復活の約束 ウイリアム・モーア宣教師
マタイによる福音書28章1−10
【守られない選挙公約】
皆さんも十分お気付きと思いますが、私達は選挙シーズンに入りました。何所へ行っても宣伝車が走り回り、政治家、あるいは政治家になりたい者は車のスピーカで国民にアピールをしています。また、駅前でも、昨日のような雨でも、政治家は選挙運動に励んでいます。他の時は分かりませんが、選挙のシーズンの政治家は大変だと思います。一票でも取る為に必死の努力をしているようです。朝早くから夜遅くまであちこちへ行って住民に顔を売っています。彼らはスピーカで色んな事を叫びますが、そのお話の中で約束事が多いようです。たとえば、「私が国家議員になったら、日本は美しい国になる。」「明るい政治の為に私を選出して下さい。」「我が党は安定した生活を保証します。」何所の国でも同じ事だと思いますが、選挙に勝つ為に、政治家は国民に約束する事が多いのです。しかし、多くの場合、約束を果たすのは全く別の事になります。政治家は約束する時、恐らく皆は心からその約束を守りたいですが、色々な理由で誓った事を実現出来ません。政治的力が足りないか、約束した事は実際的でなかったりします。あるいは、事情があって止むなく約束した事を実現出来ない。また、政治家は選挙に勝つと、選挙の時、約束した事をすっかり忘れる場合もあるかも知れません。とにかく、色々な理由で政治家の言う事を割引して聞いた方が良いと思います。
【全人類の為の素晴らしい約束】
今日はイースター、すなわち復活祭です。全世界の教会は今日、イエス・キリストの復活を記念し祝います。先程朗読させて頂いた御言葉によりますと、主の天使がイエスの女性の弟子達に現れ、このように言われました。
「恐れる事はない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。」
実は、イースターには全人類の為に素晴らしい約束が伴います。そして、その約束は政治家が誓う約束より、遥かに大きいし、私達の人生をすっかり変える力があり、それは今、目の前の事だけで限られてなく、永遠にまで続けられます。しかし、どうして私達はその約束を信じ、頼る事が出来るのでしょうか。やはり、約束するお方の資格を見てその判断が出来ます。
実は、その約束をして保証するお方はこそは唯一の全能の神御自身だからであります。人間と違って万物の造り主は御自分の約束を果たす力があります。また、永遠から永遠まで変わらぬ神は絶対に御自分の約束を忘れません。約束を実行する能力と意志がありますので、聖書に於ける神の約束を徹底的に信頼出来ます。
【神の三つの約束】
今日、イースター、私達皆に万物を創造して下さった愛する神は三つ程の約束を賜ります。ですから今朝、その素晴らしい約束を学びたいと思います。そして、皆さんはその約束が断りようのないものである事が分かって来ると確信しております。
【神の赦し】
さて、イースターの第一の約束は神の赦しです。過去にどんな事を犯しても神の赦しを受ける事が出来ます。神の力によって復活されたイエス・キリストの贖い死のお陰で、悔い改めれば、どんな過ちでも赦されます。主イエスは私達の罪の罰を御自分の身に受けて下さいましたので、赦しを約束する事が出来ます。
【どんな小さな罪も】
しかし、「私にはそのような赦しが必要ではない」と思う人がいるかも知れません。「人を殺したり、家族の者を捨てたり、大金を盗んだりのような罪だったら、恐らく神の赦しがいるけれども、割合に小さい過ちの場合、そのものは別に受けなくても済むでしょう」と言う者が大勢います。
実は、完璧である神には過ちがどんなに小さくても罪であるし、憎まれています。私達は大胆な言動だけが人を傷つけたり、追い詰めたりしません。あなたの醜い心から出た小さい言動によっても人を傷つけ追い詰め、その人を駄目にする事だってあるのです。私の我侭な思いと不親切な言葉と偉そうな態度も罪なのです。イエス・キリストはこのように言われました。
「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
(マタイ福音書5:48)ですから、小さい罪でも私達と神様との関係を壊してしまいますので、赦しが絶対に必要です。
【どんな大きな罪も】
その反面、ある人は自分の過ちがあんまり大きいから、神の赦しはその罪に届かないと思います。しかし、神にとっては赦せない罪がありません。神の御子イエス・キリストの十字架の贖いは全ての罪を赦す力があります。どんなに醜くくても、どんなに酷くても、主イエスは私達の罪の故、支払うべき罰をもうすでに払いましたので、神はその罪を赦して下さいます。
「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも、雪のように白くなる事が出来る。たとえ、紅のようであっても、羊の毛のようになる事が出来る」
と神の御言葉に記されています。(イザヤ書1:18)また、神はこう言われます。
「私は彼等の悪を赦し、再び彼等の罪に心を留める事はない」
と約束します。(エレミヤ書31:34)
その約束は私達一人も残らず、最も良いお知らせです。また、私達にとってはその恵みは何よりも必要であります。
スペインで起こった事件ですけれども、ある家族の息子がお父さんによって注意されたので、大喧嘩になり、すごく怒って家出してしまいました。そして、二、三日経ってもパコと言う息子は帰らなかった故、お父さんは全てを置いて、捜しに行きました。しかし、国中捜してもパコは見当たれなかったのです。数ヶ月かけて、あらゆる手段を尽くしても、息子を捜せませんでした。そして、彼は最後の手段として一番大きい新聞にこのような広告を出しました。「息子のパコへ。土曜日の12時にこの新聞本社の前に来てくれ。全ては赦されている。あなたのお父さんはパコを愛して捜している。」そして、そのお父さんは土曜日の12時に新聞会社の前に行きました。するとそこには、パコと言う名前を持っている800人程の青年が待っていました。皆は自分のお父さんの赦しと愛を求めて来ていました。皆さん、赦されたいものがありますか。パコのお父さんのように今も私達一人一人を捜して新聞広告を出したら私達を呼んでいらっしゃいます。土曜日の12時に新聞会社の前に出るような勇気を出してそこまで出て来たら良いのです。そして、残りの人生を神に委ねる勇気を持ちましょう。イースターの際に唯一の神はその素晴らしい恵みをあなたに約束して下さいます。そして、どんな事があっても、真実の神はその約束を果たします。
【生きる為の目的と力】
第二の神の約束は、生きる為の目的と力です。そして、私達の目的は神の評価に基づいています。つまり、神は私達一人一人を高く評価して下さいますので、人生に大きな目的を持っています。御言葉によりますと、人類を造った時、他の被造物と違って、
「神は御自分にかたどって人を創造された」と記されています。そして、神は人間を特別に祝福して言われました。「生めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上をはう生き物を全て支配せよ」
とこの世を私達に託して下さいました。(創世記1:28)つまり、万物の造り主は私達を一人も残らず、大事に、大事に造って、そして、この世の管理をするように委託されました。それが私達の目的です。更に、御自分にかたどって創造された私達は、神を知る、主の親しい交わりと祝福を楽しむ事も出来ます。
神はそのように人間を創造されましたが、私達は神を無視して自分勝手な生き方を歩むようになりました。つまり、主が下さった目的を忘れ、あらゆる罪と不幸をこの世に招いてしまいました。それにも関わらず、神は続けて私達を愛し、高く評価して下しました。ですから、私達の救いの為、神は御独り子イエス・キリストをこの世に遣わされました。実は、全人類の為に神は尊い御子イエスを死に渡すまでも犠牲にして下さいました。それ程神は私達を愛し高く評価します。そして、生きる目的として、この世で御自分の仕事をさせて下さいます。もちろん世界の管理者である私達は自然の環境を大事にしなければなりません。そして、同時に私達は言葉と行いを通して神の愛と救いを隣人に紹介し、現す働きに託せられました。その最も重要な使命が神によって与えられているので、大きい目的と満足を持って生きられます。さらに、その使命を果たす為に、神は必要な力と知恵を授けて下さいます。神の御霊は私達と共にいて、どんな事があっても助けて慰めて下さいます。ですから、イースターの際に神は生きる為の目的と力を約束します。
【将来の為に確かな希望を約束】
そして、最後に神は将来の為の確かな希望を約束します。生きる為に誰でも希望が必要であります。それは将来に良い事を期待する確信です。希望を失うと、人生は重いものになり、諦める気持ちが強いのです。希望は大事ですけれども、その希望の源が確かでなければなりません。そうでないと、私達は自分自身を欺(あざむ)いて、いつかがっかりします。
【頼りにならないものに】
宣教師として日本に来る前に、四、五年間アメリカのウェストヴァージニア州の町で牧会しました。そして、教会の牧師としてその町の色んな人々に出会う事が出来、様々な思い出を沢山作りました。その時代を振り替えて見ると、私はある婦人を思い出します。彼女の名前、「マイラ」、元々ラチン語の「素晴らしい」と言う意味がありますが、実は、マイラの暮らしはそれ程素晴らしくはありませんでした。何故なら、ご主人は働く事があんまり好きでないので、生活は苦しかったのです。そして、お金が無くなると、マイラかご主人は必ず教会に電話して、「助けて下さい」と願いました。私はその家を尋ねると、マイラは必ず迎えに出て来て、大声でこのように言いました。「Rev. Moore、モーア先生、来週私達は多分大金持ちになります。主人が宝くじを買って今度は、きっと一等に当たるでしょう。」また他の時、マイラはこのように言いました。「Rev. Moore、私と主人は多分籤引きでハワイ旅行に行きます。来週の発表で分かりますが、私達にも運が向いて来ると信じます。」
残念ながら、マイラは何も当たりませんでした。いつもがっかりしてしまいましたが、将来の為の希望を失わないように、頼りにならないものでもすがり続けていました。しかし、頼りにならないものはいくらすがり続けても、いつもがっかりするばかりでした。
【主イエスの復活による保証】
愛する兄弟姉妹、神の恵みのお陰で私達の希望は確かであるし、頼る事が出来ます。そして、私達の希望はイエス・キリストの復活によって保証されています。その始めのイースターに主の天使はイエスの弟子達に告げました。
「恐れる事はない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていた通り、復活なさったのだ。」
そして、弟子達は蘇られた主イエスに何回も出会う事が出来ました。イエス・キリストは死に対して勝利を得たので、私達主を信じる者も大きい希望を持って、将来を向かっていきます。
「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬ事はない」
とイエス・キリストを約束して下します。(ヨハネによる福音書11:25)
つまり、イエスの復活のお陰で死を恐れなくても良いのです。実は、死後の状態に対して私達、主を信じる者は大きい希望を持っています。神によって完全にされ、永遠まで私達の救い主と共にいて、喜びと平安に満たされています。
愛する皆さん、今年のイースターの際、是非、信仰を通して真の神の約束をしっかり掴んで下さい。その約束は、父なる神の赦しと、生きる為の大きい目的と、将来の為の確かな希望です。御自分の愛の故、神はその三つの比べられない程の恵みの約束を自由に提供します。そして、神はきっと御自分の約束を保証して果たして下さいます。愛する皆さん、神の確かな約束を信じ頼りながら復活の主イエス・キリストに従いましょう。(おわり)
2007年04月08日 | カテゴリー: イザヤ書 , エレミヤ書 , マタイによる福音書 , ヨハネによる福音書 , 創世記 , 新約聖書 , 旧約聖書
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