「私達は大勢でも一つの体です」ウイリアム・モーア2010.7.25.
聖書:コリントの信徒への手紙一10章15−17
15:わたしはあなたがたを分別ある者と考えて話します。わたしの言うことを自分で判断しなさい。
16:わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。
17:パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。
【FamilyReunion】
大きな親戚の集まりに参加した事がありますか。日本の習慣はちょっと分からないですが、アメリカでは親戚の集まりは珍しくはありません。近親だけではなくて、遠い親戚までもよく集まって来ます。その集まりは「family reunion」と言います。すなわち、親戚の親睦会でしょう。ある family reunionは小さいところありますが、数百人の集まりも結構あります。全国から集まって来て、四、五日の間、皆は久しぶりの交わりを楽しんで、ばらばらになっていた家族皆は再会の喜びを経験出来ます。
アメリカで、私が牧会した教会のある家族は、よく親戚の親睦会に行きました。その親睦会は全国だけでなく、ヨロッパから外国籍の親戚も参加しに来ます。集まりを通して自分の大きな家族の親睦を養う、その家族にとって本当に大切な行事なのです。自分の喜びと悩みなども皆と話し合って、お互いに良い励ましの時になるのだそうです。
うちの家族は長距離なので family reunionに参加するのはなかなか難しいですが、子供達がまだ小学生の時、一度参加しました。子供達は内の親戚にこんな人がいるとは大喜びでした。
2010年07月25日 | カテゴリー: コリントの信徒への手紙一 , 新約聖書
「信仰とは」淀川キリスト教病院伝道部長/田村英典牧師2010.7.18.
聖書:ヘブライ人への手紙11章1~3
◆信仰 1:信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。2:昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。 3:信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造さ れ、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。
【信仰の定義】
今朝は、信仰とはどういうものかを改めて学びたいと思います。
ヘブライ人への手紙11章1節は言います。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」これを信仰の定義と取る人もいますが、そこまでは言えないでしょう。
もし、信仰を定義するなら、もっと包括的なものになると思います。例えば、第一に神とその御心についての正しい認識、第二にその納得と確信、第三にそれへの自分の明け渡しと信頼、第四に神への服従など、知、情、意に亘って色々な要素を含みます。
「まことに主がこの場所におられる」ウイリアム・モーア2010.7.11
創世記28章10−22(讃美歌 320)
◆ヤコブの夢
10:ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。11:とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。12:すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。
13:見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。14:あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。15:見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」
16:ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」17:そして、恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」18:ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、19:その場所をベテル(神の家)と名付けた。ちなみに、その町の名はかつてルズと呼ばれていた。20:ヤコブはまた、誓願を立てて言った。「神がわたしと共におられ、 わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、21:無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、22:わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」
【夢】
心理学者によりますと、私達人間は眠る時、誰でも、夢を見るそうです。特に、ラム睡眠(急速眼球運動サイクル)の時、私達はよく夢を見ます。そして、目覚めると、ある人々は見た夢をよく覚え、生々しくその内容を語る事が出来ます。うちの家内はそのような人です。実は、家内の夢には自分の両親や子供がよく現れます。その場合、家内は心配して夢に出て来た人に直ぐ電話してその調子を確認します。もっと酷い時は夜中の3時に自分の母親が病気かもしれないと起された事もあります。
「自分の置かれた境遇に満足する」ウイリアム・モア2010.7.4.
フィリピの信徒への手紙4章10−14
10:さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。11:物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。12:貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。13:わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。14:それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。
【秘訣の魅力】
我々人間は秘訣を好む心が結構あります。特に、ある事を行うのに最もよい効果的方法、しかも、めったに他人が知らない奥義を得たいのです。そして、あまり努力しなくても、秘訣でよい結果が直ぐ出たら私達は大変喜びます。それは秘訣のおもな魅力ではないかと思います。何よりも、頑張らなくても、待たなくても素晴らしい物、偉い事を手に入れたいのです。
2010年07月04日 | カテゴリー: フィリピの信徒への手紙 , 新約聖書