わたしは、あなたの住んでいる所を知っている ウイリアム・モーア
聖書:ヨハネの黙示録2章12−17
12:ペルガモンにある教会の天使にこう書き送れ。『鋭い両刃の剣を持っている方が、次のように言われる。13:「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかし、あなたはわたしの名をしっかり守って、わたしの忠実な証人アンティパスが、サタンの住むあなたがたの所で殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。 14:しかし、あなたに対して少しばかり言うべきことがある。あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。15:同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉ずる者たち がいる。16:だから、悔い改めよ。さもなければ、すぐにあなたのところへ行って、わたしの口の剣でその者どもと戦おう。17:耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。」』
【マクドナルドで】
少し前、アメリカ滞在中に次男ポールの大学卒業式の為に南部のノースカロライナ州から北部のボストン市まで往復約3、000キロの旅をしました。長い旅ですから、コーヒを飲む為によく高速道路のマクドナルドに車を止めました。そして、ある朝早くの事ですがコーヒを注文すると、レジの請求がメニューに載ってある値段より、半分位安くなっていました。それはめったにない事ですから、不思議に思いながらでも、うれしくって、店の人に言わずにまず席に戻りました。でも、やはり私は安いコーヒーの理由が知りたかったのです。ですからコーヒのレシートをよく見ると、コーヒの代わりに「snrdrnk」と言う、分からない言葉が書いてありました。
【「snrdrnk」】
「snrdrnk」と言う分からない品物を注文しなかったので、とても不思議だと思いました。しかし、レシートをもう一度見ると悟りました。「snrdrnk」はsenior
drink の省略になります。まだシニアの資格がなかったのに割引のシニア・ドリンクを自動的に頂きました。実は、まだシニアではないと思ったのです。正直に言うと、私はその経験でちょっとショックを受けました。やっぱり、頭の雪の所為。しかし、その経験を通して生涯の流れを新たに実感させられました。また、詩編90編のお話を思い出されました。
「 生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」
【日々を数え】
実は、今日の聖書の朗読は「日々を数えていた」キリスト者の為に書かれていた手紙でした。しかし、年の為に日々を数えていた訳ではありません。彼等は、イエス・キリストの為に迫害を受けた日々を数えたのです。
ペルガモンという町にあるキリスト教会が当局と市民から厳しい迫害を受けました。そして、迫害を耐える為に、ヨハネと言う主の弟子への幻を通して、蘇られ、天国に上げられた主イエス・キリストがペルガモン教会の信者に励ましと忠告の御言葉を送りました。
【ペルガモン】
ペルガモンと言う町は現在のトルコにありますが、新約聖書の当時に重要な所でした。ローマ帝国の支配を受けたペルガモンは政治と経済と文化と宗教の中心になりました。本、二十万冊の世界的図書館があって、他に印象的建物も沢山並んでいました。
【ペルガモン神殿】
ペルガモンは特に神殿で有名になったのです。ギリシア・ローマの神々を祭る神殿が山程あったのです。知恵と芸術と戦術の女神アテーナーの広い神殿があって、お酒の神デイオニュシオスと医術の神アスクレピオスなどの寺院もありました。
【皇帝崇拝】
更にペルガモンの立派な神殿でローマ皇帝アグストスが神として祭られていました。何処へ行っても神殿があって数え切れない程の神々が崇拝されていました。実はペルガモンであらゆる信仰が盛んになり、ローマ帝国の全ての神々と宗教が代表されていました。
【サタンの御座】
まるで繁華街のようでしたが、その故に今日のみ言葉はペルガモンについて「そこにはサタンの御座がある」と書いてあります。そこには人々を惑わす偽りの神々が沢山あったからです。
【ペルガモン教会】
誠の宗教キリスト教もペルガモンに入り、御霊の力と導きによって信じる人がふえて、教会も出来ました。しかし、キリスト者になるとイエス・キリストのみを信じなければなりませんでした。つまり、唯一の誠の神を信じながら、他の神々も拝む事はしてはいけない事でした。それは私達の信仰の基本です。十戒の第一戒はこうなります。「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない。」
【ペルガモン教会の迫害】
しかし、その為にペルガモンにいるキリスト者が罵られました。と言うのは、ペルガモンの市民は同時に沢山の神を崇敬して、独占的に一つの神を崇める事はとんでもないことだと思ったのです。「多くの神々を礼拝し頼む程、益になる」と信じました。また、その社会では皇帝崇拝に政治的役割がありました。市民が神として皇帝を礼拝する事によって、自分の愛国心を皆に現した訳です。その反面、皇帝礼拝を断ると、自分が非国民だと思われ、三国民のように扱われてしまいました。
【わたしの忠実な証人アンテイパス】
今日の御言葉の13節にイエス・キリストがペルガモン教会の信徒達にこのようにおっしゃいました。ヨハネの黙示録2章13節
「あなたはわたしの名をしっかり守って、わたしの忠実な証人アンテイパスが、サタンの住むあなたがたの所で殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。」
細かい事は書かれていませんが、ここで、アンテイパスという信者が信仰の故に、殉教しました。何故なら、彼はイエス・キリストのみを礼拝して信じ、ローマの神々の礼拝を飽くまでも拒否したのです。アンテイパスが当局によって処刑されたか、それとも民間の暴力行為で殺されたかは分かりませんが、殉教
しました。
【ペルガモン教会への励まし】
ですから、恐れていたペルガモン教会の兄弟姉妹には励ましの御言葉が必要でありました。つまり迫害に負けないようにイエス・キリストこそが彼等に語って下さいました。
【ベトナム人の牧師ファン先生の証し】
アメリカから帰るすぐ前にオハイオ州での宣教大会に参加しました。大会ではファン先生というベトナム人の牧師が自分の証を述べて下さいました。北ベトナムの赤軍が南の方を進攻した時、ファン先生は外国へ避難しに行きませんでした。何故なら、共産党の政権であっても自分の国で与えられた群れを守り、伝道する必要があったと信じたのです。不思議に南ベトナムが無神論の共産党の支配を受けても、ファン先生の教会は信者に恵まれ、一千人を超えました。しかし、ある日、当局が急に教会に現われ、反政府的活動で先生を逮捕してしまいました。先生は講壇から政府に対して悪い事は何も説いていなかったので、その告発は全く誣告でしたが、当局は先生の影響力を恐れ、どうしても彼を収容したかったのです。
【強制収容所】
そして、不公平な裁判によりファン先生は重労働8年の刑を受けました。強制収容所の生活は大変ですが、先生は不思議に守られていました。重労働をさせたのに一日御飯二杯と薄いスープしかくれませんでした。しかし、囚人同士達が家族から送られた食べ物を先生に分けて下さいました。また先生は賄賂を払わなかったので、一番厳しい看守のグループに入れました。
【看守が変わる】
しかし、不思議にファン先生がそのグループに入ると看守はとても親切になりました。自分の食卓にファン先生を招いて、いつも十分な食事が出来ました。前はその看守を避ける為に囚人達が賄賂を払ったのですが、ファン先生が入った後、囚人が看守のグループに入る為に賄賂を払ったのです。
ファン先生の影響で囚人のうち50数人がイエス・キリストを信じ収容所で信仰生活を守りました。証人として収容所で大きな存在になりました。
【収容所長の誘惑】
ある日、収容所長が先生にこう言いました。「反政府的活動の罪を認めたら明日でも自由にさせる」と誘惑しました。そして、先生はこう答えた。「神様のみが私の解放の日を決めます。私を自由にさせたかったら神は明日にでも自由にさせます。」
【解放】
ファン先生は6年間の刑を服してから、無条件で自由を得たのです。先生はこのような証をしました。「どんな事があっても主は私と共にいて、丁度必要な霊的と物質的賜物を送って下さいました。私には収容所が大事な伝道の職場になりました。」
今日与えられた御言葉を見ますと、主イエス・キリストはこう言われます。「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。」主イエスはペルガモン教会とファン先生と私達にも、「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている」と言って下さいます。すなわち、「あなたの住んでる環境が分かります。私は悪魔の力と誘惑も良く知っています。私は周りの者の批判と態度もよく分かっています。また、国に広がる霊的暗闇も分かります。その全てが分かりますので、私はあなたと共にいて、最後まで私に忠実になるようにあなたに希望と力を与える。」
【主はなぜあなたの住む所が分かるか】
そして、私達の主イエスキリストはどうして「あなたの住んでいる所が分かる」と言えるのでしょうか。イエス・キリスト御自身がこの世に生まれたからです。主イエスは私達が経験する事を全て経験されました。いや、主は私達よりも遥かにもっと体験があったのです。主は過酷な誘惑と戦いました。主イエスは霊的暗闇の攻撃も耐えられました。更に、主は迫害を受けて、十字架の死までもの迫害を経験されました。主イエスは誰よりも私達の住んでいる所を知っています。すなわち、主は私たちを取り巻く環境をよく体験されたからです。御自身が天から下ってこの世に生まれ、この世に住み、私達よりもこの世での苦しみと挑戦を体験されたのです。
【主は私たちの住む所を知っておられる】
愛する兄弟姉妹、これはどんなに素晴らしい事でしょう。私達の主と救い主は私達が住んでいる所を本当に知っています。そして、私達の主はお墓から蘇られ、天に上られ、父なる神の右にいらっしゃいます。
【主の御霊は今もともに】
そして、御自分の御霊を通していつも私達とともにいらっしゃって、主に相応しく生きる為、必要な力と知恵と愛を授けて下さいます。
ペルガモンに住んでも、西谷に住んでも、どこでも住んでも同じです。主は私達と共にいらっしゃって助けて下さいます。
【つまずきとなる物】
今日の朗読に主イエスはその励ましの御言葉と共に警告の御言葉も伝えられました。14節を見て下さい。
「しかし、あなたに対して少しばかり言うべき事がある。あなたの所には、バラムの教えを奉(ほう)ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなる物を置くようにバラックに教えた。それは、彼等に偶像にささげた肉を食べさせ、みだらな事をさせる為だった。」
【ペルガモン教会の堕落】
ペルガモン教会にある信者はイエス・キリストを知らない一般の人々の振る舞いと態度の真似をしました。彼等は周りの社会からどんな事でも受け入れ、全ての信仰と振る舞いに対して寛容な態度を取りました。しかし、その態度と生き方は彼等を惑わしてしまいました。自分達が神の戒めから自由になったと説いて、その態度から来た行為はキリスト者に相応しくなかったのです。
【教会は悔い改めよ】
ペルガモン教会と日本の教会と世界の全てのキリスト教会に主イエスは「悔い改めよ」と命じております。「全ての罪を捨てて、あなたの幸福の為と私の福音の為に、私が教えた正しい道から迷ってはいけません」とおっしゃっています。
【主のすばらしいお約束】
そして、イエス・キリストを心から信じ、毎日の生活に御自分の教えを実行すると、主は素晴らしい約束を下さいます。17節にこの御言葉が記されています。
「耳ある者は、『霊』が諸教会に告げる事を聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかには誰にも分からぬ新しい名が記されている。」
【天からのマンナ】
マンナは天から降ったパンのような食べ物でした。イスラエルの人々が神によって約束された地カンナまでの旅をした時、主は彼等をマンナで養いました。しかし、今日の御言葉に於けるマンナは霊的な物です。主イエスは御自身が「命のパン」であると教えられました。ヨハネによる福音書6章48にイエス・キリストの御言葉がこう記されています。
「私は命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天からくだって来たパンであり、これを食べる者は死なない。私は、天からくだって来た生きたパンである。このパンを食べるならば,その人は永遠に生きる。私が与えるパンとは、世をいかす為の私の肉の事である」
と記されています。
【永遠の命のパン】
荒れ野のマンナは一時的に人々の命を支えたが、「命のパン」イエス・キリストはこの世でも、死後にも豊かな命を下さいます。悔改め、主を信じると、この比べられない賜物は私達を永遠まで支えて下さいます。それはイエス・キリストの約束です。
【白い小石】
そして、最後に今日の御言葉に於けるもう一つの約束があります。それは、「白い小石を与えよう」と言う事です。
当時の裁判で判事が二つの小石で判決を下しました。白い石と黒い石です。もし被告人が有罪であれば、判事が黒い小石を出して皆に見せたそうです。その反面、無罪の場合、判事は白い小石を手に取る事によって無罪の判決を表しました。
【イエス・キリストの贖罪】
御自分の十字架の贖死を通してイエス・キリストは私達の罪の罰を自分の身に取って下さいました。私達は有罪の黒い小石を受けるべきですが、主イエスのお陰で白い、無罪の小石を受ける事になります。そして、神は私達を御自分の赦された子供として受け入れ、永遠まで祝福して下さいます。それは私達が受けた神の比べられない素晴らしい賜物です。
【アメリカのある姉妹】
この間アメリカで家内と私は多くの教会を巡回しました。オレゴン州の教会である姉妹がポケットから白い小石を出して私に見せて下さいました。姉妹はイエス・キリストの哀れみと救いを忘れないように、何処へ行ってもその白い小石を持って歩いていると教えて下さいました。
【小石にあなたの名前が】
私たちの住んでいる所を知っている神は白い小石を私達一人一人に与えて下さいます。そしてその小石にあなたの名前が書いてあります。どうか私達はその素晴らしい賜物によって生かされ、何処へ行っても喜びを持って主の者として生きましょう。(おわり)
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