私達はどのような神に仕えていますか ウイリアム・モーア宣教師
聖書 燃え盛る炉に投げ込まれた三人
ダニエル書3章8−30
8:さてこのとき、何人かのカルデア人がユダヤ人を中傷しようと進み出て、9:ネブカドネツァル王にこう言った。「王様がとこしえまでも生き永らえられますように。10:御命令によりますと、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえたなら、だれでも金の像にひれ伏して拝め、ということでした。11:そうしなければ、燃え盛る炉に投げ込まれるはずです。12:バビロン州には、その行政をお任せになっているユダヤ人シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人がおりますが、この人々は御命令を無視して、王様の神に仕えず、お建てになった金の像を拝もうとしません。」
13:これを聞いたネブカドネツァル王は怒りに燃え、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを連れて来るよう命じ、この三人は王の前に引き出された。14:王は彼らに言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、お前たちがわたしの神に仕えず、わたしの建てた金の像を拝まないとい うのは本当か。15:今、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえると同時にひれ伏し、わたしの建てた金の像を拝むつもりでいるなら、それでよい。もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか。」
16:シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。17:わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。18:そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」19:ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。20:そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。21:彼らは上着、下着、帽子、その他の衣服を着けたまま縛られ、燃え盛る炉に投げ込まれた。22:王の命令は厳しく、炉は激しく燃え上がっていたので、噴き出る炎はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴを引いて行った男たちをさえ焼き殺した。23:シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。24:間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」彼らは答えた。「王様、そのとおりでございます。」25:王は言った。「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」26:ネブカドネツァル王は燃え盛る炉の口に近づいて呼びかけた。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出て来なさい。」すると、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは炉の中から出て来た。27:総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。28:ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。29:わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのよう に救うことのできる神はほかにはない。」 30:こうして王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけた。
【最近の恐ろしい出来事】
最近新聞に大きく取り上げられたニュースです。 「八王子殺傷、現場近くで包丁購入『誰でもよかった』。 消費者物価1.9%上昇、92年来の上げ幅。 千葉で民家火災、焼け跡から母子4人の遺体。 秋葉原通り魔事件、男が通行人や警察官17人を車ではねて刺す、3人死亡。 東北地方で震度6強地震。 14歳が東名高速でバスジャック。」
【この世の不幸・災害・犯罪】
言うまでもないが、この世では色々な事が続けざま起き、今や恐ろしい事件は珍しくはありません。特に最近はそうです。毎日のように、次々と恐ろしい事件は私達の安全感を襲って来ます。災害や、事故や、病気や、犯罪や、戦争や、経済不安定などの故に私達は思い煩うとすれば、理由が十分あります。
そして、私達人間はその不安と恐れを色々な方法で扱います。色んな保険に入ったり、セコムを家につけたり、ドアと窓に二重鍵をかけたり、不審な人とは出来るだけかわわりを持ちません。
【最も安全なベット】
この間広告で珍しい安全器具を見付けました。それは「クアンタム•スリーパー」という特別なベッドです。その発明家によりますと、クアンタム•スリーパーは利用者をあらゆる災害と、テロリストと、暗殺者と、泥棒と、拉致者から守ります。ベッドのコンピューターは危機を感じると、自動的に蓋のような物が上から下りて、そこに寝っている人を保護します。防弾の資材で作られた上に、中にはエアコンと電話とテレビとパソコンと冷蔵庫とトイレまでも備えています。ですからその中に危険が去るまでの時間を楽しく過ごす事が出来ます。私もそのような格好良いベッドが手に入れたいなあと思いましたが、残念ながら13万ドルの値段の故、ちょっと難しくなりました。
安全になる為に回りの者はあらゆる手段を取ります。しかし、対策をいくら講じても全ての不安と心配を生活から取り除く事はかなり難しいです。思い掛けないトラブルや悩みが一瞬に私達の平安を壊す力があるからです。
【この世におけるキリスト者の平安の源】
実は、キリスト者は皆と共に同じこの世に暮らしています。しかし、私達の見るところは違います。キリスト者にとっては、この世は安全な所です。それは私達には悪い事が起きてないからではありません。私達も望ましくない事を経験します。しかし、私達の平安の源は周りの環境ではなく、唯一の全能の神こそが私達に平安と安全を齎して下さいます。主イエス・キリストはこのように言われました。
「私は、平安をあなたがたに残し、わたしの平安を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心をさわかせるな。おびえるな」と迷わず言って下さいます。
(ヨハネによる福音書14:27)
私達は大きな力強い神に仕え、礼拝するから、危険なこの世にいても主御自身が授けて下さる平安と安心を豊かに経験出来ます。私達は神によって救われ、神の愛された子供であるから、この世でのトラブルは私達を左右する力がありません。何故なら、万物の造り主である、天の父なる神は私達の永遠の味方ですので、最終的に私達の存在と価値、また私達の平安も、この世によって決められたのではなく、主なる神にによって決定されるのです。ですから、私達は主の愛と力を認め、その約束を信じ、主に頼ると、私達にとってこの世は安全な所になります。
【ネブカドネツアル王の布告】
今日の御言葉に於けるシャドラック、メシャク、アベド•ネゴのお話は私達の神の保護して下さる愛の素晴らしい証になります。そのお話の背景は約2、600年前のバビロンの宮廷です。ネブカドネツアル王が、高さ30メートルの巨大な金の像を作って、皆の臣民が見えるようにドラという平野に立たせました。そして、その偶像の奉納の儀式の為に全国から地位の高い者を招待しました。儀式に全人が偶像にひれ伏し拝むようにと命令されました。さもないと、燃え盛る炉に投げ込まれるとネブカドネツアル王が脅しました。
【シャドラック、メシャク、アベド•ネゴ】
シャドラック、メシャック、アベド•ネゴという三人の若い公務員はその王の命令を拒否しました。彼らはユダヤ人であり、唯一の全能の神のみを礼拝したからです。王はその不従順を聞いて大変怒り、脅したように三人を死刑にしようとしました。ネブカドネツアルは炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じる程怒りました。そして、実行者はシャドラック、メシャク、アベド•ネゴの三人を縛って炉に投げ込んでしまいました。そうすると、唯一の真の神が天使をその炉の中まで遣わしてシャドラック、メシャク、アベド•ネゴを守りました。王は炉の中を覗くと驚いて、側近達に言いました。
「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。だが、私には四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」
シャドラック、メシャク、アベド•ネゴは炉から出ると、聖書によりますと、
「王の側近達は集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった」
と記されています。
これは御自分の民を救う神の力が現れる素晴らしいストーリです。主は奇跡的にシャドラック、メシャク、アベド•ネゴを助けて下さいました。恐らく神は思い掛けないように私達の為にも助けた事があると思います。事故から救ったり、深刻な病気を癒した事がきっとあります。その奇跡の為に神に感謝すべきです。しかしながら、全ての場合にはそういう望ましい結果にいつもなる訳ではありません。ある時は神の劇的救いを見る事が出来なくて、そして私達は害を受けます。神はいつも私達が祈る事を叶えません。その場合は私達はどうしたら良いのでしょうか。
【そうでなくとも】
今日はシャドラック、メシャック、アベド•ネゴのお話の良い結果に集中しません。その代わりに16−18節について一緒に考えたいと思います。そのところは私達の日常生活と大事な関連があるからです。
ネブカドネツアル王はシャドラック、メシャク、アベド•ネゴの不従順を聞くと、彼らを自分の前に引き出し、その三人を尋問しました。そして、死刑に脅されると彼らはこのように大胆に答えました。16節の後半を見て下さい。
「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。私達のお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手から私達を救う事が出来ますし、必ず救って下さいます。そうでなくとも、ご承知下さい。私達は王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝む事も、決していたしません。」
この個所は旧約聖書の中の劇的の個所の一つであります。その三人の答えは非常に意味深いです。何故なら、彼らは自分の神をよく知っていました。そして、その神から頂いた使命と存在をもよく分かりました。ですから彼らは第一に神に忠実に従いました。十戒の第一戒と第二戒を覚え、死刑にすると脅されても守りました。
「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」と「あなたは、いかなる像を造ってはならない」
を守りました。
そしてそれを守る理由は神が彼らを救うからではありません。ただ神は彼らの愛する神だから、犠牲を払ってもその戒めを守りました。三人は、王に語ったように、神が彼らを炉の火から救わなくても忠実に主の戒めを守る決心がありました。保証がなくても神に自分の命を委ねました。結果が分からなくても主を信じ頼りました。
【信仰の英雄】
シャドラック、メシャク、アベド•ネゴは信仰の英雄になったのは神によって救われたからではありません。英雄になったのは信仰の為に自ら進んで自分達の身を危機にさらしたからです。奇跡は彼らが無事に炉から出て来た事ではありません。奇跡はその三人が自分の命をその大変な危機にさらす意志があったことです。
【わたしたちは何故神を信じるか】
愛する兄弟姉妹、私達は何故神を信じ仕えますか。主から助けや恵みを受けるから信じますか。いいえ、ただ神は私達の素晴らしい神、私達の完璧な造り主であるから、主を礼拝し信じます。神は私達を炉の火から救う力があっても、あるときはそれは御自分の不思議な御旨ではありません。信仰は全ての苦難からの保険証券ではない訳です。実は神はシャドラック、メシャク、アベド•ネゴをその炉から救った訳ではありませんでした。その炉の火の中で彼らを救って下さいました。
間違えなく危機の時、神は私達と共にいて下さいます。それは御言葉の全体的証しです。イザヤ書にこう記されています。
「水の中を通るときも、私はあなたと共にいる。大河の中を通っても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」
(43:2)
詩編23編はこう語ります。
「死の陰の谷を行くときも、私は災いを恐れない。あなたが私と共にいて下さる。あなたの鞭、あなたの杖、それが私を力づける。」
(23:4)
願わなくても、生涯において私達は水の中を通り、火の中を歩かなければならない時があります。死の陰の谷をさまよう事もあります。しかし、そこで主の御臨在と共に神の恵み、神の慰めを感じ、経験出来ます。
実は、シャドラック、メシャク、アベド•ネゴは力強い全能の愛である神に仕え、主の雄大さを知っていましたので、神は彼らと共にいて、最終的に神によって守られると心から信じたのです。
【あなたの神は大きいか】
愛する兄弟姉妹、あなたにとって神は大きいですか。それとも、ごく小さいですか。もしあなたの神が小さいならば、ある日は不安と恐れと共に生きなければなりません。小さな神の場合、委ねる事が難しく、全ての事は自分に依存しなければなりません。自分の力、自分の知恵、自分のお金に頼らなければなりません。自分の神はあんまり小さかったら、自分の信仰も小さくなり、信仰から来る喜びと平安も半減してしまいます。
【何物もキリストの愛から私達を引き離す事が出ない】
シャドラック、メシャク、アベド•ネゴは大きな、大きな神を信じ、仕えました。どんな事があっても主は自分達のニーズに答える力があると徹底的に信じました。炉に投げ込まれるとその結果が分かりませんでしたが、大きな神は側にいて下さると分かって、あくまでも頼りました。使徒パウロはそのような信仰をこのように表現しました。
「だれが、キリストの愛から私達を引き離す事が出来ましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。...私は確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在の者も、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、私達の主キリスト•イエスによって示された神の愛から、私達を引き離すことは出来ないのです。」
(ローマの信徒への手紙8:35、38)
他の言葉で言えば、神の力強い愛と比べると、この世の一番悪い事さえ無力になります。失敗と病気と悲しみと破産と孤独と死さえも神の愛から、私達を引き離す力がないからです。
【主に頼る人生を歩もう】
あなたを愛して下さる神は想像出来ない程大きいです。何所へ行っても主はあなたと共に歩んで下さいます。人生の全ての事に於いて頼られる神なのです。大きな神の大きな愛のうちに生きる事は一生のチャレンジです。しかし、主の助けによってそのように生きると、この世はとても安全な所になり、日々神の豊かな平安と喜を経験出来ます。(おわり)
2008年07月27日 | カテゴリー: イザヤ書 , ダニエル書 , ヨハネによる福音書 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 詩篇
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