主よ、なぜ遠く離れて立ち、苦難の時に隠れておられるのか ウイリアム・モーア宣教師
詩編10篇(アルファベットによる詩)
1:主よ、なぜ遠く離れて立ち/苦難の時に隠れておられるのか。2:貧しい人が神に逆らう傲慢な者に責め立てられて/その策略に陥ろうとしているのに。3:神に逆らう者は自分の欲望を誇る。貪欲であり、主をたたえながら、侮っている。4:神に逆らう者は高慢で神を求めず/何事も神を無視してたくらむ。5:あなたの裁きは彼にとってはあまりにも高い。彼の道はどのようなときにも力をもち/自分に反対する者に自分を誇示し6:「わたしは揺らぐことなく、代々に幸せで/災いに遭うことはない」と心に思う。7:口に呪い、詐欺、搾取を満たし/舌に災いと悪を隠す。8:村はずれの物陰に待ち伏せし/不運な人に目を付け、罪もない人をひそかに殺す。9:茂みの陰の獅子のように隠れ、待ち伏せ/貧しい人を捕えようと待ち伏せ/貧しい人を網に捕えて引いて行く。10:不運な人はその手に陥り/倒れ、うずくまり11:心に思う/「神はわたしをお忘れになった。御顔を隠し、永久に顧みてくださらない」と。
12:立ち上がってください、主よ。神よ、御手を上げてください。貧しい人を忘れないでください。13:なぜ、逆らう者は神を侮り/罰などはない、と心に思うのでしょう。
14:あなたは必ず御覧になって/御手に労苦と悩みをゆだねる人を/顧みてくださいます。不運な人はあなたにすべてをおまかせします。あなたはみなしごをお助けになります。15:逆らう者、悪事を働く者の腕を挫き/彼の反逆を余すところなく罰してください。
16:主は世々限りなく王。主の地から異邦の民は消え去るでしょう。17:主よ、あなたは貧しい人に耳を傾け/その願いを聞き、彼らの心を確かにし18:みなしごと虐げられている人のために/裁きをしてくださいます。この地に住む人は/再び脅かされることがないでしょう。
【9・11事件】
おそらく皆さんも私と同じようにメデイアで特に酷いニュースを聞くと、口がきけない程の驚きと恐怖を感じ、ぞっとします。例えば、ニュヨーク市の世界貿易センターの9•11事件はそうでした。全く思い掛けなく、テロリストが飛行機を爆弾にして、無差別的に数千人の命を無残にも奪ってしまいました。
【ルワンダ大量虐殺】
また、皆さんが覚えていると思いますが、1994年にアフリカの国ルワンダで大量虐殺がありました。その国のある部族が二ヵ月に渡ってライバル部族の八十万人を殺してしまいました。大人だけではなく、弱い立場にいる老人と子供と赤ちゃんさえも斧でたたき切って、屠りました。そして、一番怖いのはその殺人に参加した人は主にならず者や堕落した人ではなく、極普通の人でした。急に隣人が隣人を残忍に攻撃して、その殺戮仲間になってしまいました。そのような事を聞くと私達はぞっとします。
【北京オリンピックの影で】
この間の北京オリンピックの時の事件も信じられない程酷かったです。オリンピックの間、共産党の当局がデモをしたい人の為に幾つかの場所を指定しました。その所はオリンピック競技所から結構離れた場所ですけれども、一応中国の発言の自由を世界の人々に見せる為、デモの所と指定しました。しかし、デモをしようとする人は先ず当局に申請しなければなりませんでした。当局を恐れて申請者が僅かですが、その中に79歳と77歳のお祖母さんいました。その二人はオリンピック設備の建設の為に住む家が政府に取られて、賠償が殆どなくて困りました。しかし、デモ許可を得るどころか、その二人は警察に捕まえ、裁判なしで一年間の「重労働を通して再教育」の宣告を受けてしまいました。全部でデモを申請した人は6人でしたが、許可は0だったんだそうです。そのような不正と圧迫を聞くと私達は驚くだけではなく、うんざりします。涙を流します。嘆きます。
【詩編作者の嘆き】
実は、先のような例は数えきれません。人間の罪深さは限りないからです。そして、そのような事件は最近だけの事ではありません。大昔からあったのです。略3000年前に今日の御言葉を書いた人物が同じような事で苦しんで嘆きました。彼は社会を見て、多くの不正と残酷な事で悲しんで、また怒りました。悪を行う人は弱い立場の者を苦しめ、罪業は限りありませんでした。詩編の作者は彼等の態度と悪事をこのように神に嘆きました。今日の御言葉、詩編第10編5節のところを見て下さい。詩編作者は悪を働く人にについてこのように言いました。
「あなたの裁きは彼にとってはあまりにも高い。彼の道はどのようなときにも力をもち、自分に反対する者に自分を誇示し、『私は揺らぐことなく、代々に幸せで災いに遭うことはない』と心に思う。口に呪い、詐欺、搾取、を満たし、舌に災いと悪を隠す。村はずれの物陰に待ちぶせし、不運な人に目を付け、罪もない人をひそかに殺す。茂みの陰の獅子のように隠れ、待ち伏せ、貧しい人を捕らえようと待ち伏せ、貧しい人を網に捕らえて引いて行く。不運な人はその手に陥り、倒れ、うずくまり心に思う、『神は私をお忘れになった。御顔を隠し、永久に顧みて下さらない』と。」
【詩編作者の怒り・憤激】
私達は詩編作者の怒りと憤激を十分感じますね。彼はとても雄弁に自分の怒りを表しました。私達も不正と虐待を見ると、また、もちろんその悪を受けると、同じように感情は高ぶります。そして、感情いっぱいの詩編作者と共に神にこうお尋ねします。「 主よ、なぜ遠く離れて立ち、苦難の時に隠れておられるのか。」つまり、「神よ、どうして酷い悪を見る時、許すのですか。全能の主よ、なぜ悪を今、直接に戦わないですか。どうしてあなたに逆らって悪を行う者を直ちに裁かないのですか。なぜ苦しい時、御自分の姿を私から隠しますか。」
【信仰者の訴え】
実は、詩編は何回もそのような質問を神に問い掛けます。13編にこう書いてあります。「いつまで、主よ、私を忘れておられるのか。」
また、22編にこの嘆きが記されています。「私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのか。なぜ私を遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉も聞いて下さらないのか。」
更に、44編にこの言葉があります。「主よ、奮い立って下さい。なぜ、眠っておられるのですか。永久に我らを突き放しておく事なく、目覚めて下さい。」
【神に訴えることは許される】
愛する兄弟姉妹。苦難の道をたどる時、逆境と悲劇を経験する時、酷い不正を見る時、そのような心からの嘆きと質問を神に口にしても良いのでしょうか。失礼ではないでしょうか。実は正直に自分の感情を神に表しても良いのです。それは詩編の証です。またそれは主イエス・キリストの証です。覚えていると思いますが、主イエスは十字架に掛けられた間に先程言及した詩編22編1節を引用して神に大声で叫びました。
「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか。」(マタイ27:46)
【主は私たちの嘆きを聞きたもう】
その叫びは不信仰の現れではありません。実際に、苦難の時、主を無視して、ただ自分の力でその問題を乗り越えようとして、あるいは、信仰を捨てて、失望する事は不信仰です。愛する天のお父さんは私達の心からの叫びも聞いて下さいます。御自分を批判する質問までも受け入れて下さいます。主は大きいお方ですから私達の嘆きと質問を扱う事が出来ます。
私達は心の悩みや、神のやり方についての質問などを直接に主に聞く事が出来ます。詩編作者とイエス・キリストさえもそうしましたので、それは私達にも許されています。そして因(ちな)みに、父なる神に心からの嘆きと質問を表したら、私達はその不安と怒りを廻りの者につらくあたらなくても良いのです。
【主よ、なぜ遠く離れて立ち、苦難の時に隠れておられるのか】
私達は今日の御言葉に於ける、「主よ、なぜ遠く離れて立ち、苦難の時に隠れておられるのか」のような質問を神に聞いても良いのです。そして、詩編作者のように、次に私達の苦情を主に言葉で表す事が許されています。悔しいとき、その理由と気持ちを神に表現してみて下さい。耐えられない不安を感じるとき、その原因を主に聞いて下さい。不正を見て、あるいは経験したら、自分の言葉で天のお父さんに知らせて下さい。主は心からの祈りを聞いて下さるからです。そして、不思議に気持ちを主に伝える事によって私達の信仰が蘇って、主イエス・キリストの平安を豊かに経験出来ます。
【讃美歌312番:「いつくしみ深き」の作者】
おそらく日本で一般的に一番よく知られた讃美歌は312番の「いつくしみ深き」です。その歌詞は今日の御言葉のメセージに関連があると思います
1,いつくしみ深き友なるイエスは、
罪とが憂いをとり去りたもう。
こころの嘆きを包まず述べて、
などかは下ろさぬ負える重荷を。
2,いつくしみ深き友なるイエスは、
われらの弱きを知りて憐れむ。
悩みかなしみに沈めるときも、
祈りにこたえて慰めたまわん。
3,いつくしみ深き友なるイエスは、
かわらぬ愛もて導きたもう。
世の友われらを棄て去るときも、
祈りにこたえて労りたまわん。
讃美歌312番の歌詞は1855年にジョセフ•スクリーベンと言うアイランド人によって書かれました。スクリーベンさんは1819年にダブリンに生まれ、大学を卒業してから婚約しましたが、悲劇的に結婚式の前の日、相手が事故で溺れ死んでしまいました。その大変なショックを受けると、故郷を出て流浪の生活をしてから、カナダへ渡りました。カナダでもう一度結婚の相手に恵まれましたが、また結婚する前、その人も無くなりました。スクリーベンさんは信仰深き貧しい寡婦と病人の世話をよくしました。そしてそのほとんど全ての労働は無償でした。
ある日、アイランドにいるお母さんからの手紙が届きました。お母さんは重い病気でしたが、スクリーベンさんは切符代がなくて助けに行く事が出来ませんでした。その代わりに「いつくしみ深き」の歌詞を書いてお母さんを慰める為に実家に送りました。ある友人がスクリーベンさんを訪れた時、その詩を見て、起源を聞くと、「主と共に書いた」と言いました。スクリーベンさんは自分が書いた詩を出版するつもりはなかったが、友人はそれを多くの人に見せて、やがて讃美歌になりました。
心からスクリーベンさんは自分の悩みと質問を神に訴えて、表現しましたので、「祈りに答えて慰めを給いました。」
【慰めと新たな信仰を得る】
今日の御言葉の作者も慰めと新たな信仰を神から受けました。失望の代わりに信仰を持って神の性格と力に集中しました。14節にこう記されています。「あなたは必ず御覧になって、御手に労苦と悩みをゆだねる人を顧みて下さいます。」
主は実際に遠く離れていません。苦難の時に隠れておられません。ですから、詩編作者は主にこう言いました。「不運な人はあなたに全てをお任せします。あなたはみなしごをお助けになります。」
【貧しい人、みなしご、虐げられている人を助ける王】
詩編作者は更に主の力を思い出しました。
16節にこの御言葉が記されています。「主は世々限りなく王。」と言うのは神が主権を持ってこの世と宇宙も治めます。主は私達一人一人を見て、誰よりも私達の事を知っておられます。御心であるならば、私達の願いを叶えて下さいます。そしてその信仰を持って詩編作者はこのように今日の詩編を閉じます。「主よ、あなたは貧しい人に耳を傾け、その願いを聞き、彼らの心を確かにし、みなしごと虐げられている人の為に裁きをして下さいます。」
愛する兄弟姉妹、どうか私達もどんな事に向かっても、どんな事を見ても、遠慮なくその事を神の御前に持ってみて下さい。そして、主の愛と力を覚えながら神を心から信じましょう。(おわり)
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