「父なる神」ウイリアム・モーア2010.6.20

マタイによる福音書7章7−11

  7:「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。8:だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

  9:あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。10:魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。11:このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。

 

【父の日】

御存知のように今日は父の日です。先月、私達は母の日をお祝いましたので、本日の父の日も覚えるべきだと思います。子育ちには母も父も必要であるから、母の日と父の日、両方を祝って、両親を通して受けた多くの恩恵を覚え、その為に先ず神様に親について感謝し、それを現す機会になりたいのです。

 

【父の日の創立100周年】

始めての父の日は1910年の19日に祝いました。ですから、今年は丁度父の日の創立100周年になります。アメリカのワシントン州に住むソノラ・ドッド婦人が教会で母の日の説教を聞いて、是非父の日もあるべきだと確信しました。ドッド婦人の父親ウィリアム•スマートは妻が6番目の子供の出産で亡くなると、再婚せず、男手一つで6人の子供を立派に育てました。苦労したそんな父に育てられたドッド婦人は自分の父と全ての父に感謝する日も必要であると思い、父の日の運動を始めました。教会と牧師会の協力を得て父の日の行事は各地へ広まり、やがてアメリカ全国で行われるようになりました。そして、今年の父の日の100周年の際、父の日は世界中約50国で祝っています。

 

【天の父なる神】

今日私達それぞれは自分の父親を覚え、その愛や支えや良い影響などを感謝する機会が与えられています。また、父親を私達に与えて下さった神様にも感謝を表したいのです。父親から頂いた恵みが沢山あると思いますが、恐らく一番貴重なのは、私達が自分の父親の経験を通して、天にいらっしゃる私達の父なる神の愛と恵みがよく分かるようになります。

 

つまり、天の父なる神は優れた父親のように大きな愛を持って私達を見守り、最善を尽くして御自分の子供達を育てて下さいます。しかも、天の父なる神の愛と恩恵はこの世の父よりも無限に優れたものであります。

 

旧約聖書に創造主である全能の神の父たることがあまり強調されていないが、一応その概念が紹介されています。預言者イザヤは人間を創造して下さった神についてこのように告白しました。「主よ、あなたは我らの父。私達は粘土、あなたは陶工(とうこう)、私達は皆、あなたの御手の業。」(イザヤ64:7)

 

そして、神はイスラエルと言う民の父であることが幾つかの個所に記されています。「また幼かったイスラエルを私は愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした」とホセア書11章1に書いてあります。また、出エジプト記にこう記されています。「あなたはファアロに言うがよい。主はこう言われた。『イスラエルは私の子、私の長子である。』」(出エジプト4:22)。

 

【旧約聖書における父の神】

旧約聖書の教えには神はおもにイスラエルの民、全体的の父であります。と言うのは、神はイスラエルの国に対して父のような役割を果たすと書いてあります。神はイスラエル人一人一人に父のような役割を果たした訳ではありませんでした。実は、旧約聖書に神はイスラエルの王ダビデとソロモンのみに個人的な父のような関係を持ったと記されています。一般のイスラエル人は神とのそのような個人的、また親しい交わりを持つと思わなかったのです。

 

【新約聖書における父の神】

しかし、新約聖書は劇的な対照を示します。新約聖書には神の性格と人間との関係がおもに父のようになります。それはイエス・キリストの重要な教えです。主イエスは弟子達に祈りを教えられた時、こう言われました。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。私達に必要な糧を毎日与えて下さい。』」(ルカ11:2)これは「主の祈り」の始まりです。

 

【イエスと父の神】

実は、新約聖書に記された主イエスの始めての言葉はこれです。青年のとき、主はエルサレムの神殿へ行って両親は彼を探せなかったです。やっと見付けたとき幼い主は彼等にこう言われました。「どうして私を探したのですか。私が自分の父の家にいるのは当たり前だという事を、知らなかったのですか。」(ルカ2:49)そして、主は亡くなる直前に十字架から大声でこう叫びました。「父よ、私の霊を御手に委ねます。」(ルカ23:46)。

主イエスはこの世での歩みの始めから終わりまで、全ての物を創造された全能の唯一の神を「父」、あるいは「パパ」とお呼びになりました。そして、私達にその同じ言葉を持って神を呼ぶようにと教えられたのです。

 

【父と子】

主イエス・キリストの教えによりますと、神と人間の関係は何よりも父と子のような親しい関係であります。実際に、それは革命的な概念でした。全能の神は遠い所にいらっしゃる訳ではありません。近い所にいて、私達一人一人を大事に造って、私達の事を完全に御存知で、しかも、私達との親しい個人的関係を持つ事によって御自分の素晴らしい祝福を一人一人に授けたいのです。神は人間一人一人をわざわざ造りましたので、親子の関係と同じように主は私達を愛し、見守り、良いものを与え、豊かな命を授けたいのです。

 

今日与えられた御言葉に主イエスは私達に対する父なる神の心をこのように説明されました。

「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与える事を知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物を下さるにちがいない。」(マタイ7:9−11)

 

いくら堕落しても人間の親は自分の子供を愛し、害から守り、彼等に良いものを与えたいのです。それは親の本能的な態度です。実は獣さえも最善を尽くして自分の子を守るのです。だからこそ親が自分の子供を虐待すると、皆が驚いて、最悪な事だと思われるのです。ですから、完全である、愛する天の父なる神は勿論御自分が特別に造られた私達を大事にすると主イエスが教えられています。

 

主イエスは自分の言葉で天の父なる神を「アッパ」と呼びました。それはパパと同じような小さい子供の言葉です。主は十字架の死を迎えた時、このように神に祈られました。「アッパ、父よ、あなたは何でもお出来になります。この杯を私から取りのけて下さい。しかし、私が願う事ではなく、御心に適(かな)う事が行われますように。」(マルコ14:36)

 

【イエスの父、ヨセフ】

イエス・キリストにとって神はアッパ、つまりパパでした。そのようなもっとも親しい愛と信頼の関係を持っていたのです。しかし、主はどのように神をパパと呼ばれるようになったのでしょうか。実は当時のユダヤ教の信者にはそれはびっくりする事でした。誰も唯一の全能の神を「父」と呼びませんでした。ですから「パパ」という表現は尚更生意気と聞こえました。やはり、主イエスは自分の人間の父親ヨセフとの素晴らしい関係を持っていましたので、神と人間の関係を考えると、それは何よりも父と子の関係に比べられると信じたのです。

 

【ヨセフとマリア】

実は、その真理が悟らせられる為に天の父なる神は御子イエス・キリストに優れた父親を選んで下さったと思います。ヨセフはとても模範的な父親と夫でした。先ず、彼は主イエスの母親マリアに対して愛に満ちていたのです。と言うのは、ヨセフがマリアと結婚する前に彼女は妊娠してしまいました。

 

【主は聖霊によって宿り】

それは神の聖霊の故ですが、ヨセフはまだその事が知られていませんでした。マリアと婚約したヨセフは彼女の状態を聞くと裏切られたと思って、非常にショックを受けた事でしょう。しかし、彼は怒って、マリアを公に責めませんでした。その代わりに「密かに縁を切ろうと決心した」と聖書に記されています。つまり、裏切られたと思っても、深い愛を持ってマリアを守ろうとしました。ヨセフは後に神の御計画が知らせられたのですが、その前に自分自身の立場を忘れて、深い愛を持ってマリアの事だけを心配したのです。

 

【エジプトへ避難】

更に、イエスはヨセフの実の子ではなかったのに、自分の息子として赤ちゃんの主イエスを受け入れて下さった事によって自分の愛を示しました。そして、イエスを殺戮的なヘロデ王から守る為に家族を遠いエジプトへ避難させました。数年間の外国での避難民としての生活は大変だと思いますがイエスに対する深い愛の故にその犠牲を払いました。

 

【大工の息子として】

ヨセフはまたマリアと共にイエスを立派に育てながら、自分の大工の仕事を息子に教えました。主はヨセフの優れた愛を体験しましたので、全能の神の愛が分かり、神を「アッパ、パパ」と呼ばれるようになりました。

 

【神に従うヨセフ】

ヨセフは愛する夫と父親だけではなく、彼は非常に敬虔な方でした。と言うのは、ヨセフは神の導きと命令に徹底的に従いました。自分が決めた道の代わりに難しくても、喜んで神が下さった道を歩みたかったのです。

 

例えば、神が夢で妊娠したマリアと結婚するようにと言われると、ヨセフは素直に服従しました。同じように、神から「エジプトへ避難しに行きなさい」との命令を受けると、直ぐに従いました。幼いイエスは勿論その敬虔の模範を見て神を信じ、十字架の死までも父なる神に従いました。

 

【父ヨセフを模範として育ったイエス】

ヨセフは更に強い信仰を示しました。神の力と約束と摂理を徹底的に信じましたので、神に服従する事が出来ました。その神への信頼がなければ、なかなか神の難しい命令に従えなかったでしょう。しかし、何処へ行っても、どんな強い敵があっても、神は彼等を守り、必要な力や知恵や糧などを備えて下さると信じたので、立派な信仰を示す事が出来ました。主イエスは父親ヨセフの模範を見る事によって信仰を習い、神をパパと呼ばれるようになりました。

 

最後にヨセフは自分の信仰を大事にして、喜びを持って霊的な義務を果たしました。彼は家族揃って定期的に神殿へ行って御言葉に命じられた礼拝と行事を忠実に参加しました。間違えなく、幼いイエスは父親の模範を見て、彼も何よりも受け継いだ信仰を大事にして、自分の霊的義務と使命を立派に果たしました。

 

私達は一人も残らず皆「お父さん」と呼ぶ父親がいます。今日の父の日の際、感謝を持って私達はそれぞれ自分の父を覚え、心から感謝します。特に、父親の愛の経験のお陰で、天の父なる神の愛が悟られるようになりました。父親から受け継いた沢山の宝は数え切れません。

 

 

【主イエスの父は私たちの父】

愛する兄弟姉妹、主イエス・キリストのようにあなたにとって神はパパですか。その神の深い愛と親しみを感じますか。父なる神はあなたを豊かに祝福する為に一人一人とそのような関係と交わりを持ちたいのです。主イエスの父なる神は私達の父なる神です。永遠までその優れた信頼出来るパパのような神に従い、共に歩みたいのです。 (おわり)

2010年06月25日

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