新しい年の為の新しい態度 ウイリアム・モーア宣教師
ローマの信徒への手紙5章1−5
【新しい年への期待と不安】
明けまして、おめでとうございます。あっと言う間に2007年が終わり、新しい年、主イエス・キリストの2008年になりました。更に、二週間前のクリスマスで、新しい教会暦年が始まりました。この新しい年の玄関に立つ私達はどう言う気持ちでしょうか。2008年は2007年より優れたものになると言う期待がありますか。それとも、2008年に入ることに、何よりも不安を感じていますか。経済的心配や家庭の事の悩みや健康上の問題などの為に心が重いのでしょうか。また、これから、どうなるかを思い煩っているのではないでしょうか。
【何事にも揺がない態度】
実は、私達は、この世の中の多くの事を変えられません。例えば、多くの場合、経済的状況と健康の状態は私達の管理を離れています。更に、私達は人の行動と偶然の出来事と事故もコントロール出来ない場合が多いです。しかし、誰でも少なくとも一つの事をいつもコントロール出来るはずです。そして、その事は生活に、健康や経済や不幸な出来事よりも遥かに重要であります。何といっても、その事は私達の態度です。私達が示す態度は生活の豊かさに何よりも大事であります。育てられた家族や学歴や物質的状況や仕事や失敗や成功などは人に強い影響を与えるけれども、自分の日常生活においての態度の影響は最終的にはそれらの事に必ず勝ちます。
新しい年の為の新しい態度
ウイリアム・モーア
2008.1.6
ローマの信徒への手紙5章1−5
【新しい年への期待と不安】
明けまして、おめでとうございます。あっと言う間に2007年が終わり、新しい年、主イエス・キリストの2008年になりました。更に、二週間前のクリスマスで、新しい教会暦年が始まりました。この新しい年の玄関に立つ私達はどう言う気持ちでしょうか。2008年は2007年より優れたものになると言う期待がありますか。それとも、2008年に入ることに、何よりも不安を感じていますか。経済的心配や家庭の事の悩みや健康上の問題などの為に心が重いのでしょうか。また、これから、どうなるかを思い煩っているのではないでしょうか。
【何事にも揺がない態度】
実は、私達は、この世の中の多くの事を変えられません。例えば、多くの場合、経済的状況と健康の状態は私達の管理を離れています。更に、私達は人の行動と偶然の出来事と事故もコントロール出来ない場合が多いです。しかし、誰でも少なくとも一つの事をいつもコントロール出来るはずです。そして、その事は生活に、健康や経済や不幸な出来事よりも遥かに重要であります。何といっても、その事は私達の態度です。私達が示す態度は生活の豊かさに何よりも大事であります。育てられた家族や学歴や物質的状況や仕事や失敗や成功などは人に強い影響を与えるけれども、自分の日常生活においての態度の影響は最終的にはそれらの事に必ず勝ちます。
【自己の態度】
毎朝起きると大事な選択があります。それはどの態度を持って新しい一日を迎えるかなのです。私達は過去の事を変えられません。必然な事を避ける事が出来ないし、将来について私達は無知です。しかし、誰でも態度の持ち主であって、その態度を変える事が出来ます。誰かが言いました。「人の人生の一割は自分に起こった事です。そして、九割は起こった事に対する自分の反応です。つまり自分の態度であります。」
【態度の重要性】
私達皆は経験から態度の重要性がよく分かります。ある人は立派な家族で育てられ、能力と教育が一流で、立派な仕事もしています。けれども、態度に欠けている為、悲惨な生活を送っています。その反面、貧しい環境から出て、多くの障害にあっても、善い態度の故に、恵まれた人生を歩んでいる者も沢山います。
【主にある者の態度】
言うまでもないが、我々キリスト者にとっても態度は重要であります。そして、私達の態度は主に信仰からくるべきです。与えられた信仰は毎日の態度と大きな関係があるはずです。恐らく新しい年の始まりに立つ私達は態度のチェックを受ける必要があるのではないでしょうか。私達の態度は主イエス・キリストが賜られた「豊かな命」に相応しいでしょうか。今朝この事について一緒に考えたいと思います。この新しい年にどう言う態度を示すべきでしょうか。
【喜びの源は神に】
先ず、キリスト者として私達は心からの喜びを示します。そして、その喜びは私達の環境から来るのではなく、基本的に愛する神が私達の喜びの源です。実は、私達は自分のそれぞれの環境に集中すると、喜びはなかなか難しいです。何故なら、そうしますと自分の問題と悩み、また自分が持ってないものについてくよくよする傾向が強いからです。特に、自分の状態と他の人の状態とを比べると喜びの態度は難しいです。と言うのは、いくら物質的に豊かになっても、どんなに楽な生活があっても、いつも自分よりもっと良い状態にいる人を探します。そして、喜びの態度よりも、不満を抱いてしまいます。
主イエスは私達の為に十字架の死を直面するすぐ前に、自分の弟子達を集めて色んな事を教えられました。御自分が彼等から離れるので準備が必要であったのです。主はこう言われました。
「ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、私は再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶ事になる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。その日には、あなたがたはもはや、私に何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたが私の名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたは私の名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」
(ヨハネ福音書16:22−24)
「これらの事を話したのは、あなたがたが私によって平和を得る為である。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている。」
(ヨハネ福音書16:33)
私達の喜びの源は神にこそあります。変わる事のない神の恵み、神の愛、神の救いに基づいているので、誰も、何も、その喜びを私達から奪う事が出来ません。だからこそ私達には喜びは平常な状態です。悲しみと失望は私達にはただ一時的感情です。
【確かな希望ゆえに】
今日、与えられた御言葉は神から授けられた霊的恵みを纏めて下さいます。その恵みの故に私達は喜ぶ事が出来ます。もう一度聞いて下さい。(ローマの信徒への手紙5:1−5)
「このように、私達は信仰によって義とされたのだから、私達の主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりではなく、苦難をも誇りとします。私達は知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むという事を。希望は私達をあざむく事がありません。私達に与えられた聖霊によって、神の愛が私達の心に注がれているからです。」
【主イエス・キリストの贖いによって】
愛する神は主イエス・キリストの贖い死を通して信じる者の罪を赦し、御自分と私達の関係を完全に回復して下さいました。そして、神は私達の為に苦難からも益をもたらす力があります。更に、聖霊を通して主は私達と共にいて助けて、永遠の命の確かな希望を与えて下さいます。その比べられない程の豊かな恵みの故に、私達は心からの喜びを経験します。
この新しい年に是非、主が賜る喜びを豊かに生かしてみて下さい。そうしますと、どんな事があっても、2008年はきっと喜びと平安の年となるのです。
【主に信頼する態度】
新年にもう一つの態度を勧めたいと思います。それは信頼です。つまり、徹底的に神に信頼を置く事です。私達人間関係も信頼に基づいています。例えば、今日の夕食は妻が疑わなくても作ってくれます。親子関係もまた教会の中でも私達互いに信頼しています。私達はキリスト者として主の名によって一つの教会と言う共同体になりました。色々な考え方や性格や違いがあっても私達は主によって結ばれた一つの群れです。そしてお互いに信頼する関係に結ばれていなければなりません。例えば、主の日になると私の方から皆さんに聞かなくても、出来るだけ礼拝を守る為に一人一人が集まって下さると言う確信があるのです。それと同時に私達は主に信頼します。
愛する神は私達に必要なものを知っています。そして、そのものを私達に与える心と力があるのです。主イエスはこのように教えられました。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」
(マタイ7:7)
【思い悩むな】
神を信頼しないと、避けられない結果は心配です。そして、心配は私達から喜びだけでななく、健康と平安も奪う力があります。主イエスは心配についてこのように言われました。何回も聞いた事があると思いますが、新たに聞いて下さい。
「自分の命のことで何を食べようか、何を飲もうかと、また自分の体の事で何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥を良く見なさい。種も蒔かず刈り入れもせず、倉におさめもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養って下さる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばす事が出来ようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、つむぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つ程にも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の花でさえ、神はこのように装(よそお)って下さる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人を切にもとめているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことを御存知である。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
(マタイ福音書6:25−34)
【神に信頼を置く】
私達はこのように神に頼るべきです。その信頼の態度を示さなければなりません。そうしますと、私達の為の神の摂理を2008年に豊かに体験出来ます。
私達は間もなく聖餐式にあずかろうとします。どうか、神の多くの恵みを覚える時、特に喜びと頼る心を考えて下さい。そして、この新しい年にその態度をよりもっと示すように神の助けを祈って下さい。(おわり)
2008年01月06日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書
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