2009年6月

「思い悩むな」淀川キリスト教病院伝道部長 田村英典牧師

聖書:マタイによる福音書6章25~34節

思い悩むな25:「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。


26:空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。


27:あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。28:なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。


29:しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。30:今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。


31:だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。32:それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。


33:何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。


34:だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」


【悪魔とともに滅びないために】
今朝は「思い悩むな」という主イエス・キリストの教えを学びます。

まず、ここで主イエスが何を一番問題としておられるかを確認しておきます。それは、私たちの魂を神から離して滅ぼそうとするサタン、悪魔の巧妙な手口です。

クリスチャンは、主イエスを通して日々神との交わりに生き、主に執り成され、神との生きた関係に生きる者です。しかし、この大切な神との縦の関係と共に、私たちはこの世との様々な横の関係にも生きます。そのため、しばしば神との関係を危うくされる危険性があります。イエスは6章19節以降で、この世の宝や富に固執する危険性を言われますが、25節以降でも、目に見えるもの、この世だけに属するものに私たちが心を奪われ、神との関係を損う危険性のあることに注意を促されます。私たちは今一度、サタンの恐るべき力と巧妙さを思い起すべきでしょう。

2009年06月28日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 新約聖書

主の御声に支えられて 鈴蘭台教会牧師金原義信

鈴蘭台教会牧師金原義信

聖書:ヨハネ6章16-21節 ◆湖上を歩くイエス

16:夕方になったので、弟子たちは湖畔へ下りて行った。17:そして、舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。既に暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった。18:強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。19:二十五ないし三十スタディオンばかり漕ぎ出したころ、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。20:イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。」21:そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。

【人生の荒海】
私たちは天の御国を目指して信仰生活をしています。そして同じ主によって地上で愛され導かれて歩んでいます。その途上にある今、穏やかな所ばかりでなく、嵐の中を通っていく事もあります。ちょうど、ガリラヤ湖で嵐の中行き悩む舟に乗った弟子達のようにです。

2009年06月21日 | カテゴリー: ヨハネによる福音書 , 新約聖書

「あなたも見えるようになる、」img河内常男長老

河内常男長老

聖書ヨハネによる福音書9章1~12

◆生まれつきの盲人をいやす

1:さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。2:弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」

3:イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。4:わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。5:わたしは、世にいる間、世の光である。」6:こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。7:そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。

8:近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。9:「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。10:そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、11:彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」12:人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。


【親の罪によるのですか】
イエス様と弟子たちが、通りを歩いおられます。道端に生まれつき目の見えない人が,座って物乞いをしています。どうやら、この人は男性のようです。

弟子たちが、「この人が生まれつき目が見えないのはどうしてですか、本人が罪を犯したからですか」、それとも、両親が罪を犯したからですか、と尋ねています。

2009年06月14日 | カテゴリー: ヨハネによる福音書 , 新約聖書

「信じる自分を見つめるときに」山中恵一神学生

山中恵一神学生


聖書:エフェソの信徒への手紙1章3‐6節

◆キリストにおいて満ちあふれる神の恵み

3:わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。

4:天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。5:イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。

6:神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。


【あいさつ】
今朝はこのように、学びの途上にある神学生に御言葉の奉仕を許していただきまして、ありがとうございます。この場に遣わしてくださった神様と、迎えてくださった皆様に心から、感謝をいたします。また、私どものいます神学校が、みなさまからの本当に多くのお祈りと献金とに支えられていますことを神学校に変わりまして心より感謝をいたします。

2009年06月07日 | カテゴリー: エフェソの信徒への手紙 , 新約聖書