「聖霊を信じる」淀川キリスト教病院伝道部長 田村英典

淀川キリスト教病院伝道部長 田村英典

使徒言行録2章◆聖霊が降る

1:五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2:突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3:そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4:すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

5:さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、6:この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。7:人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。8:どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。9:わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、10:フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、11:ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

12:人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。13:しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。


【ペンテコステ「五旬祭」と聖霊】
今年のペンテコステ礼拝は次の日曜日になります。従って、一週間早くなるのですが、今朝はこれに関連して、聖霊についてお話させていただきます。

使徒2章1に「五旬祭」(50日目の祭)とあります。これをギリシア語でペンテコステと言います。ユダヤでは、過越祭直後の日曜日から7週目(50日目)にも、神をたたえる祭をしてきましたが、新たにこれは教会にとっても重要な記念日となりました。この日はイエスが十字架の死より復活されて50日目にも当り、1~13節が伝えるように、神の"霊"、聖霊が弟子たちに驚くべき形で臨まれ、この時以来、彼らは聖霊の力を受けて教会の一番大切な福音宣教の働きを始めたのでした。ですから、この日は教会の誕生日とも言われます。

ここに見られるような特別な出来事は一回きりでした。しかし、この後、使徒言行録が伝えるように、聖霊は様々な形で臨まれ、弟子たちはイエスの福音を伝え、真の神も救いも知らなかった世界中のおびただしい数の人が罪と永遠の滅びから救われていきました。今や福音は日本にも伝えられ、真の神を信じ、福音に生き、多くの人に救いの喜びを伝えたい真実な信仰者が起されています。その全てが、実は父なる神と御子イエスの遣わされた聖霊の御業なのでございます。

そこで今朝は、素晴らしい働きをしておられるこの聖霊を信じることの大切さを再確認したいと思います。

【聖霊は三位一体の神の第三人格】

聖霊についての全体は、改革派教会創立40周年記念宣言がうまくまとめています。ただ、今朝はいくつか大事な点だけを見ます。

改めて言うまでもなく、聖霊は神です。聖霊は御霊とも呼ばれ、父なる神、子なる神イエスと共に、三位一体の神の第三人格であられます。キリスト教の異端は皆、聖霊を神の力かエネルギーぐらいにしか考えず、人格的存在であることすら認めません。しかし、ローマ8章26は「"霊"も弱い私たちを助けて下さ」る、と言います。私たちを助けて下さる!従って、単なる力などではなく、人格的存在であることは明白です。

【自分を聖霊に明け渡す】

特に大切なのは、聖霊のお働きを良く知り、信じて、自分を聖霊に明け渡すことです。クリスチャンは、天地の創り主・全能の父なる神と御子イエス・キリストを信じ、全てを委ねて生きています。同様に、聖霊を心から信頼し、自分を委ね、さらに言うなら、愛して、その導きに従うのです。これがまことのキリスト教信仰です。

【今、働かれる聖霊】

聖霊は大変豊かな働きを、御父と御子と共にしておられます。天地創造の御業は勿論、今も世界と歴史の一切に関り、導いておられます。また聖霊は、私たちの全存在に関っておられます。私たちはそもそも聖霊によって生かされ、心臓の鼓動、呼吸、体中を巡る温かい血液の流れ、神経や内臓の活動、皮膚感覚、見え、聞こえ、味わえること、考え、理解できること、嬉しいこと、また知性、感情、意志など私たちの全精神活動が聖霊に支えられています。

【救いは聖霊の御業】

しかし、最も大切なのは、聖霊が私たちの「救い」に決定的に関っておられることです。このことをよく認識し、聖霊に寄り頼むことが大切です。

ご存じのように、御子イエスは父なる神のご計画に従い、私たちの守るべき神のきよい律法を私たちのために全て完璧に守られ、その上で、本来、私たち罪人に臨むべき永遠の裁きを十字架で私たちに代って受けて死なれました。こうして、全世界を救ってなお余りある豊かな贖いを完成して復活され、今、天の父なる神の右におられます。

聖霊は、イエスが獲得されたその豊かな救いの恵みを信徒一人一人に適用し、そうして救いを具体的に私たちの内で実現されます。宗教改革者カルヴァンは、聖霊を「キリストと私たちとの紐帯」と言いました。その通り、聖霊により私たちがイエス・キリストに結び付けられることで、キリストの恵みが私たちの内に働き、私たちは罪と滅びから救われます。こういう働きをされる聖霊への信頼がとても大切です。

【有効召命】

もう少しお話致します。人が永遠の救いに与る第一歩は、通常は、自分の中に何か魂の飢え渇きを覚え、そこで誰かからとか、どこかで聞いた真の神を求める心が芽生えるところから始まります。心に変化が起きているのです。これは実は聖霊によります。いわゆる有効召命と再生です。

【悔い改めは聖霊の働き】

次に、私たちは教会に出席し、また聖書を読み、神の前で自分の罪を自覚し、神を恐れるようになります。同時に、こういう私たちのために十字架で命を献げて下さった神の御子イエス・キリスト以外に救いはないことを悟り、心からイエスを仰ぎ、救いを求めるようになります。これが悔い改めと信仰です。これも聖霊の働きです。Ⅰコリント12章3が言いますが、聖霊によらなければ、誰も「イエスは主である」と言うことはできません。

【救いの確信と実感】

次に、私たちは神と教会の前に信仰を公に告白し、洗礼を受け、クリスチャンとして歩み始めます。必ずしもすぐ救いの十分な確信や実感がないこともあり、あっても同じ強さで続かないこともあります。しかし、説教や聖餐式、祈り、教会の交わりなど、恵みの手段に忠実に与っているならば、自分がイエスへの信仰により確かに罪赦され、義とされ、素晴らしいことに自分が神の子とされている確信と実感を必ず与えられます。これも聖霊によります。ローマ8章15、16は言います。「あなた方は人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によって私達は『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、私たちが神の子供であることを、私たちの霊と一緒になって証しして下さいます。」

【聖霊は信じるものを助ける】

クリスチャンとして私たちがどこに立って信仰の戦いをするかは夫々ですが、あの厳しい宗教改革運動の中で、ルターは、聖霊に導かれた者が神を父と呼べることが如何に大切かを、繰り返し語りました。彼自身そこに立ち、孤独の時にも信仰の戦いができたのでした。私たちもこのことを覚えておくと良いと思います。従って、色々なものに追い詰められ、万事窮すという時でも、「違う。私は洗礼を受け、神の子とされている。天地の造り主、全知全能の神が今やイエス・キリストの故に本当に私の父であられる。だから、何事が起っても、神は私を守られる」とハッキリ思い起し、自分にそう言い聞かせるのです。そうやって、聖霊は私たちの魂と共に働かれ、私達を助けて下さいます。

【聖霊は信徒を聖化する】

また聖霊は、御言葉を用いて私たちを少しずつ清め、罪に死に、義に生きる者にさせ(これが聖化です)、この世で完全聖化はありませんが、死の瞬間に私たち信仰者を全く浄め、天の御国に相応しい者に完成して下さいます。

要するに、私たちの救いの初めから終りまで、全てはイエス・キリストの贖いの恵みを取り次がれる聖霊によります。ですから、聖霊を心から信じ委ねることが、とても大切です。「我は聖霊を信ず」と使徒信条にあります。その通り、世々の教会、全世界の教会と共に、イエス・キリストの救いの恵みを具体的に表して下さる聖霊に謙虚に信頼し、自らを明け渡したいと思います。すると聖霊はいよいよ私たちに働いて下さいます。

【真理の御霊】

以上が聖霊の中心的なお働きです。しかし、本当はこれだけではありません。その御業は大変豊かです。その中で特に大切と思われるものだけを見ます。

第一は、聖霊こそ、神の真理を悟らせて下さる真理の霊だという点です。

十字架の前夜、イエスはご自分の代りに御霊を遣わすことを弟子たちに何度も言われました。例えば、ヨハネ14章16、17で主は、「私は父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにして下さる。この方は真理の霊である」と言われました。

【聖霊は御言葉を悟らせる】

神の御言葉には、神の知恵と真理が満ちています。詩編119篇130は「御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます」と歌い、119篇98も「あなたの戒めは、私を敵よりも知恵ある者とします」と歌います。しかし、その御言葉が分らなければ意味がありません。そのためには、勤勉に聖書を読み、御言葉を貯え、生活の中で「あぁ、御言葉の通りだ」という御言葉体験がとても大切です。御言葉が思い出され、体験していることと一致することが重要です。まさに聖霊はそういうことを私たちにして下さるのです。イエスは言われました。ヨハネ14章26「弁護者、すなわち父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなた方に全てのことを教え、私が話したことをことごく思い起させて下さる。」御言葉の真理をより多く得させていただくために、註解書や聖書辞典の活用と共に、聖書を読む時も説教を聞く時も、聖霊が私たちの心を内側から照らして霊的理解力を高め、生活の中で御言葉の真理を体験させ、悟らせて下さるよう、真剣に祈りたいと思います。

【聖霊は助けてくださる】

第二に、どんな時も聖霊が私たち信仰者の味方であられることを固く心に留めたいと思います。大きな励まし、慰めになります。先程のヨハネ14:26で聖霊は「弁護者」と言われています。元のギリシア語は「呼ばれて、かたわらに来てくれる者」という意味で、「助け手」とか「慰め主」とも訳されます。要するに、聖霊は信仰者の味方だということです。勿体ないことですが、聖霊はどんな時にも私たち信仰者の味方であられるのです。

【人は聖霊の宮である】

Ⅰコリント6章19が教えるように、聖霊は実に私たちの体の頭のてっぺんから足のつま先までを御自身の宿る神殿とされ、私たちの体も魂も妬むほど愛され、私たちを内側からも応援しておられます。このことを憶えておくだけでも、大きな困難に襲われた時、どんなに私たちに勇気と落ち着きと希望を与えることでしょうか。

【聖霊は執り成してくださる】

第三に、祈れないほど私たちが弱っている時も、聖霊が私たちのために祈られ、私たちを神に、それも最善に執り成して下さっていることを覚えたいと思います。この素晴らしい聖霊の働きをローマ8章26~27は言います。「同様に"霊"も弱い私たちを助けて下さいます。私たちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せない呻きをもって執り成して下さるからです。人の心を見抜く方は、"霊"の思いが何であるかを知っておられます。"霊"は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成して下さるからです。」

私たちは弱い者です。順調な時には祈りの言葉も出ます。しかし、問題が三つも四つも重なったらどうでしょう。病気でひどい高熱に襲われ、重い病気を告知されたらどうでしょう。こういう時こそ祈らねばと思うのですが、頭が混乱し、祈りの言葉も出て来ない時があります。しかし、まさにこんな私たちに代って、御霊自らが言葉に表せない呻きをもって神に執り成して下さるのです。ですから、祈れないからといって、クリスチャンは絶望する必要はありません。私たちに代ってお祈り下さる聖霊に委ねれば良いのです。

【「我は聖霊を信ず」】

しかも、聖霊は「神の御心に従って」(27節)、つまり最終的には一番良い結果へと執り成して下さいます。私たちの願いは、自分では最善と思えても、しばしば間違っていることがあります。しかし、御霊は違います。私たちのその時だけでなく、将来もご存じです。ですから、その時は私たちに理解できなくても、究極的には私たちにとって必ず益となるよう、神に取り次いで下さいます。ですから、聖霊に委ねたいと思います。この大切なことを改めて心に刻み、世々の教会、全世界の教会と共に「我は聖霊を信ず」と心から告白し、その祝福に与り、ますます神を称え、喜ぶ者にされたいと願います。

【聖霊に祈る】

以上のことを踏まえて、最後、第五番目に、聖霊に祈ることをお奨めして終ります。宗教改革者メランヒトンは祈りました。「永遠の父と子とより出で、ペンテコステの日に使徒達に注がれた真理と純潔の全能なる聖霊よ。私たちはあなたに感謝致します。あなたは神の御言葉に対する私たちの信仰を固くし強めて下さいました。あなたは私たちを慰めて下さいますので、私たちの心が神の内に安らぎ、全ての善い物を神に乞い求め、また期待するに至るのです。私たちの体と心の幸いのためにして下さる備えに対して感謝致します。聖霊よ、全ての栄光と誉れと賛美と感謝が、とこしえにあなたにありますように。アーメン」私たちも聖霊に祈りたいと思います。

主イエスが洗礼を受けられた時、天が開けて聖霊が鳩のようにイエスの上に降られました。私たちも、そのように聖霊が私たちに臨んで下さることを、祈り求めたいと思います。(おわり)

2009年05月24日 | カテゴリー: 使徒言行録 , 新約聖書

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