「神の声を聞く」ウイリアム・モーア 2010.1.24
聖書:ヨハネによる福音書10章1−6
1:「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。2:門から入る者が羊飼いである。3:門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自 分の羊の名を呼んで連れ出す。4:自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。5:しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」6:イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
【さまざまな呼び掛ける声】
考えて見ますと、私達の周りには呼び掛ける声が沢山あります。家族の者、職場の同僚、友人の声も絶えず聞こえて来ます。そして、私達にその声の影響力はものすごく強いのです。例えば、人から励ましの言葉を聞くと、一日中気分が良くて力が出ます。その反面、愛のない厳しい批判を受けると、気持ちが落ち込み、悲しくなります。また、周りの者から良きアドバイスを聞く事が出来ますが、ある時は、そのアドバイスが私達を惑わしてしまいます。
更に、マスメデイアからの声が数え切れません。テレビの番組からだけではなく、コマーシャルからも色んなメセージを聞こえて来ます。「あのような人は素敵」、「そのような生き方は素晴らしい」、「何何と言うシャンプーを使うと、自分の人生が変わる」、「何何と言うカレーを自分の家族に食べさせると、皆は幸せになる」。マスメデイアの声は私達と社会全体に影響を結構及ぼします。一度、テレビでゼラチンを食べると満腹感を得、ダイエットに良いとの話が出ました。その日、全国のスーパーではゼラチンが売れ切れたそうです。
【悪魔の声】
しかし、良い話だけではなく、私達は悪魔の声も聞きます。それは誘惑の声です。「人間が全てだ。神なんかあるもんか。死んだらおしまいさ」、「ただ自分の益の為と家族の為に生きるべきだ。他の人は関係ないよ」、「嘘も方便。自分の都合により偽りを言っても構わない。皆も言ってるんじゃないか」。悪魔の声に聞くと、いつも罪に陥り、真の神から離れます。
【自分自身の声】
人の声と悪魔の声があるとするならば、自分自身の声もあります。すなわち、私達皆は自分自身に色んな事を言って聞かせます。例えば、自分にこう言います。「あなたは誰よりも正しく賢い人だ。だから足りない人からいつも反対を受ける」。「誰も知らないから僕の罪はいいのよ」。また、「皆もするから、いいのじゃないか」と自分に言って、正当化しようとします。そのような言葉を自分に聞かせた事がありますか。
人の声、マスメデイアの声、悪魔の声、自分自身の声があります。そのそれぞれの声を私達はいつも聞いて、その声によってその日が決まったり、左右されています。
【神の声】
しかし、その以外にもう一つの声があります。多分それぞれの声の中でその声が人にとって一番無視されやすい声ですが、その声は実際にどんな声よりも重要であり、聞くべきものであります。実に、その声こそは神の声です。
私達はどうして神の声をどんな声よりも聞くべきでしょうか。耳に響いている沢山の他の声で十分ではないでしょうか。その多くの声だけを聞いて、善悪を区別する事で十分足りるのではないでしょうか。
【神さまのご計画】
実は、唯一の生ける神は私達人間一人一人を生まれる前に計画し、わざわざ造り、そして、私達それぞれの人生の為に計画を立てて下さいます。このような私達に対する神の摂理をよく考えて見て下さい。大きなpictureでよく見えるはずです。
【神と人との交わり】
そしてその神が人間を祝福する為に私達との交わりを切に望んでおられるのです。つまり、お互いに知り、お互いに愛する事、また、この世で御自分の働きに加えられる事によって、神は御自分の祝福を賜りたいのです。更に、神は永遠まで私達との交わりを持つように、御子イエス・キリストをこの世に遣わし、罪の赦しと永遠の命の道を備えて下さいました。ですから、私達は永遠までも共に住み、全ての恵みの源である愛する神を知り、その声を聞きたいのです。どんな声よりも聞きたいはずなのです。この世にあって神の導きと知恵、神の慰めと力を与える声をどんな声よりも聞きたいのです。
【豊かに生きるために】
主イエス・キリストは旧約聖書を引用してこのように言われました。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(マタイによる福音書4:4)
【霊的糧】
すなわち、私達は肉体的糧だけでは豊かに生きる事が出来ません。食べ物は人間の体を支える為に必要ですが、豊かに生きる為にはそれ以上に重要な糧が絶対にいります。それは神の言葉、神の声です。それは神の前に、人間らしく生きる為の霊的糧であります。つまり、人生に於いて神の導きと教え、主の交わりと救いがないと、私達は迷い、生きていても死んだような誠の希望と生き甲斐の無い状態です。
今日の御言葉に、神の御子イエス・キリストは羊飼いと羊の関係を通して、神の声を聞く重要性を教えて下さいます。もう一度聞いて下さい。「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決して着いて行かず、逃げ去る。他の者たちの声を知らないからである。」
【羊の性質とは】
全ての家畜の中で羊はそれ程賢くはありません。実は、羊は愚かな動物なのです。それ以上に、羊は特別しょうがないものです。羊飼いが羊を牧草地に置き去っただけで、羊は長く生きられません。迷いやすく、うっかり崖から落ちたり、群れから離れて戻る事が出来なくなったりします。そして、羊は自分で必要な水と草を探せないそうです。餌になる草を全部食べてしまうと、他の所へ行って探す本能があんまりないので、飢えてしまう事になります。また、身を守る事が殆ど出来なくて、狼やライオンや熊などが現われると、すぐに餌食となってしまいます。
【羊飼い】
ですから、羊には何よりも羊飼いがいります。羊飼いは24時間羊の群れから目を離さず、餌と水に導き、全ての害敵から守ります。そして、夜になると羊飼いは羊を囲いに入れて、その入り口の横になり、自分の身で群れを守ります。
羊飼いは自分の羊に名前を付けて一匹一匹をよく知っています。その羊の母親、その羊の性格も分かって来ます。ですから、一匹がいなくなるとその羊の名前が分かり、その名前を呼びながら探しに行きます。
【羊飼いの声を聞き分ける才能】
羊は実に無能な家畜ですが、一つの才能があります。それは、自分の羊飼いの声が必ず分かります。羊飼いと羊飼いの声を弁別する事が出来、自分の羊飼いの声のみに従います。他の羊飼いが群れを呼んでも、羊は決してついて行きません。却って彼から逃げ去ってしまいます。このように、羊一匹一匹は自分の羊飼いの声をよく聞く事によって、その声をしっかり習い、従う事が出来ます。
この羊と羊飼いのストーリを通して主イエスは私達に大事な真理を教えて下さいます。それは、神の声を良く聞く事によって、その声を他の声から弁別する事が出来、神の声に従えます。
【神の御旨を知る】
私達は神の御旨を知りたいです。特に私達の生涯の為の主の御計画を知りたいのです。また、人生に於いて大きな選択がある時、良い判断が出来るように神の声を聞きたいのです。ですから、私達は、「神様どうか御旨を教えて下さい。はっきりと私にそれを伝えて下さい」と祈ります。そして、その声が聞こえなかったら私達はがっかりします。しかし、恐らくその問題は神様にはありません。つまり、神様は語っていますが、私達の聞き方に問題があります。
【ある夫妻のコミュニケーション】
ある男の人は自分の妻とのコミュニケーションに問題があって、きっと妻の方の耳が遠いと思い込みました。ですから、妻の問題を証明する為、妻に知らせず実験を行おうとしました。そして、ある夕べの事です。主人は妻が背中を向けていた時、部屋の向こう側から、小さい声で、「おい、聞こえるか」と言いました。しかし、返事が何もなかったから主人はもう少し妻の方へ近寄って、「私の声が聞こえるか」と尋ねました。そうしてもまた返事がなかったので、さらに妻の方に近ずき、「聞こえるか」と聞いたのです。返事が更になかったので、妻が座っている椅子のすぐ後ろへ行って、もう一度、「聞こえるか」と聞いたところ、妻がこう答えました。「うるさいわよね。4回目も言うが、よく聞こえるわよ。」
【神の声を聞く訓練】
神の声がなかなか聞こえないのは、多分私達が聞く耳を持たないからであります。つまり神は語り掛けているのにも、私達は主の声を全く他の声から弁別出来ません。ですから、どういうふうにすれば神の声を聞く事が出来るようになるのでしょうか。やはり羊と同じようにその声を聞く練習をしなければなりません。羊は羊飼いの声を何回も何回も聞いて分かるようになります。神は聖書を通して私達に語って下さいます。テモテへの手紙二3章16にこう記されています。「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」
神の御言葉、聖書を読む事によって私達は神の声を知るようになります。神がどのような事を望んでおられるか、またどんな事を憎むのかは聖書にはっきりと記されています。聖書に書いてあるイエス・キリストの行動と教えを通して神の性格も分かって来ます。御言葉を読む程、また、礼拝で御言葉の解き明かしを聞く程、神の声を知るようになります。神の声とこの世の声を聞き分けられるようになります。
【祈りを通して】
また、祈りを通して神の声が聞こえるようになります。祈りは私達からの一方的コミュニケーションではありません。神の聖霊は祈りを通して私達に語って下さいます。不思議に問題の解決を悟らせ、平安も与えて下さいます。私達は聞く耳があれば、主は色んな方法で私達に語り掛けます。
【羊飼いの声に従う羊】
羊は羊飼いの声を聞くと必ずその声に従います。羊飼いについて行きます。そして、私達も神の声、神の導きを受けると、その声に従わなければなりません。行わずに、ただ御声を聞くだけではあんまり意味がありません。しかし、私達は従う程、神の声を聞き、御旨が分かるようになります。
どうか私達皆は神の声に耳を傾け、聞き、その声に従う群れになりたいと切に祈り求めます。愛する兄弟姉妹、神様は今私達に何と語られますか。(おわり)
2010年01月24日 | カテゴリー: ヨハネによる福音書
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