2007年8月

教会の交わり ウイリアム・モーア宣教師

エフェソの信徒への手紙2章19−22
 
【100人の子供】
最近新聞で次の驚くべき記事を読みました。「78人 の子供を持つ一本足のアラブ首長国連邦の市民ダアド•ムラド•ムハンマド•アブドウル•ラーマンさんは次の二人の妻を募集しています。何故なら、彼は2015年までに100人の子供を儲けたいからだそうです。60歳のアブドウルル•ラーマンさんは今まで15人のお嫁さんがありましたが、イスラム教は同時に妻4人しか許されないので、その中、13人の妻を離婚しました。「2015年に私は68歳になり、子供100人を目標にしています。それに成功したら、新しい結婚はもうしません」とアブドウルル•ラーマンさんが言いました。地元の新聞は第一面に78人の子供に囲まれた彼の写真を載せました。長男は36歳で、末っ子は産まれてわずか20日です。そして、現在、二人の妻は妊娠中です。
 
アブドウルル•ラーマンさんによりますと、自分の大家族は15件の家に住んでいます。退役軍人である彼は年金と国の援助で家族を支えるんだそうです。
 
この世には色々な家族がありますね。アブドウルル•ラーマンさんは何故そんなに大きな家族を築いたのかは分かりません。恐らく子供が大変好きなんでしょう。あるいは、子供を儲ける事によって有名になりたがったのかも知れません。しかし、それは決して楽な年金生活ではないと思います。子供の名前を覚える事さえも大変です。それぞれの妻との関係も確かに複雑です。 気の毒ながら事業自得です。

2007年08月26日 | カテゴリー: エフェソの信徒への手紙 , コロサイの信徒への手紙 , ヘブライ人への手紙 , ペトロの手紙一 , ヤコブの手紙 , 新約聖書

真の自由 ウイリアム・モーア宣教師

聖書:ヨハネによる福音書8章31−38
 
 
【ウオレス将軍】
「パッション」と言う映画で有名になったメル•ギブソン監督は1995年に「ブレイブハート」と言う他の映画でスコットランド人のウオレス将軍の役を務めました。その映画はウオレス将軍が無残なイギリスから自分の国スコットランドの自由を回復しようとするストーリです。ウオレス将軍は立派にイギリス軍と戦って多くの勝利を得ましたが、最後に彼は友人によって裏切られ、イギリスの王に渡されてしまいました。そして、イギリスの王はウオレス将軍を処刑するつもりでした。しかし、処刑する前にイギリスの王はウオレス将軍に恥をかかせる為、慈悲を乞わせようとしました。ウオレス将軍はあざける群衆の前に連れ出され、唾を吐かれたり、物を投げられたりしました。それから、死刑執行人は拷問をかけ始め、ウオレス将軍に言いました。「もし、慈悲を乞うなら、死刑を速く進めよう、しなかったら、もっと酷い拷問をかける」と脅しました。また、ウオレス将軍の声が聞こえるように、執行人は群衆を黙らせました。しかし、将軍は恥をかきませんでした。むしろ、残った力を全部奮(ふる)い起こして、大きい声で「自由」と叫びました。
 
【自由】
「自由。」その言葉は力強いです。自由の為に多くの人々は自分の命を犠牲にしました。又、自由の為に敵を殺す事も少なくありませんでした。歴史が始まった以来、自由の為に数え切れない程の戦争が起りました。又、現在も自由はいたるところで重んじられています。自分の自由を束縛されたいと思う人は珍しい事でしょう。

2007年08月19日 | カテゴリー: イザヤ書 , エフェソの信徒への手紙 , マタイによる福音書 , ヨハネによる福音書 , 新約聖書 , 旧約聖書

わたしの父の家には ウイリアム・モーア宣教師

聖書:ヨハネによる福音書14章1−3
 
 
【モリソン宣教師夫妻】
略100年前の事ですが、モリソンと言う宣教師御夫妻は長年のアフリカでの奉仕後、定年を迎えアメリカのニューヨークに帰る事になりました。二人の健康は衰え、年金もなかったので、モリソン御夫妻は色んな心配がありました。偶然の事ですが、彼等はアメリカの大統領セオドア•ルースヴェルトと一緒に同じ客船に乗りました。探険旅行帰りの大統領は一等スウィートルームに泊まりましたが、モリソン夫妻は薄暗い三等船室でした。大統領とその仲間はVIP待遇を受けていましたけれども、誰も宣教師達に留意しませんでした。
 
まだ航海中に、先生は奥さんにこう呟きました。「これは大変不公平ですよ。我々はアフリカで辛苦に耐えながら一生を捧げましたのに、誰一人私達の事を覚えてくれる人はいませんね。しかし、大統領はただヴァカンスから帰りだけなのに、皆は大騒ぎではありませんか。」
 
客船がニューヨックに着いた時、ブラスバンドが大統領を歓迎して、大勢の高位高官にある人々は出迎えに来ました。新聞も大統領の帰りを大きく取り扱いました。その反面、誰一人宣教師の帰りを気づく人はいませんでした。その二人はただカバンを持って船から降りて安いアパートを捜し回りました。それから、生活をする為に、仕事を捜そうとしたのです。

2007年08月12日 | カテゴリー: コリントの信徒への手紙一 , フィリピの信徒への手紙 , ヘブライ人への手紙 , マタイによる福音書 , ヨハネによる福音書 , ヨハネの手紙一 , ヨハネの黙示録 , 新約聖書

コストを見積もる事 ウイリアム・モーア宣教師

ルカによる福音書14章25−33
 
 
【ある鶏と豚が】
ある鶏と豚が教会の掲示板を見て、次の日曜日の説教題を読みました。それは、「私達は貧しい者の為にどうすべきか?」と言う題でした。鶏は考えて、考えて、「分かった!私達二人はベーコンと卵の朝食を準備して、貧しい者に提供しょう。私は生んだ卵を提供して、あなたは自分のベーコンを差し出す事が出来る。」豚は鶏のアイデイアを聞いて、ちょっと困った顔をしながら言いました。「ベーコンと卵の朝食を貧しい者に食べさせるのに一つの問題があります。それは、あなたにはただ寄付になりますが、僕には完全な献身を求められる。」
 
今日の御言葉によりますと、

「大勢の群衆が一緒に」


主イエスについて来ました。なぜなら、イエスは驚くべき印を行いました。病を患った多くの人を奇跡的に癒されました。また、少年の小さい弁当を取り、それを拡大して5千人程の群衆を満腹させました。その上、主イエスはイスラエルの祭司達と違って、権威ある者のように神について彼等を教えられました。ですから、イエスは有名になり、何所へ行っても大勢の人が主について来ました。
 
【聞きたくないお話】
言うまでもないが、それは伝道に大変良い機会になりました。御自分の人気を用いて、沢山の人々に神の福音を伝える事が出来、収穫が多くなります。もし甘い言葉を上手に使ったら、多くの人は御自分の弟子になって、主の影響と名声がきっと高くなります。しかしながら、今日の御言葉によりますと、主イエスは、人々に非常に聞き難いお話をしてしまいました。26節を見ますと、この主のお話が記されています。

「もし、誰かが私のもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、誰であれ、私の弟子ではありえない」


と主イエスは群衆に声明しました。

【自分の十字架を背負って】
皆さん、その主のお話をどう思われますか。もし主が祝福や心の安らぎや神の愛や永遠の命などばかりを説いたら、多くの人々はもっとついて来たはずです。しかし、

「もし、誰かが私のもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」


とおっしゃると、人が集まるどころか、人を追い出すような言葉になります。更に、

「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、誰であれ、私の弟子ではありえない」


とはとても難しいお話です。十字架はもちろん処刑する道具です。ですから、「自分の十字架を背負う」事は、献身の道になります。その難しい言葉を聞くと、私達は主イエスに、そんな極端な表現を避けた方が良いのではないでしょうか」と言いがちですね。「そのメセージは伝道にはあんまり役に立ちません」と言いたいです。つまり、もし、イエスの弟子になる条件として、家族の者と自分自身の命さえも憎むのなら、また、自分の十字架を背負う必要があるなら、いったい誰が弟子になれるでしょうか。

2007年08月05日 | カテゴリー: ルカによる福音書 , 新約聖書