「無常の時代に住むための信仰:祈り」ウイリアム・モーア2010.1.31

聖書:フィリピの信徒への手紙4章

6:どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。

  7:そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

 

【シートベルト・サイン】

飛行機に乗ると、シートベルト・サインのライトがつくと、大抵三つの意味が含まれています。それはもうすぐ離陸するか、着陸に入るか、それとも激しい揺れが間もなく来ると言う事です。離陸と着陸の事は十分予想出来ますので大した事ではありません。しかし、シートベルト・サインのライトが飛行中輝くと少し心配になります。

 

と言うのは、もうすぐやって来る事はちょっとした揺れか、激しい激動のような揺れかが予測つかないからです。

結構前の事ですが、私はアメリカの南部から西海岸へ飛行機で行きました。そして、飛行中ロッキー山脈を超えていた時、機長がシートベルト・ライトをつけて、「もうすぐ揺れがありますので、シートベルトを出来るだけ早く締めて下さい」とアナウンスがありました。そうすると、言った通りに揺れが始まりました。しかし、その揺れは普通ではなかったのです。まるで、ローラーコースターのようでした。急激に沈んだり、昇ったり、揺さぶりました。そして、窓から飛行機の羽を覗くと、まるで鳥の羽のように羽ばたきました。もしローラーコースターだったら楽しいかも知れませんが、陸の1万メーロル上からなので恐ろしかったです。5分位しか続きませんでしたが、飛行機の中の雰囲気は皆何も言えず静かでした。そして間もなくシートベルト・ライトが消えるとほっとする歓声が出ました。

 

【激動するこの世】

最近、私達が住むこの世も丸で激動する飛行機のようになりました。機長がシートベルト・ライトをつけて、揺れがなかなか終わらない為、ずっとライトを点けっ放しです。この世の揺れの様々な理由がありますが、一つは段々進んで行くグローパリゼーション、すなわち世界化です。

 

【グローパリゼーションと金融危機】

世界の経済が一つになると、遠い国の経済問題が私が住んでいる所の問題になります。現在の不景気はそうです。アメリカの金融機関が欲張りになり、リスクのあまりに高い取引で、世界中の景気が悪くなり、数え切れない程の人々の生活に影響し、難しくなりました。

 

 

 

【世界的テロ】

更に、テロも全世界に悪影響を与えているのです。いつ、何処で、誰が、無差別的テロの犠牲者になるか予測がつかないで、非常に不安を抱く事になります。当局が色々な対策を講じても公衆の安全は決して保証されていません。

 

【新型インフルエンザ】

また、グローバリゼーションが進んで行くと共に感染症も大きな問題になります。と言うのは、世界中の人々の動きが増える程、病気が国から国へ移り、流行してしまいます。幸いに最近の新型インフルエンザは予想より犠牲者が少なかったですが将来に大変重篤な発症は十分可能です。

 

【地球温暖化】

温暖化も全世界の人々に影響します。気候が段々暑くなると台風のような現象が激しくなり、天災の為の被害が増えて来ます。また温暖化の為、北極の氷が溶ける程、高度の低い国が困ります。小さい島の国は完全に波の下に沈んでしまう恐が十分あります。

 

【個人的なシートベルト・サインも】

様々な理由で全世界の為にシートベルト・サインのライトが点けっ放しで、世界的にその揺れを感じる難しい時代になりました。その上に、恐らく私達個人的なシートベルト・サインのライトが点灯しています。難病の故か、経済的問題の故か、家庭の事情の故などで不安です。揺れの激しい飛行機に乗っているように、不安と心配を抱きながら日々生活をします。しかし、自分の力ではどうしょうもない問題でもあります。我と我が身をどうする事も出来ない無力状態のようです。

 

【人間的限界と神の力】

ただ人間的に考えますと多くの場合、私達のコントロールは限られています。しかし、私達はどんな状態にいてもただ人間的に考えてはいけません。私達、イエス・キリストを信じ、従う者は信仰の目で全ての事を見ます。全能の神は生きています。そして、憐れみ深い主は私達とこの世を愛し、私達の味方になります。すなわち、神はイエス・キリストを通して、人間になり、この世に下りました。主は神の福音を伝えながら私達と共に宿り、私達の永遠の救いの為に十字架で罪の故に私達が支払うべき罰を御自分の身に受けて下さいました。その結果、主イエスを信じる者は神の子供となり、神の霊はいつも共にいて助けて下さいます。

 

その誠の信仰を抱いていますので、揺れがどんなに酷くても私達は大きな希望と力を持って生きるのです。

 

【無常の時代に住むための信仰】

今朝から、「無常の時代に住むための信仰」の題で3回にわたり御一緒に考えて学びたいと思います。難しい、無常の時代であってこそ主イエスを知り、信じ、委ね、神と隣人に仕えながら、喜びと勝利を持って生きたいのです。どのようにしてその信仰を持ち続け、日々の生活に生かすかが私達の課題となります。

 

実は、聖書は無常の時代の環境の中で形成されました。御言葉を通して神は難しい時代に生きる御自分の民に語りました。そして、その環境の中で神は自分の民と共にいて、彼らの為に素晴らしい事を行いました。

 

【エジプトの圧制から解放】

例えば、御自分の民イスラエルをエジプトの圧迫から解放する為、神はモーセを選びました。モーセは色んな面で足りない人でしたが、神は彼と共にいて力と知恵を与えて下さいました。一歩一歩モーセを助け、使命を果たすように必要なお守りと導きを授けました。そして、神の御業の故、その弱い奴隷の民はエジプト人の金と銀を持って、その国から出て、約束された地カナンまで案内されました。民の罪の理由で、その旅は40年程かかりましたが、主は色んな危機を通してイスラエルを見守り、無事にカナンまで連れ出して下さいました。

 

【ダビデ王の試練】

イスラエルの王ダビデも大変な時代に住みました。国外と国内の敵が多くて何回も命からがら逃げました。自分の最愛の息子さえも反乱を起こしてダビデの命を取ろうとしましたが、神は常にダビデと共にいて、助けて下さいました。ですから彼は詩編第18編にこう言えました。「主よ、私の力よ、私はあなたを慕う。主は私の岩、砦、逃れ場、私の盾、救いの角、砦の塔。ほむべき方、主を私は呼び求め、敵から救われる。」

 

【イエスの母マリア】

ある日、突然、神の御使いがマリアと言う若い乙女に現われ、「聖霊の力で身籠り、その産む子は救い主になる」と宣言されました。マリアはその言葉に驚き、戸惑いましたが、神を信じ、「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と答えられました。

 

【全ては神の支配下に】

御言葉はそのような物語でいっぱいです。無常の時代、激動の時でさえも神は御自分の民と共にいて、その危機を通して導いて下さいました。聖書の多くの人物は神について大事な事を悟りました。それは、主は近くにいらして、この世に、また愛する人の命に、御自分の目的を果たす為に耐えず努めています。更に、最終的に全ては人間の支配下ではなく、神の支配下に置かれています。

 

【無常の時代に住むための信仰:その1、祈り】

私達は何よりも無常の時代に住むための信仰を得たいと願っています。そのためにはどうすればよいのでしょうか。この説教シリーズでその質問に答えたいと思います。その中の一つとして今日取り上げたい事は、先ず、私達は祈らなければなりません。

 

【使徒パウロの獄中書簡】

使徒パウロは今朝の御言葉を監獄から書きました。彼は信仰の故にローマ帝国の囚人になり、人間的に考えれば見込みはとても難しかったです。何故なら、その時代には、ローマ帝国はキリスト者とキリスト教会を根絶しようとしました。実はパウロは死刑宣告を受けたのです。また、キリスト教会の残存さえも危うくなっていました。しかし、そのとても難しい背景であっても使徒パウロはフィリピと言う町のキリスト者達にこのように書きました。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(4章6−7)

 

【思い煩うな】

無常の時代に将来の為の心配は当然だと思いがちですが、そうしてはいけませんとパウロがはっきりと教えるのです。思い煩いは全くなんの益もありません。思い煩いはただ力が抜けてしまうし、精神をメチャクチャにしてしまいます。思い煩うの代わりに、「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」と記されています。

 

【感謝を込めて祈る】

「私はもう祈りましたけれども、まだ心配が残っている。何も変わりませんでした」と言う人がいると思います。けれども、今日の御言葉が説く祈りはただ数秒の「主よ、あなたは私のニースを御存知ですから、叶えて下さい」や「神よ、助けて下さい」ではありません。その代わりに、先ず感謝を込めて祈らなければなりません。神の多く恵みを覚えて、その感謝すべき事を主に申します。過去にある神の助けを思い起こし、心から「ありがとうございます」と言うのです。それから、自分の恐れの事と願いを神に告げます。残らずにその全てを神に打ち明けます。誰よりも私達を愛して下さる天の父なる神ですから、心にある全ての事を遠慮なく言えるのです。それは信頼と信仰の現われですから、神はその事を望んでおられます。

 

【感謝の祈りの例】

例えばこのように祈りなさい。「神様、今まであなたの多くの祝福の為感謝します。今まで支えて下さり、難しい時を通して導いて下さいました。しかし、今、子供の将来の為にとても心配します。職場を見つけられなかったら子供が落ち込んで来て、また生活が出来ません。あなたは御子イエス・キリストを十字架で捧げた程私達を愛して下さいますので、この心配と問題をあなたに委ねます。あなたはこの世を支配する全能の神ですから、きっと答えて下さると信じております。どうかこの事について御心がなりますようにお願いします。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。」

 

【信仰による平安】

信仰を持ってこのような祈りを捧げると、「あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにおいて守るでしょう」と記されています。自分の思い煩いを神の御手に委ねるので、平安があります。そして、神の平安を持つと、どんな事があっても勇気を持って神の助けで問題を扱う事が出来ます。無常の時代に住む私達にはその信仰がいります。ですから、あなたの人生に於いてシートベルトのサインが点灯すると、思い煩う代わりに祈ってみて下さい。自分の願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。必ず、神の賜物、平安はあなたのものになります。(おわり)

 

2010年01月31日 | カテゴリー: フィリピの信徒への手紙

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