恵みの賜物 ウイリアム・モーア宣教師
ローマの信徒への手紙5章12−21
【何を問題とすべきか?】
皆さん、毎日、新聞を開いてニュースを読むと、その内容のおもなテーマは何でしょうか。ニュースの内容は色々ありますが、一つのテーマは他のテーマよりも、遥かに大きいです。また、私達はこの世を見ると、その同じテーマがいつも出て来ます。さらに、自分自身の人生と生活を振り返って見ると、不思議にそのテーマも明確になります。その大きなテーマはやはり「問題」です。新聞に載ってる問題はテロや、戦争や、温暖化や、犯罪や、核兵器の拡散などのようなものです。そのようなものがなかったら新聞は大変薄くなります。また、自分の人生を見ても、どの問題も大きなテーマになると思います。経済的問題、子供の問題、夫婦の問題、心の問題、仕事関係問題、健康の問題などです。次々とそのようなものに襲われると、人生はおもに問題の扱いで形成されているかのように思いがちです。
【何が一番大きな問題か?】
皆さん、私達の問題の中で何が一番大きいでしょうか。そのように聞かれると、「それは人によって違います」と答えるかも知れません。人々は様々な背景があって性格も違いますので、当然一番大きい問題が共通しません。また、ある時は一番大きい問題が解決されると、そのものの代わりに他の問題が一番のもんだいとなります。
【人類の一大問題とは?】
実は、全人類の一番大きい問題は共通します。誰もがその問題に向かっています。国と年齢と性別と富にかかわらず私達と全人類はその全く同じ問題に向かっています。それは死です。ある意味では、日本とアメリカとイラクとロシアの死亡率は同一です。すなわち100%。間違いなく、私達全ては一日一日死に近づいています。現代の医学的発展がいくら素晴らしく、多くの人々の苦しみを軽くさせ、また、人間の平均的寿命を少しは伸ばす事が出来るかも知れませんが、死は時を選ばないのです。聖書に記されているように、「人間には一度死ぬ事が定まっています。」
【死はなぜ難しい問題ですか?】
死が全人類の一番難しい問題である理由は二つあります。第一に、その問題には解決方法がないようです。つまり、死に対する治療法がありません。色んな手段をとって死を遅くする事が出来るかもしれませんが、いつまでも防ぐ事は不可能です。前に言いましたように、いくら言っても人間の死亡率は100%です。
そして、死の難しさのもう一つの理由は、私達が死んでから、どうなるかと言う事は明白ではありません。 死ぬと魂が残りますか。あるいは、何も残らないで自分の存在が完全に消えてしまいますか。あるいは、天国と地獄が本当にありますか。そして、死ぬとどこへ行きますか。 それとも、死後に私達は生まれ変わって、もう一度この世に動物や色んな形で戻るのでしょうか。
先週、家内がYWCAのデイケアで高齢者達が歌を歌いたいと言うので、秋川雅史さんの「千の風になって」と言う歌を家で家内が練習していました。その歌のように私達は千の風になって、あの大きな空を吹きわたっていますか。
死ぬと私達はどうなるかの事が不明であるし、また、死という問題の解決方法がないようですので、 私達人間は死に悩み、一番難しい問題ではないかと思います。その故に、私達は出来るだけ死の事について考えたくなく、死はいつか私さえにも来ると言う事をなかなか認めたくありません。
【聖書にのみ死の解決がある】
今朝、死と言う問題を直接に扱いたいと思います。実は、神の御言葉、聖書には、その大きい問題の解決がはっきりと啓示されています。
今日与えられた御言葉は死と言う問題を直接に認めます。12節を見ますと、「死は全ての人に及んだのです」と記されています。また、更に、14節に、「死は支配しました」と書いてあります。そして、他の個所で聖書は死を「最後の敵」(コリント一15:26)と呼びます。間違いなく、聖書によりますと、死は大きな問題です。しかし、聖書には死の原因も詳しく説明されています。そして、もしその原因が分かっていたら、解決方法も見出す可能性があります。
12節をもう一度見て下さい。
「このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死は全ての人に及んだのです。 全ての人が罪を犯したからです」
と書いてあります。やはり、最終的に罪と言う事は死の原因です。そして、罪は一人の人から始まりました。
【人類の始祖アダム】
聖書によりますと、その一人の人はアダムと言われます。旧約聖書の創世記にアダムの罪が明かされています。唯一の神が初めての人間アダムとその妻エバを創造した時、罪と死がこの世に全くなかったのです。その二人は完璧な状態で平安の内にエデンの園に暮らしました。病気も、悩みも、問題も、死さえも全くなかったのです。しかし、その幸いな存在には一つの条件がありました。神はアダムにこのように命じて言われました。
「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、けっして食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」
と神がアダムに教えて下さいました。しかし、そのようにはっきりと教えられたのに、アダムとエバは悪魔の誘惑に負けて、善悪を知る木から食べてしまいました。そして、神の御旨に直接に逆らったその二人は罪をこの世に招きました。それは全人類にとって最も大きい失敗でした。現在までもアダムとエバの不従順が全人類を悩ましますので、その事件は災難の中の災難を起こしました。
【開けるな!中に炭疽菌】
考えて見て下さい。あなたは家で大きなパーテイーを開きます。沢山の親戚と友人が集って、楽しい時間を過ごします。そして、突然宅急便の人が現れ、小包を届きます。そして、 小包に大きい字でこの注意があります。「炭疽菌。絶対に開けてはならない。」しかし、その注意があったにも関わらず、あなたは小包を開けてしまいます。そうすると、炭疽菌はあちこちへ飛んで行って、家にいる皆を感染します。そして、その人は危機から逃れる為、家から走り出て、また他の人々に感染してしまいます。更に、その人も他の人々に感染して、遂に全人類が病に冒されます。 あなたが小包を開けた当人なので、最終的にその責任はあなたなのですが、悩むのはあなただけではありません。多くの人々もその害を受けてしまいます。
【アダムの不従順】
同じように、大昔、アダムの不従順で罪がこの世に入り、今日まで全ての人を冒しました。つまり、霊的炭疽菌が流行って、皆がその害に当てられました。アダムの時以来、人間は生まれながら罪に感染され、その悪い影響で悩まれます。そして、罪の結果は死です。
自分が罪によって感染されたかどうかの簡単な検査があります。それは自分につぎの質問を問い掛ける事だけです。「先週、私は自己中心的な事に捕らえられましたか。また、善くない思いが自分の思考にありましたか。」その質問に「はい」と答えるとあなたは罪に感染していて、いつかその結果、死を経験しなければなりません。そして、死だけではなく、今日の御言葉の18節が記されたように、
「一人の罪によって全ての人に有罪の判決が下されました。」
【霊魂の問題】
罪の影響で体がやがて死にますが、私達の霊魂は残ります。そして、霊魂も罪の報酬を受けなければなりません。それは神の恵みのない所で永遠を過ごす事です。ですから、この罪の問題は他の問題よりも遥かに深刻であります。今現在の経済と健康上と心の問題などよりか、もっと深刻に考えるべき問題であります。何故なら、それは永遠に影響を及ぼすからです。
【神の愛】
この最も難しい問題の解決はどこにありますか。聖書を見ると神は私達の悲惨な状態を見て、介入して下さいます。全人類の造り主は私達の問題に無関心でいません。返って、主は私達の希望のない状態を見て、御自分の大きい愛の故に私達を救いにいらっしゃいました。神は御子イエス・キリストをこの世に使わし、解決方法を私達に提供して下さいました。主イエスはこの世に生まれましたが、罪を一度も犯しませんでした。そして、十字架で私達の罪を御自分の身に受け、私達の代わりに有罪判決の責任を取って下さいました。
【ラストエンペラー】
20年前の映画ですが、「ラストエンペラー」を見ましたか。その映画は中国の最後の皇帝プイの伝記です。小さい時彼は皇帝になり、1,000人の使用人があって、極めて豪華な生活をしました。映画のある場面に皇帝の弟は彼に聞きました。「もし悪い事をしたら、どうなりますか。」若い皇帝はこのように答えました。「私が悪い事をすると、他の人がその罰を受ける。」そして、その事を弟に証明するかのように皇帝は高価な陶器を自分の手に取り、そして、それを床に投げると、陶器がめちゃめちゃになりました。そうすると、早速、使用人一人が厳しくたたかれ、罰を受けました。しかし、逆に、王の王、全能の神の御子イエス・キリストは使用人、つまり、私達が受けるべき罰を御自分の身に受けて下さいました。
愛する兄弟姉妹、私達の一番難しい問題はイエス・キリストの贖いによって解決されました。今日の御言葉の18節に記された通りです。
「一人の罪によって全ての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、全ての人が義とされ、命を得る事になったのです。」
主イエスの十字架の死のお陰で、罪深い私達は義とされ、神は私達を見ると、「無罪」と宣言して下さいます。それは神の恵みの賜物です。そして、神は御自分の恵みの賜物を自由に全人類に提供します。イエス・キリストの贖いは自分の為と信じ、イエスを主また救い主として心から受け入れると、その恵みの賜物は自分のものになります。
体が死んでも、神は私達を永遠の命に復活して、天国に歓迎して下さいます。そして、天国で神は私達を完全にさせて、喜びと満足で永遠まで日々を過ごさせます。その故に私達は現在、この世で、大きな希望と平安の内に暮らす事が出来ます。また、この世で大きい目的をもって、生きられます。それは、神を知り、そして、主と隣人に仕える事です。神の助けと交わりに頼り、自信をもって何でも耐えられ、勝利を得ます。また、死を恐れなくても良いのです。主イエス・キリストが私達の全ての罪を取り去って下さいましたので、罪のない者のように神の御前に立つ事が出来ます。
【金メダル】
皆さん、想像して下さい。あなたは何よりもオリンピックの金メダルを得たいのです。しかし、あなたは生まれつきの病気があって、オリンピックに出るどころか、歩くにも難しいです。そして、金メダルを得るのはとっても無理と諦め、その夢を忘れようとします。しかし、ある日、有名なオリンピック選手が突然あなたを尋ね、自分が勝ち得た金メダルを自由にあなたに譲ります。彼が頑張ってそのメダルを得たんですが、あなたの物になりました。
【イエス・キリストが給う義の金メダル】
主イエス・キリストは私達の為に遥かにもっと素晴らしい事をして下しました。私達は何よりも神との平安を得たいのです。罪と死と言う問題を解決したいのです。しかしながら、自分の罪の故にそれは不可能な夢になります。それから、イエス・キリストはあなたの為に義の金メダルを勝ち得て、プレゼントをします。つまり、あなたの罪を取り去って、平安と喜びと希望も賜ります。その上に御自分と共の永遠の命を授けて下さいます。愛する皆さん、神は私達皆にその恵みの賜物を今も自由に提供しています。もしそのものを、まだ受けていなかったら、どうか今受け取って下さい。(おわり)
2007年03月11日 | カテゴリー: コリントの信徒への手紙一 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書
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