『熱心な祈り』伊丹教会長老植田昌彦
聖書:使徒言行録12章1~24節
◆ヤコブの殺害とペトロの投獄
1:そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、 2:ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。3:そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。4:ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。5:こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。
◆ペトロ、牢から救い出される
6:ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。7:すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。8:天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。9:それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。10:第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門 がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。11:ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」12:こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。
◆女中ロデと信者たち
13:門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。14:ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。15:人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、「それはペトロを守る天使だろう」 と言い出した。 16:しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた。17:ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。18:夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。19:ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。
◆ヘロデ王の急死
20:ヘロデ王は、ティルスとシドンの住民にひどく腹を立てていた。そこで、住民たちはそろって王を訪ね、その侍従ブラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。21:定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、22:集まった人々は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。23:するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。24:神の言葉はますます栄え、広がって行った。
【神とサタン:この世の二大勢力】
世の中の動きには、必ず神様のご計画を進めるものと、それに反する、それを妨げようとする2つの勢力のせめぎあいがあります。私たちの日々の生活の中で、そのことを明確に感じる事は、それほど有るわけでは無いかもかもしれませんが、しかし神様には、ご計画はいつもあり、またそれを妨げようとする人間の動きサタンの働きが常にあります。私たちは信仰の歩みの中で、いつも注意深くそれらを見分けていなければなりません。
勿論人間的思いで勝手に決め付けてはならないことで、最終の判断は神様に委ねる謙虚さも常に持つ必要があります。
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「人を裁く前に」淀川キリスト教病院伝道部長 田村英典
聖書:マタイ7章1~6◆人を裁くな
1:「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。2:あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。3:あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。4:兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。5:偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。6:神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」
【人を裁くな】
前回は、「人を裁くな」というイエスの教えが、他者への裁きを全て禁じるのではなく、むしろ教会も私たち個々人も、正しい裁きと批判はする義務があること、またこの教えは、すぐ人を詮索し、あら探しをしやすい生れながらの私たちの内にある罪の習性としての裁き癖を問題とし、それを禁じていることを確認しました。今朝も更に学びます。
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「人を裁くな」淀川キリスト教病院伝道部長 田村英典
聖書:マタイ福音書7章◆人を裁くな
1:「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。2:あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。3:あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 4:兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。5:偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。6:神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」
【人を裁くな】
今朝は、私たちの誰もが犯しやすい過ちの一つに対する主イエスの教えを学びます。主は言われました。7:1「人を裁くな。」
この世では、裁き合いなどは日常茶飯事で、お互いさまかも知れません。しかし、「あの人は最低だ。何も分っていない」などという裁き合いが、家や職場、特に教会で見られるなら、どうでしょうか。心からの礼拝はできないと思います。口には出さなくても心の中で裁き合っているなら、それは神の教会を破壊します。ですから、この主の戒めは、誰もが肝に銘じなくてはならないとても大切なものです。
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足のともし火 江戸浩三伊丹教会長老
聖書:詩篇119篇105
"あなたのみことばは私の足のともし火、私の道の光です" ルカ福音書8章16~17 ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入ってくる人に光が見えるように、燭台の上に置く。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。
【ともし火】
きょう、皆さんにお伝えする言葉は、ともしび、です。ともし火と聞くと小さな火を連想できます。とろとろと燃えている火をともし火、と表現しますが電気の光でも、ともし火と言えるでしょう。遠方に見える、ぼんやり見える小さな光。
どこかの外灯かもしれません。歩く動きに合わせて左右に揺れる提灯の灯り。
霧のなかの灯台の灯り。小さく見えて頼りなさそうな一筋の光ですがとても重要な役目を持っていることは言うまでもありません。その光を頼りに難を逃れて目的地にたどり着けることはほんとうにうれしいことです。
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神との契約に生きる ―その恵みと厳粛さ― 神戸改革派神学校校長市川康則牧師
聖書:士師記11章29‐40節
士師エフタの誓願29:主の霊がエフタに臨んだ。彼はギレアドとマナセを通り、更にギレアドのミツパを通り、ギレアドのミツパからアンモン人に向かって兵を進めた。30:エフタは主に誓いを立てて言った。「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、31:わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします。」32:こうしてエフタは進んで行き、アンモン人と戦った。主は彼らをエフタの手にお渡しになった。33:彼はアロエルからミニトに至るまでの二十の町とアベル・ケラミムに至るまでのアンモン人を徹底的に撃ったので、アンモン人はイスラエルの人々に屈服した。
エフタの一人娘34:エフタがミツパにある自分の家に帰ったとき、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。35:彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った。「ああ、わたしの娘よ。お前がわたしを打ちのめし、お前がわたしを苦しめる者になるとは。わたしは主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない。」36:彼女は言った。「父上。あなたは主の御前で口を開かれました。どうか、わたしを、その口でおっしゃったとおりにしてください。主はあなたに、あなたの敵アンモン人に対して復讐させてくださったのですから。」 37:彼女は更に言った。「わたしにこうさせていただきたいのです。二か月の間、わたしを自由にしてください。わたしは友達と共に出かけて山々をさまよい、わたしが処女のままであることを泣き悲しみたいのです。」38:彼は「行くがよい」と言って、娘を二か月の間去らせた。彼女は友達と共に出かけ、山々で、処女のままであることを泣き悲しんだ。39:二か月が過ぎ、彼女が父のもとに帰って来ると、エフタは立てた誓いどおりに娘をささげた。彼女は男を知ることがなかったので、イスラエルに次のようなしきたりができた。40:来る年も来る年も、年に四日間、イスラエルの娘たちは、ギレアドの人エフタの娘の死を悼んで家を出るのである。
【士師(しし)エフタの請願と悲嘆】
旧約時代、イスラエルの民が安定した王朝国家形成をする前、「士師(しし)」と呼ばれた指導者がその時々の必要に応じて神に立てられ、イスラエルを統治、指導していた時代のことです。士師記にはギデオン、サムソンなど有名な士師が登場しますが、エフタもその一人です。エフタに関する記事は11章1節から12章7節ですが、ここで目を引くのは、11章29‐40に記される、主に対するエフタの請願が引き起こした"悲劇"でしょう。すなわち、自分の請願のために一人娘を神に捧げなければならなかったことです。