2008年1月

身に着けるべきもの ウイリアム・モーア宣教師

コロサイの信徒への手紙3章12−17
 
【もったいない】
うちの両親は宣教師だったので、私が大きくなるまで、家族は貧乏ではないけれども、それ程の余裕もありませんでした。ですから私達は出来るだけ節約して暮らしてきました。石油の変わりに石炭を使って暖房しました。又、家の後ろの畑で野菜を作り、冬の為に沢山瓶詰めにしました。両親は電気と水の無駄使いを見ると、私達兄弟に注意しました。小さい時からその訓練を受けた私は、大人になっても自動的につけっぱなしの明かりを消すようになりました。ある時、家族が部屋にいたのに、私が出る時、うっかりライトを切ってしまった事もあります。ですから私は日本の「勿体ない」と言う概念に心から賛成します。
 
【お下がり】
実は節約する為、小さい時、お母さんは私を兄のお下がりを着せたのです。僕は三人の兄弟の真ん中で、兄の洋服を着て、そして、弟は私の洋服を着せられました。しかし、お下がりばかり着るのは可哀そうだとちっとも思いませんでした。当然だと思ったのです。その上、兄の洋服が着られる事は私の成長の表れになりましたので、喜んでその服を貰いました。身長が伸びたと言う事を皆に見せたい故に、誇りを持ってその古着を着たのを覚えます。子供の頃のその事を思い出すと笑いますが、不思議にその無邪気な時を憧れます。
 
【主イエスからのお下がり】
今朝、皆さんにお下がりを差し上げたいと思います。しかし、そのお下がりは私からではありません。もし私からであったら、きっと大き過ぎて全然合わないでしょう。実は、差し上げるお下がりは主イエス・キリストからのものです。主イエスこそがその着物を着ましたが、今は私達が着るようにと切に願っておられます。今日の御言葉の12節にその「身に着ける」ものが記されています。それは、

「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、と寛容です。」


そして、そのイエス・キリストのお下がりを着ると、私達は主に似ていくので、廻りの者が私達の中に主を見る事が出来ます。

2008年01月27日 | カテゴリー: コリントの信徒への手紙一 , コロサイの信徒への手紙 , 新約聖書

罪を犯す時 ウイリアム・モーア宣教師

ヨハネの手紙一1章5−2章6
 
【だれの奥さん?】
ある男の人が急に耐えられない程、神経質になり、慌てて、掛かり付けの医者へ飛んで行きました。彼は、「私は今日、一日中精神的不安定で、ノイローゼになってしまいそうです。その為に何か良い薬がありますか」と医師に言いました。医師は、患者の問題の原因を知る為、「最近、何か気を転倒させる事がありましたか。例えば、生活に大きな変化があったのでしょうか」と男の人に尋ねました。男の人は、「実は、今朝、この手紙が届いて来ました。」そして、彼は手紙をポケットから出して医者に見せました。その手紙には男の人に対して色々な激しい事が書いてありました。そして、手紙の最後にはこの脅すような言葉があったのです。「もし家の女房との交際を止めないと、あなたは命が無い」と書いてありました。
 
医者は、「あなたの問題の解決は簡単です。常識ですが、手紙を書いた人の妻とこれから会わない事ですね。その行為を早速止めたら、どうでしょうか。」しかし、そのアドバイスを聞いた男の人はあんまり喜ばなかったのです。「手紙をよく見て下さい。送り主は本当に馬鹿ですよ。何故なら、彼は自分の名前を書きませんでした。彼の名前が分からないと、僕はいったいどうして、その妻の身元が分かるはずですか。どちらの奥さんの事でしょうか。」
 
【古い、罪のある自分】
「早速止めたら、どうでしょうか。」ただ止めるのは良い事ですが、ある時、止める事は私達にとって簡単ではありません。私達、皆は神と人間に対する罪を犯す事を完全に止めたいと思います。キリスト者としてそれは私達の目標であります。神の光の中で歩んで、私達の生活の全ての事を通して主を喜ばすのは私達の最大の使命です。しかし、私達一人一人の中の古き、自然の人間は罪を好んでいます。神によって造り変えられた新しい私達の性質が罪を憎みますが、古い性質は罪に引き付けられています。その結果、罪は私達の魂に対して攻めてきます。

2008年01月20日 | カテゴリー: ヨハネの手紙一 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 詩篇

嵐の中にも神の平安と喜び ウイリアム・モーア宣教師

詩編4篇1−9:

【指揮者によって。伴奏付き。賛歌。ダビデの詩。】 2:呼び求めるわたしに答えてください/わたしの正しさを認めてくださる神よ。苦難から解き放ってください/憐れんで、祈りを聞いてください。3:人の子らよ/いつまでわたしの名誉を辱めにさらすのか/むなしさを愛し、偽りを求めるのか。〔セラ   4:主の慈しみに生きる人を主は見分けて/呼び求める声を聞いてくださると知れ。5:おののいて罪を離れよ。横たわるときも自らの心と語り/そして沈黙に入れ。〔セラ   6:ふさわしい献げ物をささげて、主に依り頼め。   7:恵みを示す者があろうかと、多くの人は問います。主よ、わたしたちに御顔の光を向けてください。8:人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。それにもまさる喜    びを/わたしの心にお与えください。9:平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かに/わたしをここに住まわせてくださるのです。  


【苦悩の叫び】
「呼び求めるわたしに答えてください」とダビデ王は今日の詩編で神に祈願をこめました。「呼び求めるわたしに答えてください。」私達はその同じようなお祈りを聞いた事がありますか。あるいは、自分自身の口からそのようなお祈りを心から捧げた事がありますか。多分、私達一人も残らず、いつかその同じような祈りを神に捧げた事があるのではないでしょうか。そして、恐らくある難しい時期、毎日のように、「呼び求めるわたしに答えてください」と祈願した事があるに違いありません。
 
【ダビデ王の苦悩、その原因と結果】
詩編第4編を書いた人物ダビデ王はその祈りを何回も捧げた事がありました。ダビデはイスラエルの王として力がありましたけれども、それと同時に、敵も試練も誘惑も結構あったのです。今日与えられた詩編の背景が記されていないんですが、先月学んだ詩編第3編と同じ状態で書かれていると思われています。ダビデはイスラエル軍の幹部であるウリヤの妻バド•シェバを無理に自分の妻として取ってしまいました。そして、その罪を揉み消す為、もっと酷い罪を犯してしまいました。ダビデ王はわざわざバド•シェバの夫ウリヤを戦場の最も危険な所へ行かせて、結局彼の死を起こしました。その事件のずっと後の事ですが、アムノンと言うダビデの息子が自分の異母姉妹タマルに惚れて彼女に対して暴行を起こしてしまいました。それからタマルの同父母の兄弟アブサロムがその暴行を聞いて、アムノンに復讐する機会を狙(ねら)って、彼を殺してしまいました。しかし、ダビデ王はアブサロムの罪をちゃんと扱いませんでした。息子を罰する為にただ彼を都エルサレムから追放したのです。その軽い罰の理由は、ダビデ王も同じ殺人罪を犯した事があったからです。結局、その為、ダビデが道徳的権威を失ってしまいました。

2008年01月13日 | カテゴリー: サムエル記上 , マタイによる福音書 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 詩篇

新しい年の為の新しい態度 ウイリアム・モーア宣教師

ローマの信徒への手紙5章1−5
 
【新しい年への期待と不安】
明けまして、おめでとうございます。あっと言う間に2007年が終わり、新しい年、主イエス・キリストの2008年になりました。更に、二週間前のクリスマスで、新しい教会暦年が始まりました。この新しい年の玄関に立つ私達はどう言う気持ちでしょうか。2008年は2007年より優れたものになると言う期待がありますか。それとも、2008年に入ることに、何よりも不安を感じていますか。経済的心配や家庭の事の悩みや健康上の問題などの為に心が重いのでしょうか。また、これから、どうなるかを思い煩っているのではないでしょうか。
 
【何事にも揺がない態度】
実は、私達は、この世の中の多くの事を変えられません。例えば、多くの場合、経済的状況と健康の状態は私達の管理を離れています。更に、私達は人の行動と偶然の出来事と事故もコントロール出来ない場合が多いです。しかし、誰でも少なくとも一つの事をいつもコントロール出来るはずです。そして、その事は生活に、健康や経済や不幸な出来事よりも遥かに重要であります。何といっても、その事は私達の態度です。私達が示す態度は生活の豊かさに何よりも大事であります。育てられた家族や学歴や物質的状況や仕事や失敗や成功などは人に強い影響を与えるけれども、自分の日常生活においての態度の影響は最終的にはそれらの事に必ず勝ちます。

2008年01月06日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書