神によって選ばれた民 ウイリアム・モーア宣教師
申命記7:6−8
ローマ人への手紙8:28−39
【予定論の誤解】
改革主義教会の教理の中で多分一番有名な教えは予定論だと思います。信者の聖化や神の主権や御言葉を解き明かす事のような他の改革神学の特徴よりも、予定論は良く知られているでしょう。アメリカでも我々長老教会と予定論はいつも人から関連ずけられます。人々は長老教会員と話すと、「じゃ、あなたは運命予定説を信じますね」と言われる事がよくあります。改革主義と予定論とは相伴って行くべきものですけれども、予定論はよく誤解されている教理だと思います。
予定論はいったい何でしょうか。具体的に信者にとってどんな意味を持っているのでしょうか。今、その事について一緒に考えさせて頂きたいと思います。
先ず覚えて頂きたい事は、改革主義キリスト者は予定論を信じません。それはつまり、私達の信仰の対象はその教理ではありません。予定論を信じるよりは寧ろ私達は唯一の全能の愛である神のみを信じ、頼ります。
【予定論は神の愛を表現する】
と言うのは、予定論と呼ばれる教理はキリスト者の歩みの中で経験された、神の愛を表現するものなのです。だからこそ、予定論は信じる事よりも、私達の神様の経験を一番良く説明する表現であるし、御言葉の証言も正しく表すものなのです。
【予定論は運命ではない】
従って、予定論は運命ではありません。神が私達の自由を奪って、私達が生まれる前に生涯のすべての日々の出来事を決める事は予定論とは違います。これはかなり誤解されている点だと思います。
【予定論:永遠の救いは全く神の御業】
その事について後でもう少しを話しますけれども、先ず予定論の意味を明確にした方が良いでしょう。簡単に言えば、予定論の意味はこれです。私達の永遠の救いは全く神の御業です。神様のみが人間の救いを選択して下さいます。ですから、神の救いは人間の努力と長所によったものではないが、ただ主の意志と働きと愛によるものです。昔のヘブル人はこの事実がよく分かりました。自分の為の神の素晴らしい御業の理由を考えた時、神の愛と恵み以外には説明出来ませんでした。
モーセは申名記に神の特別にえらばれた民、ヘブル人にこう言われました。
「あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてにいる全ての民の中から、あなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれて、あなたたちを選ばれたのは、あなた達が他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただあなたに対する主の愛の故にあなたたちの先祖に誓われた誓いを守られた故に、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。」
(申命記7:6−8)
【奴隷の民ヘブル人】
ヘブル人は卑しめられた奴隷の民でした。権力も全然持っていないし、文化もあんまり進んでいないし、ファラオの為に泥から煉瓦を作るしか、他の事は知りませんでした。実は、ヘブル人は世界中で一番弱い、相応しくない民でした。神と人間の前に長所がありませんでした。人間の考えでは、もし神が素晴らしい文化と権力を持っていたエジプトやペルシアやパビロニアを御自分の特別な民として選んだら、結果がもっとよくなったでしょう。しかし、唯一の全能の神が足りないヘブル人を御自分の特別な宝の民として選びました。ですから 神の選択の理由がただ愛でなかったら、説明しようがありません。
【予定論の本質】
私達キリスト者も神との関係をよく考えたら同じ事だと思います。私達は他の人よりも特別に善い人であるとの理由でクリスチャンになりましたか。私達は神の救いを得る価値があるから神が私達を選択して下さった訳ですか。いいえ、そんな事はありません。実は、神が先ず私達を愛して、そしてその愛から私達を御自分の救いを得させる為に選択して下さいました。ローマ人への手紙に使徒パウロはこのように書きました。
「まだ罪人であった時、私達の為にキリストが死んで下さった事によって、神は私達に対する愛を示されたのである。」
つまり、私達は神を選びませんでした。寧ろ、神がまず私達を選んで下さいました。聖書によると、
「すべての人は罪を犯した為、神の栄光を受けられなくなった」
(ローマ3:23)と記されています。だからこそ、私達は神の救いを得る長所が全くありません。実は、人間の救いは始めから終わりまで神の御業と意志です。この事実こそは予定論の本質になります。
【救いは神の賜物】
しかし、あるキリスト者はこのような考え方を持っているようです。神は人間を御自分の創造のスーパーマーケットに入れ、それから私達が自由に買い物をさせる間、レジで待って下さいます。もし人が信仰と言う品物を選ぶなら、救いを貰えます。その反面、無信仰や間違った信仰の品物を選ぶと救われません。しかし、私達改革主義キリスト者の決心は違います。私達は神の愛された子供なので、主はいつも私達の側にいらっしゃって下さいます。その上、神は私達のスーパーバスケットに手の届かない品物、すなわち信仰、を入れて下さいます。つまり、救いは全く神の賜物なので、人間の努力で得られません。神の大きな愛以外には救いを説明出来ません。
言うまでもないが、主の予定によって私達は神御自身との救いの関係に入れられた事は私達の誇りとする理由ではありません。もし救いが人間の働きによるのであるなら、誇ることが出来ますけれども全く神の恵みの結果なので、傲慢な態度を取るのは極めて矛盾であります。
例えば、両親によって家や車や生活の保護などを受けっている人がこれは全部自分の力だと誇れますか。同じように私達は神に対して傲慢より心のそこから謙遜と感謝をあらわすべきです。私達は神との救い関係に入る価値がないから謙遜、その救いは最も素晴らしい賜物なので感謝の反応が当然です。神によって御自分の子供とし受け入れれられたのは考えられない程善いお知らせです。
考えて見て下さい。あなたは罪深い子供でした。そして、ある朝目が覚めると全ての罪が赦され王の子供になっていたのです。そして、人々はみんな王様の子供として私を扱いました。以前は私とは何の関係もない、いや寧ろ、私を憎んでいた敵なのに、今はイエス・キリストの贖い死を通して神の愛された子供に生まれ変わりました。神を恐れる必要はもう全くありません。恐がらなくても良いのです。寧ろ、今は神により掛かり、親しい関係を楽しむ事が出来ます。そして、私達の神は何よりも力強いので、望みある現在と将来が期待出来ます。悲しみと悲劇の中でも主イエス・キリストにある喜びを経験しますし、死後の状態を恐がるより、楽しみに待つ事が出来ます。その時、神は私達を完全にさせて下さり、永遠の喜びを授けて下さいます。予定論の理解が正しく受け入れるのなら、真に素晴らしい事です。神をいつでも賛美し、感謝すべきです。
詩編第103編に書いたように父なる神に賛美し感謝します。
「私の魂よ、主をたたえよ。私の内にあるものはこぞって、聖なる御名をたたえよ。私の魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。主はお前の罪をことごとく赦し、病をすべて癒し、命を墓から贖い出して下さる。慈しみと憐れみの冠を授け、長らえる限り、良いものに満ちたらせ、鷲のような若さを新たにして下さる。」
【予定論は使命感を強める】
また、神の選ばれた子供として予定論は私達の使命感を強めて下さるはずです。つまり、予定された理由があるからです。つまり、神と隣人に仕える為に私達が選ばれました。子の神の素晴らしい恵みに対して、私達の反応は服従で答えるべきです。神は私達を通してこの世で御自分の和解と平和と愛の業をなさいます。それは私達の特権と責任です。神の地上の代表になった事は非常に高い使命ですね。
【予定の教理はキリスト者を慰め励ます】
最後に、神は予定と言う教理を通してキリスト者に慰めと励ましを与えて下さいます。と言うのは、救いは私達の努力によるものではないし、主の憐れみと力から出て来ます。信仰の歩みの中で難しい時があっても私達が救われた事を不動の確信を持つ事が出来ます。神の選択は変わらない永久なものですから。私達は信仰の退歩があっても決して神は私達を見捨てる事なく、寧ろ、もっと愛して下さいます。
【使徒パウロと予定論】
使徒パウロは予定論の恵みを良く経験し理解しました。彼が主イエス・キリストを知る前にはキリスト者を厳しく迫害しましたのに神は彼を選びました。そして、神の力で教会の一番熱心な迫害者が一番熱心な伝道者になりました。そして、長い伝道の働きの中に色々な難しい時がありました。又、「肉体のとげ」、すなわち、深刻な病気に悩んでいました。しかし、使徒パウロは神の摂理によって予定された自分の生涯の事に確信を持つ事が出来ました。その確信が喜びと慰みと力を与えました。
もう一度ローマ人への手紙の8章38−39節を読みましょう。これは使徒パウロを予定して下さった神に対する賛美です。私達も神に選ばれたので、同じように賛美する事が出来ます。
「私は確信しています。死も、命も、天使も、支配する者も、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいる者も、他のどんな被造物も、私達の主キリスト•イエスによって示された神の愛から、私達を引き離す事は出来ないのです。」
どうか、私達一人一人もその同じ信仰と確信を持つように祈っております。(おわり)
2007年11月04日 | カテゴリー: ローマの信徒への手紙 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 申命記 , 詩篇
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