「正しい教理と教会の一致」ウイリアム・モーア2010.9.19.

ガラテヤの信徒への手紙2章1−14◆使徒たち、パウロを受け入れる

  1~6:(本文参照)――この人たちが そもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。――実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。7:それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。  8:割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。9:また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。10:ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしも心がけてきた点です。

 

【ハンターと大熊】

この間、意味深いロシアの説話を読みました。それは、あるハンターが大熊に出会い、熊に銃を向けて引金を引こうとしました。しかし、驚いた事に熊は優しい声でこう言いました。「銃を撃つよりも、対話の方が善いではありませんか。あなたは何を求めていますか。聞こうではありませんか。話し合ってこの問題を解決しましょう。」びっくりしたハンターは銃を下ろして、「あなたが持っている温かい毛皮のコートが欲しい」と答えました。「それは宜しいです。私はただ満腹したいだけですから、話し合いで私達の相違は解決出来ると思います。妥協したいです」と熊が穏やかに言いました。そして、ハンターと熊はその森に座り込み、ゆっくり問題を話し合いました。時間がどのぐらい経ったのでしょうか。やがて熊が立ち上がり独りで帰りました。妥協が成立したのです。熊は満腹になり、そして、同時にハンターは温かい毛皮を得たのです。結局、ハンターは熊の餌になってしまいました。

 

 

【神の真理に妥協はない】

多くの場合、対話と妥協はとても良い事ですが、先程のストーリーのように、時に、その方策は悲劇と滅びを伴います。特に、神の真理になりますと、私達はしっかり立つ必要があります。

 

今日の御言葉には使徒パウロはイエス・キリストの福音の真理を力強く守りましたので、現在のキリスト者私達はその比べられない救いの恵みを受け継ぐ事が出来ました。その当時、使徒パウロは偽り信仰と妥協すれば、真のキリスト信仰は間違った異端の熊によって食われてしまう恐が十分ありました。

 

聖書に於ける神の福音は唯一の救いの道であるから、その内容はとても大事であります。その故に人がそのメセージを変えてはいけません。そうすると、人々は偽の福音を信じるようになり、永遠の命に至る道の代わりに、滅びと失望の道に歩んでしまう事になります。

 

【別の福音】

今日の個所の背景を学びましょう。使徒パウロは現在のトルコにあるガラテヤ地方の諸教会を開拓して、真の信仰を教えたのですが、彼が伝道のために別の所へ移ると、他の人々がガラテヤ諸教会に入り、誤って別の福音を教えた訳です。彼等によりますと、本当のキリスト者はユダヤ教の律法と習慣にも従わなければなりませんでした。つまり、イエス・キリストを信じるだけでは救いに足りなかったのです。

 

主イエスを信じる上に、ユダヤ教の全ての伝統も受け入れ、守る必要があると教えました。その結果、キリスト教は信仰によるものだけではなく、信者の努力によるものになり、救いを自分の力で勝得るものになってしまいました。

 

使徒パウロはその大間違いと戦い、信者を真の信仰に立ち返らせる為、ガラテヤ地方の諸教会に手紙を送りました。そして、今日与えられた御言葉はその手紙の一部であります。

 

【使徒パウロ、エルサレム教会へ】

今日の個所の前半はエルサレムへ旅をした使徒パウロの経験を語ります。使徒パウロは神からの啓示を通して、初代教会のリーダー達と会う為、エルサレムへ行くようになりました。パウロはその旅の次第についてこう書きました。2章1節から朗読します。「その後十四年たってから、私はバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。私は、自分が異邦人に述べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました、しかし、私と同行したテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした」と書いてあります。

 

使徒パウロは自分が受けたキリスト教信仰をエルサレムに住む教会「本部」のリーダー達と話し合い、それは同じ信仰である事を確かめたかったのです。そのリーダー達は皆、使徒パウロと同じようにユダヤ系キリスト者でした。つまり、ユダヤ教の背景から主イエスを救い主として信じ従いました。エルサレムの指導者達はユダヤ人なのでユダヤ教の習慣を守りましたけれども、それは救いには必要ではないと信じたのです。その故にエルサレムのリーダー達はパウロが連れて来た割礼を受けていない異邦人のキリスト者テトスに 割礼を受けるべきなどと何も言いませんでした。

 

【救いに割礼は必要でない】

ユダヤ系のキリスト者の立場から見るとそれはとても重要な判断でした。と言うのは、ユダヤ教の律法によりますと、男性には割礼を受ける事は絶対に義務付けられていたのです。割礼は神の家族に属する一番大事なシンボルになりましたので、ユダヤ人の男の子は生まれてから八日後、必ず 割礼 を受けなければなりませんでした。そうしないと、汚れた者としてユダヤ人の社会から追い出されてしまいました。従って、異邦人が回心してユダヤ教徒になると、割礼は必要な条件になりました。ですから、ユダヤ人の宗教と社会には割礼はとても大事な徴になり、ユダヤ人がキリスト者になったからといって、簡単に無くす事は出来ませんでした。また、神の家族のメンバーになったシンボルであるから、異邦人のキリスト者にもその義務を負わせる傾向が強かったです。

 

しかしながら、エルサレムにいるリーダー達は福音を正しく理解して、キリスト者になると、ユダヤ人の律法と習慣を守らなくても良いと信じ、 割礼を受けていないテトスをキリストに於いての兄弟として受け入れました。救いの恵みと神の家族に入れられた事も、人間の努力から来るのではなく、神から信仰によって自由に賜ったものであるとリーダー達は分かったのです。

 

皆さん、これは他人事ではありません。私達この日本の地に於いても、他宗教が深く根づいています。私達の生活は長年この風習にとらわれて生活して来た事と思います。正しいと信じていた訳でもないのですが、その風習になんとなくついていって皆と同じようにやっておいた方が円満だろうなと思ってしまう傾向があります。

 

しかし、信仰とはただ推測ではありません。ヘブライ人への手紙4章12節にこう記されています。「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな諸刃の剣よりも鋭(するど)く、精神と霊、関節(かんせつ)と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分ける事が出来るからです。」      

 

【偽の兄弟】

実は、エルサレムの教会のあるメンバー達はキリスト信仰の理解が足りなくて、どうしてもテトスに割礼をさせたかったのです。4節にパウロはその人々を「潜り込んで来た偽の兄弟」と呼びました。その人々は割礼の事で騒ぎを起しましたが、エルサレムのリーダー達がパウロの側になり、彼等は勝ちませんでした。

 

パウロは彼等について4節後半からこう書きました。「彼等は、私達を奴隷にしようとして、私達がキリスト•イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、私達は、片ときも、そのような者たちに屈服して譲歩するような事はしませんでした。おもだった人達からも強制されませんでした。」

 

【異邦人への使徒パウロ】

それから、エルサレムにいるリーダー達は使徒パウロの異邦人への宣教を認め、その働きを彼に任せました。その意味は、異邦人のキリスト者はユダヤ人の習慣と律法を守らなくても良いのです。主イエス・キリストを救い主として心から信じる事は救いに十分であると確認したのです。

 

更に、パウロはエルサレムの教会のリーダー達の祝福を頂きました。その割礼の問題が解決出来たと思い、パウロはエルサレムの教会の貧しい者の為の献金の願いに喜んで応じて、バルナバとテトスと共にアンテオキアへ帰りました。

 

ところで、アンテオキアの教会に於いてユダヤ人とユダヤ人ではない異邦人信徒の両方がありました。

 

ユダヤ系の人々はずっとユダヤ教の律法に従って、ある物を食べませんでした。例えば、豚肉と、肉と牛乳を混ぜた料理を絶対に避けたのです。ですから、教会で愛餐と言う食事を共にする時、二つの食卓がありました。一つはユダヤ系が食べる料理と、もう一つは異邦人馴染みの料理でした。

 

使徒パウロはユダヤ人でありながらでも、ユダヤ教の律法から自由になった事を現す為に、異邦人の食卓から食べました。そして、ケファと言う名前も使ったイエスの弟子ペトロがエルサレムからアンテオキアの教会を訪ねた時、彼も異邦人の食卓から愛餐を頂きました。

 

【異邦人の食卓を避けたペトロ】

聖書;ガラテヤの信徒への手紙2章

◆パウロ、ペトロを非難する

 11:さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。12:なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を

受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。13:そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。14:しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」

 

しかしながら、ある日、エルサレム教会から他の人々がアンテオキア教会に現れ、ケファの行動を責めました。そうするとケファは異邦人の食卓を辞め、ユダヤ系の所で食べました。更に、他のユダヤ系もエルサレム教会から来た者を恐れて、ケファと同じ事をしました。

 

【パウロ、ペトロを叱責する】

パウロはそれを見ると黙ってはいられませんでした。14節にパウロはこう書きました。「しかし、私は、彼等が福音の真理にのっとって、まっすぐ歩いていないのを見た時、皆の前でケファに向かってこう言いました。『あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活する事を強要するのですか。』」

 

ケファは異邦人の食卓を辞めると、キリスト者としての自由を捨ててしまい、福音の意味も矛盾しました。更に、その行動は異邦人キリスト者に躓きの石になってしまいました。つまり、もしケファは救いの為にユダヤ教の律法に従わなければならないなら、異邦人のキリスト者もケファを真似すべきはずではないでしょうか。

 

その重要な問題を正しく扱うため、パウロは公にケファと対立しました。福音の真理に関わる問題であるからこそ、パウロはケファの行動を見逃す事が出来ませんでした。そして、彼は勇気を出して福音の純潔の為にイエス様の弟子と教会のリーダー・ケファの偽善を露(あらわ)にしました。

 

【福音の真理のために戦う】

愛する兄弟姉妹、パウロと同じように、人がイエス・キリストの福音を曲げたり、余計なものを福音に付け加えたりする時、私達は言うべき時に、沈黙を守っていた事はありませんか?今日の御言葉で使徒パウロは私達の為に良い模範を示して下さいます。

 

【救いの真理に妥協はない】

全人類の希望と唯一の救いは、始めから終わりまで、イエス・キリストを通して愛する神の御業であります。決して、人間の努力によったものではないのです。主イエスの十字架の贖い死のみのお陰で、私達は罪の赦しを受け、神と和解しました。この真理に対して妥協の余地はありません。何故なら、今日の始めのロシア説話のハンターのように、その真理を妥協すると、希望と勝利の代わりにいつも失望と滅びが伴います。(おわり)

2010年09月19日 | カテゴリー: ガラテヤの信徒への手紙 , 新約聖書

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