「全てを変えたイースター」ウイリアム・モーア2011.4.24
聖書;コリントの信徒への手紙一15章1−6
【津波とわが子】
杉本友子さんは最悪の結果を恐れて恐怖に襲われました。5歳の長男ライト君の行く方が全く分からなくなってしまいましたからです。ライト君が通っていた幼稚園は、丁度3月11日に宮城県の石巻市で津波が押し寄せた所です。地震のその時、母、杉本さんは隣の町の会社で働いていたが、直ぐに車に乗り、石巻に帰ってライト君を探そうとしました。しかし、道路は津波の為、完全に通れなくなった状態で仕方なく職場へ戻りました。
翌日、何とかやっと石巻市に帰る事が出来、ご主人と共にライト君の幼稚園へ行きました。しかし、幼稚園には一人もいませんでした。しかも、園舎は津波で大分やられてました。杉本さんは園児について色んな矛盾した情報を聞きました。「子供達皆は助けられた」とか、又は、「皆が海へ流されてしまった」と聞いたのです。その故に彼女は最悪の結果を恐れ嘆きに沈みました。独り子のライト君がいなくなると、若いお母さん杉本さんはどうしようもない状態でした。
三日後、正しい情報がやっと入りました。地震の時、幼児11人と先生14名が幼稚園にいました。津波が襲って来ると皆は園舎の二階へ上がりましたが、黒い海の水は直ぐに二階へ入ったのです。そして、先生達は屋根まで園児を引っ張り上げって、そこで非難する事が出来ました。数時間後で皆が無事に助けられ、避難所へ連れられました。
その嬉しい情報を聞くと、杉本さんとご主人は避難所へ飛んで行きました。ようやく、ライト君と再会すると杉本さんは精一杯息子を抱きしめて、彼を放す事は出来ませんでした。嬉しくてたまりませんでした。ほっとした杉本さんは喜びで泣きながら「良かった、良かった」としか言えませんでした。
杉本婦人は今御家族と共に、仕方なく故郷から離れた場所で生活をしていますが、毎日ニッコリして、とても幸せに暮らしています。「息子ライトと一緒にいると、どんな事があっても前向きに生きられます」と嬉しそうにおっしゃいました。
【主イエスは死なれた】
私たちは杉本夫人の気持ちがある程度は分かると思いますが、そのような経験がない人には恐らく完全には分からないでしょう。しかし、新約聖書のページを歩んだ人々は杉本さんの情緒が十分分かった事でしょう。何故なら、彼等もその同じような気持ちを経験したのです。ある日彼等は自分達の愛する先生と友人が残酷な十字架に掛けられる事を目撃しました。更に、彼等は先生の言い尽くせない程の肉体的と霊的な苦しみを見ながら、その方は、「渇く」と「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と大声で叫ばれました。そして、更にその方は頭を下げて、「成し遂げられた」と「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」とおっしゃって、お亡くなりになりました。彼等はその遺体が十字架から下ろされる事とお墓に葬られた事も目撃しました。先生と友人が殺されると彼等の希望と生き甲斐も破壊され、その方と共に葬られました。
【週の初めの日の朝早く】
金曜日と土曜日も悲しみに沈んだ彼等は嘆きました。孤児になった子供ように彼等は失望したのです。しかし、マルコによる福音書によりますと、「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行く為に香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女達は、『誰が墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか』と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、夫人達はひどく驚いた。若者は言った。『驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを探しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子達とペトロに告げなさい。「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねていわれたとおり、そこでお目にかかれる」と。』 」(16章1−7)
「あの方は復活なさった。」その天使の素晴らしいお知らせはイエス・キリストの弟子達と友人をすっかり変えたのです。彼等の嘆きは喜びに変わり、その失望は大きな希望になりました。神の大きな力によってイエス・キリストの敗北に見えた十字架の死は素晴らしい勝利に変わりました。
今日のイースターに際し、私たちと全世界のキリスト教会は主イエス・キリストの復活をお祝いします。そして、復活の事実は、その当時の人々だけではなく、私たちの為にも全ての事を変えて下さいました。
今日与えられた御言葉は「復活の個所」と言われています。もう一度聞いて下さい。(コリントの信徒への手紙一15章1−6)
「兄弟たち、私があなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音ににほかなりません。どんな言葉で私が福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じた事自体が、無駄になってしまうでしょう。もっとも大切な事として私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてある通り私達の罪の為に死んだ事、葬られた事、また、聖書に書いてある通り、三日目に復活した事、ケファに現れ、その後十二人に現れた事です。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大分分は今なお生き残っています。」
この御言葉を私たちの耳に響かせながら、主イエス・キリストの復活によって変えられた事を一緒に考えたいと思います。
【十字架刑】
イエス・キリストが復活の前に受けられた十字架の意味は、言い尽くせない程の恐怖と拷問と死の道具でした。ローマ帝国は十字架を用いて、謀反や殺人などの一番酷い罪を犯した人を罰しました。そして、皇帝の臣民は十字架の死を見ると、恐れて、どんな命令でも素直に従いました。しかし現在は十字架はとても美しいシンボルになります。十字架は美しいジュエリーとして身の飾りになります。何よりも神の愛と我々人間の希望のシンボルです。
イエス・キリストの復活の前に、お墓は人間にとってお終いのものでした。お墓に入ると自分の存在が無くなり、全く無意味になってしまいます。あるいは、死ぬと、霊魂はあまり望ましくはない暗い世界へ移り、そこでは絶望しかありませんでした。しかし、主イエス・キリストの復活のお陰で、主を信じる人には死は恐れる事ではなくなりました。却って、これからの命は現在のものより遥かにもっと豊かになり、永遠なものになりました。
何故なら、天国で主イエス・キリストは私たちを完全にさせ、私たちは主と共に生きるからです。主イエスはこのように約束されました。「私は復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(ヨハネによる福音書11章25)
天の父なる神様は御子イエス・キリストを死から蘇らせた、その同じ力をもって私たちをも永遠の命に復活させて下さいます。そのお陰で私たちは死を恐れず積極的に生きる事が出来ます。更に、これからの天国での命を目指して、大きな希望を抱きながら生きられます。
【コルベ神父の身代り】
1941年にマクスミラン・コルベ(マキシミリアノ・マリア・コルベ 、ポーランド語:Maksymilian Maria Kolbe、1894年1月8日 - 1941年8月14日)と言う 神父がナチス・ドイツの悪名高いアウシュビッツ強制収容所に入れられました。彼の罪はユダヤ人をナチスのテロから逃れさせた事でした。ある夜、収容された数人の囚人が無事に脱獄しました。その造反に対して、当局は無作為に収容された10人の囚人を選びました。そして、飢え死ぬまで、その十人はそのまま地下の独房に閉じ込められてしまいました。それは脱獄を妨げる工夫でした。当局は不幸な十人の囚人を選び出す時、皆の前で一人ずつ呼び出しました。ガソブナチェクと言うユダヤ人の名前が呼ばれると彼はこう叫びました。「待って下さい。私は妻と子供がいますから。」そうすると、神父のコルバ先生は前に出て、「私を彼に代わって選んで下さい」と願って、独房に入りました。そして、そこで十人の一人として彼は亡くなりました。
戦争が終わると、ガソブナチェクさんは解放され、故郷に帰りました。そして、自宅の庭に大理石の記念碑を立て、そこにこの言葉を刻みました。「私に代わって死んで下さった、マクスミラン・コルベ神父の記念碑。」そして、毎年のコルベ神父の記念日にガソブナチェクさんは収容所アウシュビッツへ戻り、自分の命を贖って下さった方を覚え、記念しました。
【永遠の命への復活を保証する主イエス】
愛する兄弟姉妹、コルベ神父は大きな愛を示しました。主イエスが言われたように、「友の為に自分の命を捨てる事、これ以上に大きな愛はない。」その私心の全くない愛の行為は大いに尊敬に値すべきです。コルベ神父は自分の命まで捨てて、一人の命を守りました。しかし、その救いは永遠までではなかったのです。神の御子、主イエス・キリストのみは御自分の十字架の贖い死を通して私たちの罪の赦しを授ける事が出来ます。更に、御自分の復活を通して蘇られたイエス・キリストのみは私たちの永遠の命への復活を保証出来ます。
愛する兄弟姉妹、私たちの救い主と全世界の救い主、主イエス・キリストは死者の中から蘇られました。本当に蘇られて、今、私たちの為に生きておられます。ハレルヤ、ハレルヤ、アーメン。(おわり)
2011年04月24日 | カテゴリー: コリントの信徒への手紙一 , 新約聖書
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