1920年代から祖父がいた地方でもありました。

 

【ボイヨル先生】

私はお茶を頂き、「カムサハムニダ」と一言言いました。そしてお茶屋さんの御主人は私の顔をずーと見ながら「ボイヨル先生、ボイヨル先生」と言いました。実はボイヨルという名前は祖父の韓国名でした。

 

言うまでもなく、私はびっくりしました。全く初めて会ったお茶屋さんの主人が私の顔を見ると、40年以前に亡くなった祖父を思い出しました。私はそれ程祖父に似ていなかったと思っていたのですが、祖父に多少は似ていたようです。

 

もう少し話すと、お茶屋さんはキリスト者で、教会の長老でもありました。青年の時、私の祖父が携わったミッション・スクールの生徒であって、よく覚えていて祖父に助けてもらった話もしました。帰りにはお茶とか色々なお土産までくれました。

 

【あなたは誰に似ていますか】

皆さんは誰に似ていますか。自分のお母さんですか。お父さんでしょうか。それとも、私のように祖父の方ですか。今日の御言葉のガラテヤの信徒への手紙3章26と27節にこう記されています。「あなたがたは皆、信仰により、キリスト•イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」

 

【全ての人々は神の子供】

私達は 信仰により、キリスト•イエスに結ばれて神の子なのです。」しかし、ある説によりますと、例外なく、この世の全ての人々は神の子供であります。勿論、神は全人類を御自分にかたどって特別にお造りになりました。そして、人間は同じ造り主があるので、全人類は兄弟姉妹です。

 

【キリスト•イエスに結ばれた神の子】

けれども霊的に言えば、私達人間は神の子となるのは一つの方法しかありません。それは、恵みにより信仰によってです。 私達は 信仰により、キリスト•イエスに結ばれて神の子なのです」と記された通りです。

 

【キリスト者はイエス・キリストに似る】

主イエスは御自分の十字架の贖い死を通して私達を救い、神からの義を授けて下さいました。そして私達は信仰によってその恵みを受け神の子となります。

ですから、誰でもキリスト者になると、同時に神の子にもなります。そして、神の子として私はイエス・キリストに似ていきます。つまり、周りの者は私達を見ると私達にはイエス・キリストの類似を見るはずです。

 

【キリストを着る】

洗礼を受けた私達はキリストに結ばれて、「キリストを着ている」と書いてあります。つまり、私達の態度と価値観と行動も主イエスに似ていくと、私達を通して相手は少しでもイエス・キリストの姿が見られます。

 

【子供の衣服を脱いで】

当時のローマ市民は成人になると、必ず子供の衣服を脱いで、その時から大人に相応しい着物を毎日着ました。そして、子供の衣服を捨て大人の着物を着ると、自分が子供の振る舞いと考え方も止め、成人らしく生き始めました。

 

【新しい衣服に着がえる】

同様に、私達はキリスト者になると古い人間の 習慣や、自己中心的考え方と行動や、不信仰な態度などを脱いで、イエス・キリストの愛と謙遜と献身という新しい衣服に着飾ります。

 

古いものは捨て去り、新しい、神の子らしくものを身に付けます。そうすると、周りの者は私達のその変化に気付くはずです。そして、神の子である私達を通して皆はイエス・キリストの姿を反映して見られるし、主の香りも感じるはずです。

 

愛する兄弟姉妹、神の子となった私達はイエス・キリストに似て来て、私達の救い主の愛を隣人に見せる事は私達の最高の喜びと特権であります。ですから、私達は全ての事に於いて、遠慮なく主の姿を反映すべきであります。

 

主イエスはこう言われました。「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れる事が出来ない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイによる福音書5章14−16)

 

【キリスト•イエスにおいて一つ】

神の子となった私達はもう一つの特徴を主から頂きます。今日の個所の28節にこう記されています。「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト•イエスにおいて一つだからです。」つまり、同じ父なる神がありますので、神の子としてキリスト者はお互いに基本的な統一と平等をもっています。

 

【割礼のあるなしは問題でない】

その当時、あるユダヤ系のキリスト者は、自分達が異邦人のキリスト者、すなわちユダヤ系ではない信者よりも偉いと思っていました。ユダヤ系の場合、旧約聖書の全ての細かいルールまでも守り、また割礼を受けなければならなかったら、神によって受け入れる事は難しいと説いていました。結局、異邦人がキリスト者になる為には先ず、ユダヤ教のルールと伝統に従う義務があると説いた訳です。また、当時のあるユダヤ教の先生は朝起きるとこのような祈りを捧げました。「私を異邦人として造らなかった神の御名を誉め称えます。また、奴隷や無知な人として私を造らなかった神に感謝します。そして、女として私を創造しなかった事をも、主にとても有り難く感謝します。」

 

そのような背景から来たあるユダヤ系のキリスト者は差別をつけ、異邦人のキリスト者を見くびっていて、彼等は実際に本当のキリスト者ではないとまでも主張したのです。

 

その問題に対して使徒パウロはこう宣言しました。「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト•イエスにおいて一つだからです。」

 

キリストの教会に於いて人種的、文化的な差別は赦してはいけませんと言う事です。イエス・キリストの福音は全人類の為の賜物なので、キリスト者になるように先ずユダヤ人になる訳ではありません。神の子は神の子ですから、文化的な要求は大きな誤りです。

 

【奴隷も自由人もない】

更に、キリストの教会には社会的な地位は無関係な事です。「奴隷も自由な身分の者もない」と記されています。ローマ帝国には奴隷が沢山ありました。その人口の三割程は奴隷の身分であって、教会にも奴隷がいました。そして、ある奴隷は教会のリーダーになりました。しかし、教会の中には社会的な身分の差を認めてはいけないと使徒パウロが教えました。皆は神の子ですから、平等であります。

 

【男も女もありません】

また、教会には性差別を許すべきものではないと教えられています。 「男も女もありません」とはっきりと書いてあります。ローマの社会もユダヤ人の社会にも女性は弱い立場にいて、殆ど全ての事に於いて差別を受けていました。しかし、神の子の中には性差別は矛盾な事です。「皆、キリスト•イエスにおいて一つだからです。」天の父なる神の目から見ると男と女は平等ですから、教会には性差別は許すべきではないものです。

 

 

 

愛する兄弟姉妹、私達は同じ父なる神がありますので、神の子としてキリスト者はお互いに基本的な平等と統一をもっています。

 

【私達は神の相続人】

最後に神の子として私達は大きな特権が与えられています。私達は神の相続人であります。つまり、父なる神は数え切れない程の恵みを私達に与えて下さいます。

 

御子イエス・キリストのお陰で私達の全ての罪が赦され、大胆に神の御前に出られます。ですから私達は罪の奴隷ではなく、子として神の祝福を相続されます。神は御自分の愛された子供として私達一人一人と共にいて、大事にして下さいます。どんな事があっても主は私達を助け、必要な力と愛と慰めを下さいます。

 

そして、この世での旅路が終わると、神は御自分の天の家に私達を歓迎して下さいます。御自分の子供と相続人として私達は父なる神を「アッパ」、すなわちパパと呼ぶ権利もあります。

 

愛する兄弟姉妹、主の大きな恵みの故に、私達は神の子と相続人になりました。ですから、私達は目的と喜びと希望のない奴隷のように生きてはなりません。神の子として私達は周りの者に主の愛を反映出来ます。そして、神の御前に、また教会の中で私達は平等であるので私達は神の子として生きるべきです。更に、キリスト者は素晴らしい相続を受けているので、主の恵みの中で神の子として大胆に歩みましょう。(おわり)

 

 

2011年05月15日 | カテゴリー: ガラテヤの信徒への手紙 , 新約聖書

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