「希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう」ウイリアム・モーア2010.6.27
ヘブライ人への手紙10章19−25
19:それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。20:イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。
21:更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、22:心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。23:約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。
24:互いに愛と善行に励むように心がけ、25:ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。
【災害保険のおかげで】
弁護士と政治家が海外の豪華なリゾートで始めて出会い、ゴルフを一緒にやりながら仲良くなりました。そして、やがて弁護士は政治家にこう言いました。「実は、ここに来たのは家が火事で全焼になり、全ての持ち物を失いました。しかし、幸いに保険会社が損失の保険金全額を支払ってくれ、ここに来る余裕が十分ありました。」政治家はその事を聞いてびっくりしてこう述べました。「本当に偶然ですが、実は、私も洪水で家と、その中にある物も全部駄目になってしまいました。僕も保険金のお陰でここに来たのです。きっと、私達二人は不思議な縁があるのでしょう。」
その事を聞くと弁護士は非常に当惑した様子でこう返事しました。「あなたも大したもんですね。しかし、いったいどのようにして洪水を起こしたのですか?
「父なる神」ウイリアム・モーア2010.6.20
マタイによる福音書7章7−11
7:「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。8:だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
9:あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。10:魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。11:このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
【父の日】
御存知のように今日は父の日です。先月、私達は母の日をお祝いましたので、本日の父の日も覚えるべきだと思います。子育ちには母も父も必要であるから、母の日と父の日、両方を祝って、両親を通して受けた多くの恩恵を覚え、その為に先ず神様に親について感謝し、それを現す機会になりたいのです。
続きを読む: 「父なる神」ウイリアム・モーア2010.6.20
2010年06月25日
「イエスの十字架を無理に担がせ」奈良伝道所・宮崎契一牧師2010/6/13
マルコによる福音書15章16~23
◆兵士から侮辱される
16:兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。17:そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、18:「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。19:また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。20:このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。
◆十字架につけられる
21:そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。 22:そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。23:没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
【神様のことを深く知る】
今朝は、この講壇交換を通して初めて西谷伝道所の皆さんと主を礼拝する時が与えられ、神様に感謝をしています。マルコの福音書の御言葉に今朝聞きたいと思います。私たちが信仰生活をするという時に、大事なことだなあと思わされていることがあります。それは、改めて、私たちが神様のことを深く知るということです。これは、信仰者にとっては当たり前のことかもしれませんけ
れども、日々の信仰の歩みの中で自分のことで精一杯になり、いつのまにかこのことから通り過ぎてしまっていることがあるのかもしれません。
「ダビデの証」ウイリアム・モーア2010.6.6
詩編18篇2−4
3:主はわたしの岩、砦、逃れ場/わたしの神、大岩、避けどころ/わたしの盾、救いの角、砦の塔。
4:ほむべき方、主をわたしは呼び求め/敵から救われる。
【ダビデ王の神体験】
今日与えられた御言葉は何よりもダビデ王の信仰の証になります。つまり、この詩編第18編はダビデの神体験を語ります。ダビデの生涯に於いて主の救いと、慈しみと、力と、御臨在を豊かに表現します。また、ダビデはこの証を通して神とどのような関係と交わりを持ったかをはっきり示しています。
言うまでもなく、ダビデは信仰の英雄であって、自分の信仰の故に神によって豊かに用いられていました。更に、彼は聖書に於いて「御心に適う人」と呼ばれています。ですからダビデは信仰に於いて私達の為に立派な模範を示します。
信仰の英雄と立派な模範を示しても、ダビデは決してスーパーマンではありませんでした。私達と同じような人間であって、弱さも結構ありました。
実は、神がダビデに立派な信仰を授けたのです。彼は自分の力でそれを作り上げた訳ではなかったのです。しかし、ダビデは与えられた信仰を精一杯生かして、実行する強い意志がありました。
愛する神は、私達一人一人にもその同じような信仰を賜りたいのです。実は、ダビデのような信仰は普通になるはずです。つまり、神様の目から見るとそのような信仰は標準なのです。私達に大きな恵み、また大きな働きを賜る為に神様はダビデ程の信仰を私達に授けたいです。ですから、私達は何よりもダビデのような信仰を持ちたいのです。
続きを読む: 「ダビデの証」ウイリアム・モーア2010.6.6