「希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう」ウイリアム・モーア2010.6.27

ヘブライ人への手紙10章19−25

19:それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。20:イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。

 21:更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、22:心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。23:約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。

 24:互いに愛と善行に励むように心がけ、25:ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。

 

 

【災害保険のおかげで】

弁護士と政治家が海外の豪華なリゾートで始めて出会い、ゴルフを一緒にやりながら仲良くなりました。そして、やがて弁護士は政治家にこう言いました。「実は、ここに来たのは家が火事で全焼になり、全ての持ち物を失いました。しかし、幸いに保険会社が損失の保険金全額を支払ってくれ、ここに来る余裕が十分ありました。」政治家はその事を聞いてびっくりしてこう述べました。「本当に偶然ですが、実は、私も洪水で家と、その中にある物も全部駄目になってしまいました。僕も保険金のお陰でここに来たのです。きっと、私達二人は不思議な縁があるのでしょう。」

 

その事を聞くと弁護士は非常に当惑した様子でこう返事しました。「あなたも大したもんですね。しかし、いったいどのようにして洪水を起こしたのですか?

 

【保険に入る動機】

私達の現代の生活に於いて保険が必要なものになりました。そして、先程のストーリが示すように保険に入る動機はいろいろあります。しかし、真面目に保険に入る人の動機は様々なリスクを和らげる為ですね。例えば、財産に保険をかけると、その物に損害がありましたら、保険会社から保険金が支払われます。

 

【台風19号】

私達が広島に住んだ頃の事ですが、私達の家は瀬戸内海が見える丘の上にありましたが、毎年秋になると台風がやって来ました。その度に私達はいつも用心しました。やがてある年に台風19号が来て、家の屋根が飛んでしまいました。大きな被害でした。二階のリビングから空が見えましたが、幸いに雨一つ降らず、その屋根も保険会社から全てが支払われ、前の屋根よりも立派な新しい屋根をつける事が出来ました。      

 

【様々の保険】

保険には色々あって、健康保険、失業保険、自動車保険、生命保険、癌の保険、ペット保険、身体障害保険、老後の保険、旅行保険、葬儀保険もあります。ゴルフをやる人はホールインワン保険を買う事が出来るのだそうです。ゴルフの伝統ですが、誰かがホールインワンをすると、その人はクラブのメンバー皆にお酒一杯をおごらなければなりません。特にメンバーの多いクラブの場合、その費用がかなり高いので、上手なゴルファーはホールインワン保険に入ると聞いています。

 

考えて見れば、お金を払えば、人生に於いて全ての害から、全ての不幸と損失から保険する事が出来ます。そして、私達は保険に入る程、安心を得られると思いがちです。どんな事があっても保護されていると思いたいのです。ですから、保険が売られている時、その安心はおもなセールスポイントになります。

 

【保険は完全な保証でない】

多くの保険は良い事だと思いますが、保険は決して完全な物ではありません。保険料が支払えなくなったら、直ぐに切れます。保険会社が破綻すると保険金を保証出来ません。保険契約書に細かい字で色んな条件が書いて、その条件に合わなかったら損害を受けても何も貰えなくなります。またあるものはいくら保険料を払っても、保証出来ません。考えて見ますと、生命保険は誤った呼び方です。何故なら、その保険は生命よりも死を保険します。そして、人が亡くなったら、保険会社はその失われた命を故人に返えす訳ではありません。ただ遺族に保険金を支払うしか出来ないのです。

 

それは人間が作った保険の姿であります。良い点もありますが、決して完全なものではありません。出来ない事と不可能な事と失敗する事もあります。

 

【神様の保証は無償で完全】

それに比較して、今朝は神様の保証について一緒に考えたいと思います。保険は人間によって作られたものですが、主の保証は全能の愛する神によって授けられたものです。保険は取り消される事がありますが、神の保証は永遠まで有効です。保険は払わなければならない値段がついてありますが、神の保証は私達に全く無償なものです。保険の力は限られていますが、主の保証の恩恵は無限であります。

 

【神の保証の内容】

今日の与えられた御言葉を通して神の保証の内容を学びましょう。ヘブライ人への手紙10章19の所を見て下さい。「それで、兄弟たち、私達は、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。」

 

【聖所の垂れ幕】

ユダヤ人はエルサレムの神殿で礼拝しました。そして、神は神殿の一番奥の、もっとも聖なる所に契約の箱に宿ったと思われました。この世に於ける神の御臨在はその垂れ幕で隠れた場所におられると信じられていました。しかし、誰でも、いつでも、その所に入って、神の御臨在と交わりを経験する事が出来ませんでした。実は、祭司長のみにその特権が与えられていました。さらに、祭司長は一年一回だけ垂れ幕を越えて聖所に入れると定められていました。

 

 

【イエスの血によって聖所に入れる】

つまり、神とのアクセスが非常に限られていて、一般の信者は神との交わりを味わう事が出来なかったのです。しかし、今日この御言葉によりますと、「私達は、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道を私達の為に開いて下さったのです。」と言うのは、イエス・キリストの贖い死のお陰で主を信じる者は自由に神の御前に出られます。唯一の全能の神は私達の祈りを聞いて、優れた父親のように私達を愛し、見守って下さいます。

 

更に、私達と親しい交わりを持ちたいのです。主イエスは御自分の十字架の死を通して私達の罪の罰を御自分の身に受け、私達は完全に清められ、神の目から見ると私達は全く罪のない新しい被造物になりました。

 

マタイによる福音書27:51に記されていますが、主イエス・キリストは十字架で息を引き取られると、つまり、贖いの御業を果たされると、「そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け」ました。と言うのは、神への障壁、そのシンボル垂れ幕が主によって取り除かれました。

 

【新しい生きた道】

そして、主イエスは「新しい生きた道を私達の為に開いて下さったのです。」その道は神の救いと交わりへの道です。主イエスははっきりとこう言われました。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、だれも父のもとに行く事が出来ない。」(ヨハネによる福音書14章6)

 

神への道は一つのみです。それは御子イエス・キリストとその贖い死であります。21節の所を見て下さい。「更に、私達には神の家を支配する偉大な祭司がおられるのです。」イエス・キリストは現在、天国で父なる神の右に座り、偉大な祭司の役割を果たして下さいます。すなわち、私達の為に祈り、私達の為に神に執なして下さいます。そのような偉大な祭司のお陰で、私達の「心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています」と22節に書いてあります。

 

【洗礼】

洗礼と言う礼典は私達の新しい霊的状態を現します。主イエスのお陰で私達の罪が奇麗に洗われたので、清められ、良心のとがめもなくなりました。ですから、私達は信頼しきって、真心から神に近づけます。

真の神への全ての障壁を取り除いて下さいましたので、私達は喜びと感謝を持って、御自分の愛され、赦された子供として神に近づきたいのです。

 

【主にあるものの特権】

愛する兄弟姉妹、それは素晴らしい特権ではありませんか。宇宙とその中にある物全てを創造して、全能の神はあなたの事を完全に知り、御子イエス・キリストをあなたの為に十字架で犠牲にする程愛しています。その神は罪深い私達一人一人を心から赦し、受け入れて下さいます。そして、何よりも力と恵みを与える為に私達と共に歩みたいのです。

 

 

更に、主はこの世で私達を御自分のお働きに参加させて下さいます。罪深いちっぽけな私達は神によってこんなに大事にされたのは素晴らしい事だと思いませんか。

 

【約束して下さったのは真実な方】

愛する兄弟姉妹、この神の救いと恵みは素晴らしい事ですが、私達はどうして信じられますか。その答えは23節に書いてあります。「約束して下さったのは真実な方なのですから」私達は信じられます。神には偽りが全く無いので御自分の約束を信じられます。神こそが御自分の約束を保証します。そして、神の御言葉にその救いと愛の約束がはっきりと記されています。

 

【希望を揺るがぬようしっかり保ち】

真実である神は御自分の約束を保証しますので私達は「公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちます。」どんな事があっても神を信じ、その希望をしっかり掴んで放さない事です。つまり、境遇が激しく変わっても、私達の希望は変わりません。最後まで神の約束に基づいた希望を信じなければなりません。

 

ヨハネによる福音書にこのお話が記されています。「弟子達の多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、『あなたがたも離れて行きたいか』と言われた。シモン•ペトロが答えた。『主よ、私達は誰の所へ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、私達は信じ、また知っています。』」(ヨハネ6章66−69)

 

私達はシモン•ペトロと同じ希望を揺るがぬようしっかり保ちますので、真実である御自分の約束を保証して下さる神を心から信じ仕えましょう。(おわり)

 

 

 

 

2010年06月27日 | カテゴリー: ヘブライ人への手紙 , 新約聖書

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