わが救いの神を待つ ウイリアム・モーア 2009.12.06

ミカ書7章1−7◆民の腐敗

  1:悲しいかな/わたしは夏の果物を集める者のように/ぶどうの残りを摘む者のようになった。もはや、食べられるぶどうの実はなく/わたしの好む初なりのいちじくもない。2:主の慈しみに生きる者はこの国から滅び/人々の中に正しい者はいなくなった。皆、ひそかに人の命をねらい/互いに網で捕らえようとする。3:彼らの手は悪事にたけ/役人も裁判官も報酬を目当てとし/名士も私欲をもって語る。しかも、彼らはそれを包み隠す。4:彼らの中の最善の者も茨のようであり/正しい者も茨の垣に劣る。お前の見張りの者が告げる日/お前の刑罰の日が来た。今や、彼らに大混乱が起こる。5:隣人を信じてはならない。親しい者にも信頼するな。お前のふところに安らう女にも/お前の口の扉を守れ。6:息子は父を侮り/娘は母に、嫁はしゅうとめに立ち向かう。人の敵はその家の者だ。

  7:しかし、わたしは主を仰ぎ/わが救いの神を待つ。わが神は、わたしの願いを聞かれる。

 

 

【最近、新聞が見たくなくなった】

小学校の4年生頃から私は新聞を読む習慣がありました。毎日学校が終わって家に帰ると、必ず新聞を手に取って、前から後ろまで貪り読みました。殆ど何でも読みましたが、スポーツの記事だけはあんまり興味がなかったのです。今もそうです。恐らくそれはスポーツが得意ではなかったかもしれません。とにかく、新聞を読む事によって色んな事を学んで来て、様々な情報を得る事が出来ました。

 

【アルビノ狩り】

しかしながら、最近一つの記事を読む事によって私の新聞読書の趣味が随分楽しくなくなりました。実は、その悲しい記事の為に新聞契約をキャンセルする気持ちにもなっています。それ程気がかりな事であったからです。

それは、最近東アフリカで白皮症を患う人、すなわちアルビノ達は文字通りに獲物になってしまう事です。

【魔除け】

とんでもない迷信ですが、多くのアフリカ人はアルビノの身体各部が魔法のような力を持つと思い込んでいます。つまり、アルビノの手や足やお鼻などを所有すると、運が向いて来て、大金持ちになると信じています。あるいは、その物は災難よけの一番効果的お守りになると魔法使いが勧めています。ですからアルビノの身体各部は非常に高価な物になりました。

 

当局はアルビノを守ろうとしても、2007年以来58人が身体各部の為に殺されていました。先月にも、ある十歳の男の子も殺され、遺体が7百万円で売られてしまいました。その故に、現在すくなくとも一万人のアルビノは大変恐れて、姿をくらましています。

 

【アルビノ婦人】

その一人、マリ・オウィド婦人はこう言いました。「外へ行くと人々は私をじっと見詰めて、 『あなたの手と足と耳を売ったら私は大金持ちになる』と平気で言います。そのような話を聞くとぞっとする。外出するのはとっても恐ろしいです。」

 

その記事を読むと驚きました。人の身体各部を売る為に隣人を殺すなんて信じられません。特に無邪気な幼い子供をその為に殺害するのは非常に信じがたいと思いました。しかし、その記事には事実の誤りはありませんでした。信頼性の高い通信社が発行したものだからです。

 

【人間の堕落】

私はその記事の事について考えますと吐き気がしました。実は、人間がそんなに堕落したのは聞きたくなかったのです。そんな悲しく恐ろしいお話だったら、新聞をもう読みたくなくなりました。そしてその記事の酷い事を忘れた方が良いと思いましたが、忘れようとする程、思い出しました。

 

私はさらに、こう思いました。その記事はただ遠いアフリカの事ではありません。どこの国でも同じです。どこへ行っても同じような残酷な事件が起ります。我々人間は人を殺したり、隣人を物のように利用したり、弱い立場にある人を圧迫したり、家族の者さえも裏切られたりします。それは私たちの悲劇的姿であります。

 

【イスラエルの預言者ミカの嘆き】

先ほど読ませて頂きました聖書の個所は略2700年前のイスラエルの預言者ミカの言葉です。ミカは自分の国の状態を見るとぞっとしました。国民があまりに堕落したので、「悲しいかな」と心から叫びました。それは2700年前の事ですが、預言者ミカは、その東アフリカの記事を読んだ私と同じような気持ちがあったのです。社会の腐敗はあまりに深刻になったので深く悲しみました。

 

【畑には何も残っていない】

預言者ミカの嘆きの内容を学びましょう。1節を見て下さい。「悲しいかな、私は夏の果物を集める者のように、ぶどうの残りを摘む者のようになった。もはや、食べられるふどうの実はなく、私の好む初なりのいちじくもない」とミカは悲しみました。

 

ここで預言者は自分を食べ物を探す飢えている人に比べました。農園へ行ったのですが、全てはもう既に刈り入れられていました。食べる物は何も残っていませんでした。空腹を癒すような葡萄やいちじくなどが一つも残っていませんでした。

 

【正しい人も残っていない】

イスラエルの国民を見ると同じような失望を感じました。なぜなら、彼等は神が教えて下さった恵みと祝福に至る生き方から遠く離れ、自己中心的で邪悪な道を選んで走ったのです。預言者ミカに聞いて下さい。「主の慈しみに生きる者はこの国から滅び、人々の中に正しい者はいなくなった。皆、ひそかに人の命を狙い、互いに網で捕らえようとする。」

 

人々は表面的に神の存在を認めましたが、実際に神が存在していないかのように生きていたのです。つまり、主が教えられた正しい道を無視し、神の裁きも恐れず、私欲を満たすしか考えませんでした。不信心な民になってしまいました。ですから人々はお互いに獲物になり、社会の崩壊の状態でした。

 

【高官から平民まで腐敗している】

更に3節と4節にこの言葉が記されています。「彼等の手は悪事にたけ、役人も裁判官も報酬を目当てとし、名士も私欲をもって語る。しかも、彼等はそれを包み隠す。彼等の中の最善の者も茨のようであり、正しい者も茨の垣に劣る」と書いてあります。つまり、人々の腐敗はただ社会の一部の問題ではなかったのです。身分の高い役人や裁判官をはじめ、貧しい平民まで程度の問題でした。国の一番良い人は「茨のよう」に刺々しく、彼等も神を畏れず、自己中心になったのです。

 

【隣人も家族も信じられない】

さらに、預言者ミカが友好と家庭の絆について5節と6節にこう語ります。「隣人を信じてはならない。親しい者にも信頼するな。お前のふところに休らう女にもお前の口の扉を守れ。息子は父を侮り、娘は母に、嫁はしゅうとめに立ち向かう。人の敵はその家の者だ。」

 

【自己中心】

イスラエルには家庭の崩壊が深刻になり、家庭内の問題も増えていました。また、その原因が人々の神の戒めを無視し、「それぞれ自分の目に正しいとする事を行いました。」(士師記21:25)つまり、非常に自己中心になりました。

 

 

【今日の国家と家庭の堕落】

ミカは大昔に自分の国の堕落した状態を嘆きましたが、現代社会に生きる私達も嘆く理由が十分あります。家庭と社会全体的崩壊、わがままな行為、嫉妬、犯罪、放蕩、虐待などが普通になっています。そしてこれは世界中の現象であります。日本にも、アメリカにも、アフリカとヨロッパにも等しいです。昔と同じようにその理由は今も全く同じです。

 

人々は愛する神が定めて下さった善い道から離れ、自己中心的に好き勝手に振る舞います。思うままに振る舞います。

 

【しかし、私は主を仰ぎ、わが救いの神を待つ】

その故に私達はこの世の出来事を見ると、預言者ミカのように、嘆きます。私達も「悲しいかな」と叫びます。しかし、ミカはただ嘆くだけでなく諦めませんでした。社会の悲惨な現状を「仕方がないな」と思って預言者の役を放棄しませんでした。却って、ミカはこう宣言されました。7節を見て下さい。「しかし、私は主を仰ぎ、わが救いの神を待つ。わが神は、私の願いを聞かれる。」

 

【わが神は、私の願いを聞かれる】

預言者は失望する理由が十分ありました。皆は罪深くなり、神の事を完全に忘れたのでなければ、口先だけの信心を現しました。しかしながら、現状がどんなに難しくなっても、ミカは唯一の神を徹底的に信じ、全ての希望を主に懸けました。 私は主を仰ぎ、わが救いの神を待つ。わが神は、私の願いを聞かれる。」

 

【神の救いを願う】

そして、預言者の願いは何でしたか。間違いなく、それは救いの願いでした。神の救いを何よりも求めたのです。なぜなら、人間が自分の力で、自分が掘った落し罠から逃げる事が出来なくなったからです。

 

【アドベントとクリスマスの意味】

そして、神は実際に預言者の切なる願いを聞いて、叶えて下さいました。それはアドベントとクリスマスの意味です。天の父なる神は人間の希望の全く無い状態を見て、御自分の愛と憐れみの故に、御子イエス・キリストをこの世に遣わして下さいました。その救い主の贖い死によって私達の罪が赦され、その救い主を通して神の本質、すなわち神の愛がはっきりと啓示されたのです。

 

【救い主イエス・キリスト】

更に、その救い主イエス・キリストが教えた愛に満ちた生き方を歩む事によって私たちと全人類は堕落と崩壊から救われます。いつも自己中心的にものを考えると、まわりは全部不平不満で、自分が掘った落し罠に深く落ちるばかりです。しかし、神の教えた道に立ち帰ると、自分の人生、自分の生活が変わり、社会も変わります。隣人を自分のように愛する事が出来るのです。

 

【御子イエス・キリストは私たちの希望】

預言者ミカの希望は約束された救い主です。忠実である神様はその約束を果たして、御子イエス・キリストは2010年前にこの世にいらっしゃいました。そのお方は私達の希望と唯一の救いです。

 

ミカの時代と同じように私たたの時代も難しいです。多くの人は真の神に従わないで、おもに自分が決めたわがままな道を走っています。しかし、私たちは大きな希望を抱いています。その希望こそは「道であり、真理であり、命である」主イエス・キリストです。

 

【再臨の主イエスを待望】

御自分の働きに参加する為、イエス・キリストは私たちと共にいて、助けて下さいます。そして、その同じイエス・キリストは将来再びこの世にいらっしゃいます。ですから私たちは預言者ミカと共にこの信仰を持って告白します。「私は主を仰ぎ、わが救いの神を待つ。わが神は、私の願いを聞かれる。」(おわり)

 

 

2009年12月06日 | カテゴリー: ミカ書 , 旧約聖書

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