「神からの報い」ウイリアム・モーア2011.3.13

【素晴らしいコンサート】

音楽大好きな紳士はオーケストラの演奏へ行って素晴らしいコンサートを楽しみました。演奏が終わると紳士は近くに立っている席案内人の二人に気づきました。何故なら、その二人は誰よりもその演奏に拍手して、ブラボー、ブラボーと叫びました。殆ど毎日素晴らしい音楽を聞ける案内係はその晩の演奏を特に高く評価する様子を見た紳士はスリルを感じました。ですから紳士はなおさら演奏が素晴らしいものだと思い感謝し、尚も熱心に拍手しました。

 

【その動機は別】

しかし、彼は案内係の話をふと耳にしました。一人が同僚に耳うちしました。「もっと続けて拍手しましょう。アンコールをもう一度させると、コンサートを長引かせ、俺たちは残業手当が貰えるぞ。」

 

様子を見ると彼等はすぐれた音楽のよさが分かって、拍手を続けていたのす。が、その動機は全く別のものでした。彼等は僅かでも収入を増やす為、残業手当の時間を延ばしていたのです。

 

【善行を行う動機】

今日の御言葉には主イエスは正しい動機について教えられています。つまり、私たちキリスト者はどう言う動機で信仰生活を歩むべきかなのです。今日の御言葉、マタイによる福音書6章1を見ますとイエス・キリストはこうおっしゃいます。「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いを頂けない事になる。」善行を行う動機は人によって褒められるか、その賞賛を受けるのだったら、霊的のメリットと意味はあまりありません。

 

主イエスはいくつかの具体的な例を用いて私たちにはっきりと教えて下さいます。先ず正しい施しや献金する事について教えられます。そして、先にしてはいけない捧げ方を見せて頂きます。2節にこう記されています。「だから、あなたは施しをする時には、偽善者たちが人から褒められようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。」霊的な善行と思って、見せびらかすように施しと献金をしてはいけないと主は教えます。実際に人に見てもらう動機で善行すると、その行為は無霊的であり、宗教的な意味がありません。

 

そして、更に、誰かが敬虔な振りをしながら実際には何よりも人の賞賛を得る為に善行をすると、偽善者になります。何故なら、本心からでなく、見せかけに善事を行うからです。そして、イエスはその人々についてこう言いました。「彼等は既に報いを受けている。」

 

【既に人からの報いを】

やはり、自分の善行を見た人に褒められると、神様の代わりに彼等から報いを受ける訳です。その善行は人間と人間の間のみで行われましたので、神からの報いを受けるはずがありません。

 

【神からの報い】

その反対に、主イエスは正しい、霊的意味のある施し方と献金を捧げる方を教えます。3節と4節にこう記されています。「施しをする時は、右の手のする事を左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせない為である。そうすれば、隠れた事を見ておられる父が、あなたに報いて下さる。」

 

施しを静かにして、ただ、神の栄光を表し、神の働きに参加する為だったら、神からの報いを頂けます。つまり、霊的な動機ならば、主はそれを認め、報いて下さいます。

 

【ビル・ゲイツ会長】

しかし、公に施しや善行をする事はいつも悪い事ではありません。マイクロソフト社の会長ビル・ゲイツは数年前に貧しい人の医療の為に10億ドルを献金しました。そして、彼は見てもらおうとしてその事をしました。公にマスコミの前で献金をしました。世界中彼の寛大な行為が知られていました。言うまでもなく、貧しい人の為に医療は善い事です。しかし、それは自分の栄光の為ですから、それは霊的、あるいは宗教的な行為ではありませんでした。

 

ゲイツさんは神の名前によって献金を捧げませんでした。ですからそれは、ただ人間の間の行為でした。そして、彼はその故に人格者と非常に寛大な方だと思われ、沢山の賞賛を頂きました。主イエスは言われましたように、彼は既に人間から報いを受けていました。その報いは当然です。しかし、もし彼はその献金が霊的な行為、あるいは、神に捧げたと思ったら、それは矛盾であり、彼は偽善者になります。

 

主イエスはまた他の具体的な例をあげます。5節を見て下さい。「祈る時にも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者達は、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立っていのりたがる。はっきり行っておく。彼等は既に報いを受けている」と記されています。

 

【偽善的祈り】

その当時、敬虔なユダヤ人は毎日午後3時には仕事をしばらく止め個人の祈りを捧げました。ある信者たちは自分の敬虔を人に見てもらおうとして祈りを公衆の面前で大声で行いました。そして、結局そのような祈りは神に捧げたのではなく人に聞かせる為にしたのです。従って、その報いは神様の代わりに人間から来ました。偉いと思われて人の賞賛を受けた訳です。

 

しかし、主イエスによりますと、そのような動機からの祈りは霊的な意味がなかったのです。人間と人間のレベルに限られていたからです。その故に神に捧げるべき祈りは偽善的になってしまいます。

 

【正しい個人的祈り】

主イエスは6節に正しい個人の祈り方を教えて下さいます。「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた事を見ておられるあなたの父が報いて下さる」と言いました。

 

個人的祈りは神のみに向いています。ですから人の目の前で行ってはいけません。そして、神からの報いを望むなら、自分の個人の祈りは人が聞く為ではなく、神に祈るべきです。

 

【断食する時】

それでは16節を見て下さい。主イエスはもう一つの例を下さいます。「断食する時には、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼等は既に報いを受けている」と書いてあります。

 

 

【断食の動機】

主イエスの時代に信者たちは断食を通して神の前に謙遜を現し、また、断食で神の赦しと好意を得ようとしました。例えば、ダビデ王はバドシェバと共にもうけた赤ちゃんを生かせる為に断食しました。また、ヨムキップル(大贖罪日)言われる日に断食した。更に、もし農業に必要な秋の雨が遅かったら、人々は祈りながら断食しました。しかし、ある人々は自分の敬虔を見せびらかす為、断食を利用しました。

 

つまり、自分が断食をしている事を見せるように、その苦労を誇張して、顔を見苦しくしました。彼等は結局人によって褒められる為、断食しました。神に謙遜を現すどころか、人に自分の敬虔を見せる為に行いました。ですから、彼等は神様の代わりに人から報いをもらいました。

 

【神がよろこばれる断食】

霊的な断食をする為に主イエスは17節にこのように教えられました。「あなたは、断食する時、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れた所におられるあなたの父に見て頂く為である。そうすれば、隠れた事を見ておられるあなたの父が報いて下さる」と記されています。

 

断食をそのように守るなら、人の目の前のものではなく、自分と神に関わるものになります。断食が人に気づかれずにすると、霊的な意味があり、父なる神が自分に報いて下さいます。 

 

【父なる神が賜る報いとは】

愛する兄弟姉妹、今日の御言葉に主イエスは三度程、「父なる神があなたに報いて下さる」と約束します。しかし、その報いは何でしょうか。言うまでもなく、キリスト者の永遠の救いは私たちの報いではありません。主イエス・キリストはその賜物を信じる者に自由に提供して下さいます。御自分の十字架の死を通して主は私たちの罪の為の罰を負って、私たちを贖なって下さいました。ですから主イエスの犠牲のみによって義とされ、神の子供になり、永遠まで神と共に生きる事が出来ます。それは報いではなく、完全な恵みです。

 

実は、私たちの報いはこの世にも、天国にもあります。この世で神の交わりを経験し、主と共に歩む事は私たちの報いです。また、神の協力者になると、大きな満足と生き甲斐があります。神に仕え、神によって用いられる事はどんな事よりも素晴らしいです。主から知恵と力を頂き、この世で御自分の使者になると、私たちの生涯は大きな意味と目的と希望を得て、本当に豊かに生きる事が出来ます。そして更に、私たちの信仰と生き方を通して神を喜ばせる事は素晴らしい報いです。小さい私が全能の唯一の神を喜ばせる事が出来るとは何と素晴らしい事でしょう。

 

そして、この世での歩みが終わって、主イエスの賜物のお陰で神が私たちを御自分の永遠の家に歓迎すると、こうおっしゃいます。「忠実な良い僕だ。よくやった。」(マタイによる福音書25:23)

そのお声を聞くと一番素晴らしい報いになるでしょう。

 

【今日は受難節第一週】

愛する兄弟姉妹、今日は受難節の第一の主の日になります。4月24日の復活祭まで私たちと全世界のキリスト者それぞれは自分の信仰生活を見直し、よりもっと主の忠実な弟子になる為、新たに神の助けと恵みを求めます。このイースターまでの歩みの上に神の豊かな導きがありますように祈っております。

(おわり)

 

 

2011年03月13日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 新約聖書

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