「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」ウイリアム・モーア2010.2.21

マルコによる福音書8章27−9章1

◆ペトロ、信仰を言い表す

 27:イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。28:弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」29:そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」30:するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。

◆イエス、死と復活を予告する

 31:それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。32:しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。33:イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」34:それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。35:自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。 36:人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。37:自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。 38:神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」91:また、イエスは言われた。「はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。」

 

【レント・受難節・四旬節】

今日、私達はレント、すなわち受難節を迎えています。キリスト教の暦年の中でレントは重要な役割を果たします。それは我々の救い主イエス・キリストの受難の意味と必要性を新たに悟る事です。私達の信仰、私達の永遠の救いは主イエスの十字架の贖い死に基づいていますので、常にその最も重要な出来事を覚え感謝すべきです。そうしますと、4月の第一「主の日」イースター、即ちイエス・キリストの復活を大きな喜びを持って心から祝う事が出来ます。考えて見ますと、主の受難がなければ喜びの復活もなかったのです。ですから、私達は先週の水曜日から40日間、受難週が始まるまでの日の間、この40日間私達は主イエス・キリストの受難と復活を覚え、敬虔に過ごす時節であります。

 

【イエス・キリストの御受難】

言うまでもありませんが、受難節の中心的人物はイエス・キリストです。イエス・キリストは2010年前にこの世に誕生され、誰よりも人間の歴史に大きな影響を及ぼしました。主イエスとその教えは数え切れない程の人々とこの世全体的に多くの変化を起こしました。キリスト教は社会に女性の立場や、教育の普及や、科学の進歩や、人権の尊重などに大きな影響がありました。今もあります。更に、言うまでもなく、イエス・キリストの霊的影響は比較にならないものです。間違えなく、イエス・キリストの影響がなければ、現在の世界は随分異なった事でしょう。

 

【イエス・キリストは偉大な教師か】

イエス・キリストは霊的と歴史的と社会的とに、とても重要な人物ですから、主イエス・キリストについて色んな意見があります。ある人はイエスをただ偉大な教師だと思います。イエスは優れた道徳を説きましたので尊敬します。例えば、「隣人を自分のように愛しなさい。」「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。」「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。」このような優れた道徳的教えを聞くと、ある人々はイエス・キリストを尊敬しますが、偉い人間としてしか尊敬しません。

 

【イエス・キリストは自分自身を勘違いしたか】

また他の人々はイエス・キリストの道徳を尊重しますが、御自身について説いた事については過ったと主張します。つまり、主は自分自身を勘違(かんちが)いして、自分が神の子で人類の唯一の救い主だと信じ込んでいたと思うのです。ですから、イエスの道徳からは学ぶ事がありますが、主は決して神ではなかったと言っています。

 

【イエス・キリストを神の子と救い主として信じる】

更に、ある人々は聖書の御言葉を信じて、イエスの道徳的教えももちろん尊重します。そして、イエス・キリストが神の子である事を信じ、「わが主、わが救い主」と呼んでいます。イエスは天の父なる神によってこの世に遣わされ、御自分の十字架の贖い死を通して人類を神に和解させて下さいました。また、神の力でイエスは死から蘇られ、天国に上げられ、今も生きておられます。そして、誰でも罪を悔改め、イエス・キリストを神の子と救い主として信じると、この世から去っても天国で永遠まで主と共に生きる事が出来ます。

 

【宗教によってイエス・キリストに対する見方が違う】

このように、イエス・キリストに対して色んな考えを持っている人がいる上に、宗教によってはイエスについて様々な意見があります。ヒンドウー教によりますとイエス・キリストは多くの聖人の中の一人です。イスラム教にとってイエスは偉大な預言者でした。ユダヤ教の立場は、イエスは誤解された運動家であり、自分自身とイスラエルにも色んなトラブルを起こしました。そして仏教によりますとイエスは大抵良い事を説きましたが、世界観があんまり違うのでイエスの多くの教えは仏教と無関係だと思っています。

 

【人々はわたしを何者だというのか】

実は、イエス・キリストがこの世を歩んだ時から現在にいたるまで自分について色んな立場と意見がありました。そして、今日与えられた御言葉にイエス御自身もその課題を持ち出したのです。マルコによる福音書8:27の所から見て下さい。「イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、『人々は、わたしのことを何者だと言っているか』と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』」と言う人もいます。」そこでイエスがお尋ねになった。『それでは、あなたがたはわたしを何者だというのか。』ペトロが答えた。『あなたは、メシアです。』するとイエスは、御自身のことをだれにも話されないようにと弟子たちを戒(いまし)められた。」

 

主イエスは自分の弟子達に、 人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と尋ねました。そして、彼等は聞いた事を主に語りました。先ず、「『洗礼者ヨハネだ』と言っています」と返事しました。洗礼者ヨハネは人々に、罪の赦しを得させる為に悔改めの洗礼を宣べ伝えましたが、ヘロデ王によって殺されました。イエスのメセージはヨハネのメセージに似ていましたので、ある人々はイエスを蘇ったヨハネだと思ったのです。そして、また他の人々はイエスは預言者エリヤだと信じました。エリヤは死にませんでしたが、神によって直接に天に上げられましたので、神はもう一度エリヤを御自分の民に送ったと思う者がいました。結局、イエスは本当に預言者エリヤだと信じたのです。更に、他の人々がイエスは神から送られた新しい預言者だと思いました。 

 

【では、あなたがたは私を何者だと言うのか】

主イエスは弟子達から御自分について人びとの意見を聞いて、十分な答えを聞かなかった為、弟子達にこのように尋ねました。「それでは、あなたがたは私を何者だと言うのか。」弟子達は3年間イエスに従って、主の教えを聞き、その行動を全部見ました。誰よりも御自分を知る者に「あなたがたは私を何者だと言うのか」と聞かれました。そして、弟子のペトロはこのように告白しました。「あなたは、メシアです。」

 

【あなたは、メシアです】

メシアは旧約聖書に預言され長く待ちましたイスラエルの救い主の事です。その救い主は神によって遣われ、イスラエルの敵を征服し、国の為に新しい栄えの時代をもたらします。更に、救い主はイスラエルの民を神に立ち返えさせ、神との正しい関係を回復させて下さいます。ですから、弟子ペトロが「あなたは、メシアです」と答えると、大きな告白になりました。「あなたは我々の国が待ちかねた救い主である。あなたのお陰で私達の為に全てが良くなります」と言う意味です。

 

【御自分のことをだれにも話さないように】

イエス様はそのペトロの告白を聞いてから不思議な事をなさいました。「御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた」と記されています。何故なら、ペトロの告白、「あなたは、メシアです」は正しかったけれども、彼は主の救いの御業をまだ悟っていなかったのです。

 

【ペトロの誤解】

今日の個所の31節から主イエスは御自分の救いの御業を説明しました。「それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子達に教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子達を見ながら、ペトロを叱って言われた。『サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。』それから、群衆を弟子達と共に呼び寄せて言われた。『私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いないと思う者は、それを失うが、私の為、また福音の為に命を失う者は、それを救うのである。』」

 

主イエスは御自分の救いの御業を説明されましたが、ペトロはそれを受け入れませんでした。彼はイエス様から苦難と排斥と死と復活の事を聞くと、主をいさめ始めたと書いてあります。「その救いの道は誤まった。あなたは必ずイスラエルの王になり、政治的と軍事的力を持って国を救うので、苦難と死のお話しはとんでもありません」とペトロがイエスに言ったのでしょう。

 

【サタン、引き下がれ】

ペトロの話を聞いたイエスはこう言われました。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と強くてペトロを叱りました。人間の為の神の救いはイエス・キリストの苦難を通してくるものです。その十字架の苦しみと死によって罪の全く無い神の御子イエス・キリストは、罪深い私達に代わって、罪の為の罰を受け取られました。その救いの御業のお陰で私達の罪が赦され、神と和解されました。そして、主イエスを心から受け入れる者は神の子供となり、永遠まで愛する神と共に生きられます。

 

【「あなたは生ける神の子キリストです」】

愛する兄弟姉妹、主イエス・キリストは私達にも、「あなたがたは私を何者だと言うのか」と聞かれます。どう答えますか。今年の受難節の歩みを通して、私達一人一人はその最も重要な質問に答えるように祈っております。

 

今日は受難節の始めの日曜日です。これから5週目の「主の日」を迎えると、6週目はイースターです。これから始まるこの受難節に、私達の為に払ってくださったイエス・キリストの大きな犠牲を覚え、悔改め、私達の信仰に新たな成長がありますように祈っております。(おわり)

2010年02月21日 | カテゴリー: マルコによる福音書 , 新約聖書

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