「人間に語ってくださる神」ウイリアム・モーア2010.8.15

詩編19篇1−14

1:【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】2:天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。3:昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。4:話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくても5:その響きは全地に/その言葉は世界の果てに向かう。そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。6:太陽は、花婿が天蓋から出るように/勇士が喜び勇んで道を走るように7:天の果てを出で立ち/天の果てを目指して行く。その熱から隠れうるものはない。  8:主の律法は完全で、魂を生き返らせ/主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。9:主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え/主の戒めは清らかで、目に光を与える。10:主への畏れは清く、いつまでも続き/主の裁きはまことで、ことごとく正しい。11:金にまさり、多くの純金にまさって望ましく/蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。12:あなたの僕はそれらのことを熟慮し/それらを守って大きな報いを受けます。13:知らずに犯した過ち、隠れた罪から/どうかわたしを清めてください。14:あなたの僕を驕りから引き離し/支配されないようにしてください。そうすれば、重い背きの罪から清められ/わたしは完全になるでしょう。

 

【詩編第19篇のすばらしさ】

今日与えられた詩編第19篇は全ての詩編の中で特別な存在があります。有名な作家と神学者であるC.S.ルイスは詩編第19篇についてこのように述べました。「 第19篇に勝る詩編もないし、更に、世界の歴史上、優れた詩の中の一つであります。」この詩の言い回しはとても美しいが、神の御言葉としてその内容は更に素晴らしいものです。

【人に語る神】

と言うのは、詩編第19篇のテーマは、唯一の全能の神はどのようにして私達人間に御自分の事を現すかと言う最も大事な課題があります。つまり、この詩編は愛する神はどんな形で私達に語って下さるかを教えています。

 

【ダニと人間】

聖書に於ける神は沈黙の神ではありません。世界の歴史に於いて色んな形で私達人間に御自分の事を啓示して下さいました。現在も私達に語って下さいます。考えて見ますと、それは実に驚くべき事です。宇宙とその中にある全ての物を御自分の言葉で創造され、全能の唯一の神はちっぽけな罪深い私に御自分の事を語るなんてびっくりする事です。もしある人が壁蝨(だに)のような小さな虫とコミュニケーションをしようとしたら、私達は驚き笑うでしょう。

 

実は、神が私達人間に語る事も同じように驚くべき事であります。しかし、それは本当です。主なる神は御自分の大きな愛の故に常に私達に語り、御自分の手を差し伸ばし、私達を祝福する為に交わりを切に望んでおられます。

 

【神の語る手段;2節】

さて、詩編第19篇を通して私達に語って下さる神の手段を学びましょう。2節から朗読します。「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話す事も、語る事もなく、声は聞こえなくても、その響きは全地にその言葉は世界の果てに向かう。そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。太陽は、花婿が天蓋から出るように、勇士が喜び勇んで道を走るように、天の果てを出で立ち、天の果てを目指して行く。その熱から隠れうるものはない。」

 

【神が創造された大自然】

先ず、神が創造された大自然は主の存在と栄光を明らかに伝えると記されています。この詩を作ったダビデ王は青年の時、羊飼いとして野宿をよくしました。真夜中まで羊の番をした時、必ず夜空を眺めたはずです。数え切れない程のきらきらする星を見ると、つつしみ畏れ、それは神の素晴らしい傑作だと信じていました。更に、その壮大な景色は主の創造的力と知恵と美感の動かぬ証拠になると知っていました。ですから、今日の御言葉にこう言えました。「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話す事も、語る事もなく、声は聞こえなくても、その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。」

 

それは神が造った大自然は御自分の存在と栄光と力を叫びます。つまり、主は御手の業を通して私達にはっきりと語って下さいます。

 

【日本アルプスの上高地】

先月、長野県へ行って日本アルプスの上高地と言う所を訪ねました。7月なのに山々の天辺に雪が残り、とても美しい風景でした。山から流れて来た雪解け水と新しい緑に覆(おお)われた谷は言い尽くせない程きれかったので、私は感動しました。その優れた風景を通して神は御自分の栄光を伝えて、御自分の限り無い力が山地の大自然にはっきりと現れました。その時、私の耳に主の「声は聞こえなくても、その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向か」いました。

 

恐らく、皆さんも美しい大自然を眺めると、同じような事を感じられる事でしょう。この世と宇宙はただ偶然に無から現れた訳ではありません。無限の力と知恵あるお方が全てを創造し、今もそれを支えて下さいます。そして、そのお方こそは唯一の全能の神です。他にはこの美しい世界を説明出来ないからです。

 

【アインシュタイン:宇宙は偶然に出来たのではない】

一番有名な物理学者であるアルバート•アインシュタインは無神論者ではありませんでした。彼は自分の信仰についてこのように語りました。「私は信仰を深く感じます。宇宙の成り立ちを研究する程、宗教心を感じ、神を賞賛します。私は図書館に入った子供と同じように、そこの本を見ると誰かが間違えなくそれを書いたか悟らされます。更に、誰がその本を本棚に決まった順で並べたかも分かります。同様に、何処を見ても物理の条理がありますから、私は畏れと謙遜を感じます。」

 

世界一の科学者であるアインシュタインはこの世と宇宙を見ると、それは神の御手の業だと認めたのです。宇宙は決して、偶然に無から現れた訳ではありません。

 

【完全なる宇宙の調和】

人間の住まい、地球は私達の為に神様が特別にお造りになりました。と言うのは、もし地球が少しでも太陽に近かったら、暑くなり、私達は耐えられません。その反面、太陽から僅かに遠かったら私達は凍ってしまいます。同じように月が近かったら、海の動きがあんまり激しくなり、海岸線が目茶苦茶になります。月が遠かったら、潮の差し引きがなくなる為、海の栄養の循環が駄目になり、海が死んでしまうそうです。この世は丁度私達の為に主によって造られました。そして、御自分が造った者を通して神の愛や美感や力などを豊かに現しています。

 

【愚か者、神なしと言えり】

しかし、ある人々はこの素晴らしい世を見ても神の存在を拒否します。宇宙は偶然で現れ、決して造り主はないと主張します。ある日、そのような人が一人の信者をからかってこう言いました。「あなたは神を見た事や触った事がある?神の臭いを嗅いだ事があった?見た事も、触れた事も、嗅いだ事もないのに神を信じる何てとんでもありません。」

 

相手は少し考えてこう返事しました。「あなたは自分の脳味噌を見た事がありますか。そして、それを触った事と臭いを嗅いだ事もありますか。その事がなかったのに脳味噌があると主張しますか。」

 

ダビデが書いた通りに、「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話す事も、語る事もなく、声は聞こえなくても、その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。」間違えなく、神は御自分の存在と栄光を、お造りになったこの世と宇宙を通して私達に語り掛けて下さいます。

 

【更に偉大な啓示:主の律法】

しかし、大自然を通してだけではなく、御自分の戒めで主は私達に語って御自分の事を啓示して下さいます。8節の所を見て下さい。「主の律法は完全で、魂を生き返らせ、主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、主の戒めは清らかで、目に光を与える。主への畏れは清く、いつまでも続き、主の裁きはまことで、ことごとく正しい。金にまさり、多くの純金にまさって望ましく、蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。」

 

【この世の律法】

大昔、諸国の王は律法を集成して、 服従するように臣民に遣りました。その律法は色んな目的がありましたが、おもにその王の地位と権限を保つ為に制定されました。つまり、臣民の自由を抑えて、王に対する臣民の義務を規定しました。

 

例えば、払わなければならない税金や、徴兵条件や、違反行為に当たる罰などを詳しく記されていました。しかし、その律法は王の都合でよく変わりました。ですから、律法は臣民の幸福の為に定められたのではなく、王の力と特権を守る為に作った訳です。その故に一般の人にとっては律法は良いものよりも、恐ろしく厄介(やかい)なものになりました。

 

【神の律法:人間の益の為】

それに反し、今日の御言葉によりますと、神の律法は皆の為に幸福をもたらすものなのであります。主の律法は圧迫の道具の代わりに、自由と喜びと正義に伴います。何故なら、その律法者の知恵と正義と愛は完璧であるからです。その律法は神の為ではなく、始めから終わりまで私達人間の益の為に造られました。

 

【人生の説明書】

聖書に於ける神の律法は人生の説明書のような役割を果たします。つまり、私達はどのようにして正しく豊かな人生を送るかと言う事を教えて下さいます。又、どのようにして神と隣人を愛する事も説明します。

 

新しい電気製品を買って説明書を読まずに使った事がありますか。多分、極簡単な物でなければ、そのやり方はトラブルを招いてしまいます。間違えて使うと、機械の機能を生かす事が出来ず、機械を壊す事を及します。実は、私はその経験がよくあります。去年、古い携帯電話が使えなくなった為、携帯電話会社の指導で新しい物を購入しなければなりませんでした。新しい物は一番安かったですが、機能が前の物よりも沢山あって、ちょっと使い難かったです。

 

メールの機能があるし、カメラとビデオカメラまであります。名前が分からない機能も結構あるようです。しかし、もうすぐ2年経っても、説明書を読んだ事がありません。それで電話が入って来ても、どのボタンを押せば良いかがはっきり分からなくて困ります。時間を少し掛けて説明書を読めば良いのにと思うのですが、普段はほぼ使っていないので、未だに不便です。

 

愛する神は人間の為に律法と言う人生の説明書を啓示して、聖書に記しています。そして、その説明書を読んで従うと人生はもっとうまくいきます。何故なら、私達の造り主である神は私達よりも人間の事が詳しいからです。実は私達は神の教えがなければ、人生について無知な者です。つまり、主は御自分で人間をデザインして、私達一人一人を大事に造りました。私達の全ての能力と機能が分かり、私達の幸福と目的も御存知です。私達人間と人生は簡単なものではありませんので、神様の戒めを学んで従う事はとても大事です。そうすると、多くのトラブルを避けられるし、神の造られた物として相応しく生きられます。

 

その故にダビデ王は喜んで主の律法を学び従いました。その律法は神の貴重な賜物でした。もう一度ダビデの言葉を聞いて下さい。「主の律法は完全で、魂を生き返らせ、主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、主の戒めは清らかで、目に光を与える。主への畏れは清く、いつまでも続き、主の裁きはまことで、ことごとく正しい。金にまさり、多くの純金にまさって望ましく、蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。」

 

律法を通してダビデは神の声を聞く事が出来ました。彼はイスラエルの国王であっても、その律法は自分の幸福と正義の為に定められ、自分も従うべき物であったと心から信じていました。

 

【律法の恵み】

12節からダビデは更に神の律法についてこう語りました。「あなたの僕はそれらの事を熟慮し、それらを守って大きな報いを受けます。知らずに犯した過ち、隠れた罪から、どうか私を清めて下さい。あなたの僕を驕(おご)りから引き離し、支配されないようにして下さい。そうすれば、重い背きの罪から清められ、私は完全になるでしょう。どうか、私の口の言葉が御旨にかない、心の思いが御前に置かれますように。主よ、私の岩、私の贖い主よ。」

 

ダビデにとって神の律法は素晴らしい恵みであって、大きな報いに至りました。その理由は律法を通して神は人生の説明書をダビデに語りました。そして、律法を通して彼は神の愛の声を聞いたからです。

 

神は御自分が創造された大自然と御自分の律法を通して私達人間にはっきりと語って下さいます。ダビデはその素晴らしい主の声を聞いて、多くの恵みを頂きました。

 

【イエス・キリストこそが】

愛する兄弟姉妹、神様は私達にもその二つの方法で語って下さいます。しかし、ダビデの時代の後に、神はもう一つの方法を授けて下さいました。実は、天の父なる神は御自分の言葉、すなわちイエス・キリストこそが、私達に送った、その神の言葉が人間になり、私達と共に宿った方です。ヘブライ人への手紙(1章2)に記されたように、「この終わりの時代には、(神は)御子によって私達に語られました。」そして、そのイエス・キリストはこのように言われました。「あなたがたが私を知っているなら、わたしの父をも知る事になる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。・・・私を見た者は、父を見たのだ。」(ヨハネによる福音書14章7、9)

 

天の父なる神は御自分の恵みを授ける為に色んな方法で私達に現れ、語って下さいます。ですから、私達は主の子供のようにその声に聞いて、喜びと希望を持って最後までその声に従います。(おわり)

2010年08月15日 | カテゴリー: 旧約聖書 , 詩篇

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