インマヌエル-神は我々と共におられる ウイリアム・モーア宣教師
マタイによる福音書1章18−25
【主イエスの呼称】
聖書には主イエスが数多くのお名前で呼ばれています。例えば、平和の君、キリスト、救い主、世の光、ユダヤ人の王、神なる言(ことば)、油注がれた者、アルファでありオメガである。それぞれの素晴らしいお名前は私達に主の役割と重要性と存在を豊かに教えます。つまり、そのお名前を通して私達は主イエスがどう言うお方であるかを悟るのです。
今、アドベントを守っている私達には主イエスの多くの名前の中でもっとも意味深いものが一つがあります。そのお名前は先程読ませて頂いた個所に載ってあります。マタイによる福音書1章22と23を見ますと、こう書いてあります。
「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』と言う意味である。」
【インマヌエル】
インマヌエル、すなわち、神は我々と共におられる。実は、神の独り子イエス・キリストが人間の赤ちゃんになり、この世に誕生されました。天国の全ての特権と栄光を捨てて、我々と共におられる為、又、私達を罪から救って下さる為、この世に生まれました。しかも、神の御子は貴族や大金持ちなどの家庭に誕生されませんでした。却って、普通の大工と許嫁(いいなずけ)になっている若い娘に生まれました。そして、宿がなかったので、主の生まれた所は馬小屋で、ベッドは飼い葉桶でした。御自分の救いは全人類の為であるので、人間としてこの世に入った時、主イエスが自分を非常に低くして我々と共におられました。
ですから、アドベントとクリスマスの際、私達にとって「インマヌエル」と言う主のお名前は特に重要ではないかと思います。
実は、その主イエスのお名前インマヌエルは旧約聖書に預言されました。その預言はイザヤ書7章13節と14節に記されています。その個所を開いて下さい。
「イザヤは言った。『ダベデの家よ聞け。あなたたちは人間にもどかしい思いをさせるだけでは足りず、私の神にも、もどかしい思いをさせるのか。それゆえ、私の主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。』」
今日の御言葉によりますと、その旧約聖書の預言はイエス・キリストの誕生によって実現しました。つまり、イエスの母親マリアはその身ごもっているおとめとして。そして、その生まれた子イエスこそはインマヌエル、神御自身は我々と共におられます。イザヤの預言を通して神は御自分の民と共におられる事を約束されました。そして、その最初のクリスマスに神は御自分の約束を成就されたのです。
【神が御自分の民と共におられる例】
実際に聖書を調べて見ますと、そのところだけではなく、神は色んな他の時と場合にも御自分が我々と共にいらっしゃる事を約束して下さいました。
【モーセと共に】
神はモーセに約束した事を覚えていますか。神は御自分の民イスラエルのエジプトでの苦しみを見て、モーセに現れ、こう言われました。
「今、行きなさい。私はあなたをファラオのもとに遣わす。我が民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」
(出エジプト記3:10)
しかし、モーセは恐れました。
「私は何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をイジプとから導き出さねばならないのですか」
と返事したのです。モーセは80歳でその命令を受けました。また、彼は殺人した為、エジプトから逃げ、長い間別の国で羊飼いの仕事をして生きました。自分は神が命令した事をするのは全く相応しくはないと思いました。そうすると神はお答えになりました。
「私は必ずあなたと共にいる。このことこそ、私があなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える」
とモーセに約束されました。
モーセが恐れた時、気が弱い時、神はどのように彼に答えられましたか。「私は必ずあなたと共にいる」と約束したのです。そして約束通りに神はモーセと共にいて、彼は力強くファラオに向かいました。モーセは奇跡的印が出来るようになり、又、ファラオがイスラエルを解放する為、神はエジプトに災いを下しました。更に、40年の間、彼等が荒れ野を通った間、主はイスラエルを常に導き守って下さいました。必要な食べ物を天から降らせ、敵から保護したのです。目を離さずに見て下さった神は約束通りにモーセと全ての民と共にいました。
【ヨシュアと共に】
更に、神はその同じ事をヨシュアにも誓いました。イスラエルが約束の地に入る前に、モーセは天に召されました。そして、モーセの従者だったヨシュアが民のリーダーになりました。民が約束の地の玄関まで導かれたのですが、カナンを自分の国にするまで、まだまだ大変なチャレンジです。神はモーセと同じようにヨシュアと共にいて下さるのでしょうか。実は、神はこのようにまたヨシュアにも誓いました。
「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。私はモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放す事も、見捨てる事もない。強く、雄々しくあれ。あなたは、私が先祖達に与えると誓った土地を、この民に継がせる者である」
(ヨシュア記1:5−6)と主が約束しました。
ヨシュアにとってその神の言葉は大きな慰めと力になりました。「 私はモーセと共にいたように、あなたと共にいる」と聞くと、心強くなったでしょう。
【弟子たちと共に】
皆さん、主イエスが弟子達に誓った事を思い出しますか。色んな素晴らしい約束をして下さいましたが、その中で最も大事な一つを覚えていますか。主イエスが神の力で死から復活させられ、何回も弟子達に現れました。そして、天に上げられる直前に、このように弟子達に教えられました。
マタイによる福音書28章18を見て下さい。
「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼等に父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいた事を全て守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」
と主は言われました。
弟子達はそれから使徒になり、イエス・キリストの福音を伝える為、世界中へ行って様々な迫害と危機を経験しましたが、主の約束、「 私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」は彼等を力付けました。そして、約束通りに主の霊は彼等と共にいて、「すべての民を私の弟子にしなさい」との託せられた使命を果たす事が出来ました。
【主は今聖霊としてわたしたちと共に】
愛する兄弟姉妹、現在も、神の御子インマヌエルは私達と共におられます。もちろん主は現在、昔のように私達と共にいませんが、御自分の霊を通して、いつも私達とすぐ側にいて下さいます。主は約束して下さいました。
「私は父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」
とヨハネによる福音書14章16節に主イエスの御言葉が記されています。私達は何所へ行っても、又、良い時も、悪い時も、聖霊は必ずイエス・キリストを救い主として信じる者と共にいて、弁護者のように私達を助け、支えて下さいます。主イエスは現在もインマヌエル、神は我々と共におられます。
牧師として私は入院された信者を訪問する事がしばしばあります。特に病気で苦しんでいる兄弟姉妹に主イエスの御臨在が共にいつまでもいて下さる事を言えるのがどんなに大きな慰めと力と希望になるのでしょう。
どんな事があってもその弁護者は私達を離れず、色んな面で助けて下さいます。大変な時こそ主イエスをインマヌエルとして経験出来るでしょう。しかし、普通の時にもその同じインマヌエルは私達と共にいて下さいます。職場で働いている時、食事を準備する時、車を運転する時、近所の者と話す時、寝ている時もインマヌエルであるイエス・キリストは私と共におられます。そして、私達はその交わりに生かされ、この世に主の光になり、普通の生活を通して神の恵みの証人になります。
どうか、今年のアドベントの際、私達一人も残らず主イエス・キリストを「神は我々と共におられる:インマヌエル」として豊かに経験出来るように祈っております。(おわり)
2007年12月09日 | カテゴリー: イザヤ書 , マタイによる福音書 , ヨハネによる福音書 , 新約聖書 , 旧約聖書
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