日々励まし合いなさい ウイリアム・モーア宣教師

ヘブライへの手紙3章12−14

12:兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。13:あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。――14:わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。――

  【六甲登山で】 先月の事ですが、ある美しい春の日、私は六甲山を登りました。うちの家から六甲山がよく見えるので、毎朝起きると、その日のお天気が分かるように六甲山の様子を眺めるのが習慣になりました。大抵山を見たら、その日の神戸の天気が分かるからです。そして、お客さんが来る度に何回も車で六甲山からの100万ドルの夜景を見に行った事があるけれども、上まで歩いた経験がありませんでした。神戸に住んでいて、少なくとも神戸のシンボルの六甲山を一回登った方が良いと思って、朝早くにその頂きを挑戦しに出掛けました。   阪急電車に乗って岡本駅へ行って、そこから登り始めました。少し歩くと道が結構急な坂になりましたが、天気と風景があんまり良くて、疲れを忘れて登っていました。しかし、登れば登る程、足が重くなり、息も少し苦しくなりました。そして、天辺までの距離の三分の一しか登っていないのに、息切れして、休憩する必要がありました。休みながら、頂まで登れる力があるかどうかと思い始めました。もし駄目だったら、出来るだけ早く挑戦を止めた方が賢明だと自分に言いました。

【後ろから来た老人】
私はそこまで独りで登りましたけれども、山道の50メートル位後ろに、一人のお爺さんがほぼ同じペースであとについて来ました。しかし、休憩する間、彼は私に追い付きました。挨拶を交わしてからお爺さんは私にこう言いました。「足が結構速いですね。山歩きをよくするでしょう。ずっと後ろからついて登りましたが、追い付く事が出来ませんでした。外人さんは何所へ行っても車に乗るから、足が弱いと聞いていますが、あなたは速いですな。」
 
【再び元気を】
お爺さんの話を聞いた私は不思議に調子を取り戻して、新たに頂を挑戦する決心をしました。そして、疲れをすっかり忘れて自信を持ち、ずっと休まずに天辺まで頑張りました。全部で四時間程掛かりましたので、やっと六甲山の頂上に到達すると、大喜びしました。しかし、頂に着いた時、結構の疲れを覚え、岡本まで歩いて下る気が全くしなかったのです。ですから、家内に頼んで車で迎えに来て貰いました。
 
【励ましの言葉】
実際、あのお爺さんの励ましの一言で私は止めずに、天辺まで登る事が出来ました。彼は私の努力を認め、誉めて下さいましたので、新たな力と決心を得て六甲山の頂上を征服しました。疲れても疲れを忘れ、一歩一歩山道を登りました。お爺さんは私にとって赤の他人でした。名前も所も知らない人でした。話し合った時間は二、三分しかなりませんでした。しかしながら、私はあのお爺さんのお話によって、大きな力と励ましを頂き、今もその言葉を覚え、有り難く感謝します。
 
【『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい】
今朝与えられた御言葉にこの事が記されています。

「『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい。」


誰でも励ましが必要であります。また、どんな人でも相手に励ましを与える事が出来ます。そして、今日の聖句によりますと、私達キリスト者は特にお互いに励まし合う使命が与えられています。
 
【励ますとは】
この個所に「励ます」と訳されたギリシャ語の単語は新約聖書によく使われています。109回程の個所に載ってあります。原語は結構広い意味があるので、文脈によって日本語の翻訳が変わります。説き勧める、教える、懇願する、慰める、助ける、と励ますと言う様々な意味があります。そして、その単語の根本的意味は「側に来てくれる」事です。つまり、相手を助ける為に側に来てくれる事です。日本語で「励ます」と訳された単語は英語でencourageとなります。その単語の最初の部分enは「与える」事です。そして、その次の部分courageは勇気の意味があるので、encourage、すなわち励ますは「勇気を与える」事です。ですから、今日の聖句「 日々励まし合いなさい」に於ける「励ます」の意味は何よりも、 「相手を助ける、勇気を与える為に、側に来てくれる事」ではないかと思います。先程のお爺さんは私の為に丁度その事をしてくれました。私の側に来て助ける為にポンと言葉を掛け勇気を与えて下さいました。
 
【励ます対象は】
今日の聖句は短いですが、私達がなすべき励ましについて豊かに教えて下さいます。先ず、この教え、「日々励まし合いなさい」の対象は誰でしょうか。それはおもに教会の長老や執事や牧師などですか。そのような事は役員が信者を励ますのではないでしょうか。確かに教会の役員は教会員を励ます役割を果たすべきです。しかし、「日々励まし合いなさい」は私達皆に当てはまります。つまり、兄弟姉妹一人も残らず相手を励ますべきです。主イエスは御自分の教会を設立する目的が色々ありましたが、その中の大事なのは、そのメンバーを励まし合う事です。お互いに元気づける事、お互いに感謝を表す事、神の国の発展の為、お互いに刺激を与える事は皆の使命であり、私達の働きなのです。
 
【独りは良くない】
独りでの信仰生活は非常に難しいです。私達は皆お互いに励まされ、生かされているのです。覚えていると思いますが、神は人間を創造された時、アダムと言う独りの人だけをお造りになりました。恐らく、神は永遠にアダムのみとの交わりを持つつもりでした。しかし、アダムにとって、孤独な生活を送るのは難しかったのです。そして、「人が独りでいるのは良くない」と主が判断して、アダムに合う助ける者を造りました。アダムは人間同士からの励ましが必要であったので、神は相手になるイブを造り、その二人から全人類が生じました。
 
今も人が独りでいる事は良くないです。特に、キリスト者は独りでいる事は良くないです。だからこそ主イエスは教会を設立しました。今日の朗読と同じヘブライ人への手紙10章23−25節にこう記されています。

「約束して下さったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。互いに愛と善行に励むように心がけ、ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。」

 
今日のように私達は集う事によって、互いに信仰を強くさせ、主との歩みを互いに励まし合います。ですから、誰でも励まし合う事が出来、励ます事は皆の使命です。
 
【いつ励ますか】
今日の聖句ではいつ励まし合うかを教えて下さいます。

「『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい」


と書いてあります。つまり、いつか将来に相手を励ますのではなく、今日、今から、その大事な神の働きに参加すべきです。そしてもちろん、ここでの「励まし合う」事は人を励ます前に、先ず相手からの励ましを待つ事ではありません。私達は、率先して相手を励まします。相手から励ましを受けなくても、励まします。是非、今日という日のうちに 率先して兄弟姉妹を励ましましょう。
 
【励ましの目的】
今日の聖句は励ましの大事な目的も教えて下さいます。13節を見て下さい。

「あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされて、かたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい」


と記されています。やはり、励まし合いの一番大事な目的は、罪と不信仰に陥ない為です。
 
【悪魔に乗じられないために】
私達は勇気と希望を失い落胆すると、悪魔は大喜びます。何故なら、不信仰とあらゆる罪に負けやすい状態になります。誰かが言いました。「人は励ましによって生きる。励ましがないと死にます。ゆっくり、悲しげに、辛そうに死にます。」悪魔はその励ましのない状態を用いて、私達の信仰を滅ぼそうとします。罪を犯すように弱って来た私達を誘惑します。又、主イエスの教えに従う熱意と力を私達から奪おうとします。しかし、兄弟姉妹から励ましを受けると悪魔と戦う力を得て、新たな希望と喜びが溢れるように湧き出て来ます。私達一人一人は兄弟姉妹の為にその助けをする、相手を守る為の励ましの武器を持っています。兄弟姉妹の為、悪魔の戦いにその神から授けられた武器を用いる使命があるのです。
 
【言葉で励ます】
励まし方は色々あると思いますが、次の三つは大事ではないかと思います。先ず、言葉を通して相手を励ます事が出来ます。 信仰の成長を認める言葉や、感謝の言葉や、誉める言葉や、相手の努力を認める言葉などはとても大事です。私が六甲山の登山中に、一言で、止めようと思う心から六甲山の頂上に到達するまでと変わりました。誉める言葉は批判する言葉より力が遥かに大きいです。誉められたら相手はその善い行動をもっと現しますが、批判されると変わるどころか、相手に対する恨みまでも抱く可能性が高いです。箴言25章11節にこのお言葉があります。

「時期にかなって語られる言葉は銀細工(ぎんざいく)に付けられた金のりんご。」


私達の言葉は力があります。人を励ます力があるし、人を駄目にする力もありますから、言葉を大切に用いるべきです。
 
【行動によって励ます】
第二に、私達の行動を通して兄弟姉妹を励ます事が出来ます。行動を通して模範を示すから、ある場合、私達の言葉よりも行動が強い影響を与えます。相手は私達の善い行動を見て、私もそのように生きる事が出来ます。私もその同じ信仰と救い主を抱く事が出来ます。私もそのように人を愛する事が出来ます。間違えなく、教会の兄弟姉妹と、家族の者と、友人と、同僚も私達を見ています。その私の模範は励ましになるのでしょうか。
 
【態度を通して回りの者を励ます】
最後に、私達の態度を通して廻りの者を励ますべきです。主イエス・キリストのお陰で私達は数え切れない程の恵みを頂きました。主は失望と滅びから私達を救って永遠の命を賜りました。主は御自分の命を犠牲にする程、私達一人一人を愛しています。そして、誰も何もその愛から私達を引き離す事が出来ません。更に、主はいつも私達と共にいて、必要以上の力と希望と知恵を与えて下さいます。悲しみと逆境にあっても、主は御自分の者を支え、ついに勝利を齎して下さいます。イザヤ書40章31節に記された通りに、

「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱る事なく、歩いても疲れない。」


神の多くの恵みの為に私達は積極的な態度を持って、喜びを現します。私達の態度は人に励ましになり、相手は神からその同じ態度を頂くのです。
 
愛する兄弟姉妹、「『今日』という日のうちに、日々励まし合い」ましょう。言葉と行動の態度に於いて神の助けで励ます人になりましょう。私を通して廻りの者が主によって生かされますように努めましょう。(おわり)

2008年05月18日 | カテゴリー: ヘブライ人への手紙

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