キリスト者の為のチェックリスト:その3 ウイリアム・モーア宣教師
聖書:ローマの信徒への手紙12章14−21節
【キリスト者に相応しい行動とは】
今月の説教で、私達はローマの信徒への手紙12章9−21を一緒に見て、この御言葉からキリスト者の為のチェックリストを発見しました。つまり、この個所には使徒パウロが私達の為に、キリスト者として為すべき事を教えて下さいます。イエス・キリストによって救われた罪人である私達は、その大きな主の哀れみと愛に答えて、毎日の生活に相応しい行動を現すべきです。そのキリスト者に相応しい行動が具体的にこの御言葉に載っています。一回目の説教で次のチェックリストの項目を学びました。
「人を心から愛する事、悪を憎む事、善から離れず事と、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思う事」
です。そして、先週はこの項目を学びました。
「怠らず励み、霊に燃えて、主に使える事、希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈る事と、兄弟姉妹達の貧しさを自分のものとして彼らを助ける事に励む、旅人をもてなすよう努める事」
です。今日は最後に、六つの項目を一緒に学びたいと思います。今までの項目はおもにキリスト教会の中の行動を扱いました。つまり、信者の互いの振る舞いと信仰生活の事であります。しかし今日のチェックリストは大体において、教会の外の者に対する私達の行動です。すなわち、キリスト者として未信者の正しい扱いを教えて下さいます。
【あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい】
さて、14節を見て下さい。
「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。」
原文を調べるとここでの「迫害」と言う事は信仰の故に迫害された事に限られていません。ここでの迫害は人から受けた全ての害が含まれます。例えば、身体的害や、精神的害や、経済的害などです。特に、繰り返された被害の事であります。キリスト者はそのような害を受けると、どのように反応すべきでしょうか。迷わずに こう教えられています。
「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。」
文字通りに私達はその者を呪うどころか、祈りを持って、その者が祝福を受けるように神に祈るべきです。もちろん私達は迫害する人の上に神の祝福を祈りながら、復讐を企てはいけません。実は、この御言葉の意味は文字通りの意味より広いと思います。つまり、ただ迫害する者を呪わず、自分の祈りにその者の上に神の祝福を願うだけではなく、積極的にその人の為に善い行動をすると言う意味もあります。ただ悪に悪を返さない事だけでは不十分です。迫害する人に善い行いを通して自分の手を伸ばす必要があります。
【ボックス選手】
ボストンレッドソックスのウエード•ボッグスと言う有名な野球選手はニューヨークヤンキースとのロード•ゲームをいつも嫌がりました。しかし、それはヤンキースの所為での理由ではありません。実は、それはヤンキースの一人のファンの故でした。そのファンはダイヤモンドと近くに座り、ボックス選手を見るたびに、いつも酷い悪口と侮辱を怒鳴りました。その事で彼は悪名高くなり、良く知られました。何回もその待遇を受けたボックス選手はもう我慢出来ませんでした。理由が全くないのに皆の前で侮辱された彼はどうしてもそのファンを黙せたかったのです。そして、ある試合の前にボックス選手は観客席の方へ歩いて、そのいやなファンに呼び掛けました。「おい、あなたがいつも私に怒鳴る人か」と彼に聞きました。そのファンは平然と、「そうだよ。どうかした?何をするつもりか」と厚かましく答えました。そうすると、ボックス選手は自分のポケットから野球ボールを取り、奇麗にサインをしてから、ファンに軽く投げました。その時からファンはボックス選手に侮辱を何一つも怒鳴りませんでした。実は、彼はヤンキース球場の中、ボックス選手の一番ファンになったのです。悪に悪を返さず、善い行いを通してボックス選手はその迫害する者を上手に扱いました。そのように侮辱されると私達は自然に仕返ししたくなりますが、それより優れた道があります。迫害する者に悪の代わりに善を行う事です。その項目を是非チェックリストに加わって下さい。
【喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい】
次に15節を見て下さい。
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」
と記されています。私達人間は自己中心的になる傾向が大変強いのです。自分自身との直接な関係がなければ、他人の事と思って無関心になりやすいです。特に、周りの者の悩みと悲しみの場合そう言う傾向があります。自分のものとしてその苦難を扱いたくないのです。しかし、この御言葉で私達は
「 泣く人と共に泣きなさい」
と教えられています。
【泣き女】
日本に来る前にアメリカのウェストヴァージニア州にある町の教会を牧会しました。その町には有名な婦人がいました。何故なら、その婦人は必ず町で行った全てのお葬式に出席しました。全く知らない者のお葬式にも行って、前の席に座り、大きい声で故人の死を嘆きました。親族よりも悲しみ、涙を流しました。町は小さくないから、彼女はお葬式巡回で結構忙しかったです。恐らく婦人は
「 泣く人と共に泣きなさい」
という教えに従おうとしましたが、多くの場合、彼女だけが泣いていました。
確かに、ある時は、 泣く人と共に泣くのは一番相応しい事です。その事によって心からの同情を表せます。しかし、ここでの「 泣く人と共に泣きなさい」の教えは涙を流す事に限られていません。その意味は、私達は難儀と悲しみで苦しむ者に同情し、励まし、助ける事です。自分の事と思って、その者に手を伸ばす事です。
【喜ぶ人と共に喜びなさい】
また、私達は
「喜ぶ人と共に喜びなさい」
と言う事も教えられています。ちょっと見たところでは喜ぶ人と共に喜ぶ事は簡単だと思います。誰でも喜ぶ事を好むはずですから、私達は喜ぶ人と共に喜ぶのは難しくはないでしょう。しかしながら、ある場合は、人の喜びは私達に妬みと恨みを起こさせます。特に、私達はその同じような良い事を経験してない場合、喜ぶ人と共に喜ぶ事は難しくなります。ですから、ここで教えられたのは、人の成功や祝福などの際、全ての妬みを捨てて、心からその人と共に喜ぶべきです。結局、その人の喜びが自分の喜びになる事です。そうすると、人の喜びだけではなく、自分の喜びも増えて来ます。是非、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く事を自分のチェックリストに加えて下さい。
【互いに思いを一つにし】
続いて、16節に次のチェックリストの項目があります。
「互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません」
と書いてあります。 ここでの
「互いに思いを一つにする」
事はおもにキリスト者同士に向けられていると思います。 しかしながら、その意味はキリスト者同士であっても、全く同じ考え方や、やりかたや、性格などであるとは限りません。それは一致よりも均一であります。ここで 互いに思いを一つにする事はおもに心から協力する事、一つの目的を持つ事、また、お互いに相手の立場と意見を大事にする事です。簡単に言えば、互いに思いを一つにする事はオーケストラと似ています。オーケストラの皆さんは同じ楽器をやっている訳でもないし、同じ楽譜で演奏する訳でもありません。様々な役割がありますが、目的は一つです。それは、和声的、また、美しい演奏する事です。同じように私達キリスト者はそれぞれの賜物を持っていますが、一つの目的があります。それは全ての事において神の栄光を現す事です。
互いに思いを一つにするために、私達はしなければならない事があります。記されているように、それは、
「 高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。」
やはり、高慢とうぬぼれは思いを一つにする事を破壊してしまいます。教会の一致を保つ為に、互いに謙遜な態度を取るべきです。相手が自分よりも賢い、自分よりも優れた者と思う事です。そうしますと、教会内の一致が保証されます。この点で主イエス・キリストは私達の模範になります。フィリピの信徒への手紙にこの御言葉が記されています。
(2:5−8)。「互いにこの事を心がけなさい。それはキリスト•イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者である事に固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」
愛する兄弟姉妹、チェックリストに 16節のこの事を入れて下さい。
「互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。」
私達のチェックリストの次の項目は17節にあります。
「誰に対しても悪に悪を返さず、全ての人の前で善を行うように心がけなさい」
と書いてあります。この御言葉の前半は14節と殆ど同じ意味だと思います。それは、
「あなたがたを迫害する者の為に祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。」
悪に悪を返してはなりません。逆に、主イエスの僕として私達は悪に善を返すべきです。
【全ての人の前で善を行うように心がけなさい】
この項目をもう既に扱いましたので、17節の後半に進みます。それは、
「 全ての人の前で善を行うように心がけなさい。」
神の大きな恵みによって救われた私達はこの世でイエス・キリストを代表します。つまり、未信者がイエスを見るのなら、私達を通して見るのです。私達はこの世にイエス・キリストの大使のような役割を果たしています。ですから、特に私達の毎日の行動を注意しなければなりません。躓きにならないように、
「 全ての人の前で善を行うように心がけなさい。」
と教えられています。職場で、近所で、出掛ける時も、私達の全ての行動を通して、善い証を立てているのでしょうか。ある時は、私達は主イエスの代表になった事を忘れがちですが、そうしてはいけません。どんな時でも、どんな場合でも、キリスト者に相応しい振る舞いを現すべきです。
エチオピアと言う国だと思いますが、キリスト者になると皆が意味深い習慣に従います。それは、手首に十字架の入れ墨をする事です。その隠す事が出来ない入れ墨で、自分がキリスト者である事を皆に知らせます。さらに、その入れ墨を見る事によって本人も自分の救い主を忘れられないし、いつもキリスト者に相応しい振る舞いをするように注意します。
「 全ての人の前で善を行うように心がける事。」その項目も皆さんのチェックリストに加えて下さい。そうしますと、イエス・キリストの善き証を立てられるし、自分が周りの者に祝福になります。
【全ての人と平和に暮らしなさい】
今度は18節を見て下さい。
「出来れば、せめてあなたがたは、全ての人と平和に暮らしなさい」
と記されています。ピーナツと言う漫画の主人公チャーリ•ブラウンはある時このように言いました。「僕は全人類を愛しますが、個人的な人になると、我慢出来ない。」間違いなく、この世には苦手があります。難しい親戚や、すぐに気を悪くしてしまう人や、なかなか満足出来ないお客さんや、高慢な同僚などがいます。出来れば、その人とも「平和に暮らしなさい」と18節に教えられています。もちろん、自分がどんなに努力してもある人と平和に暮らすのは不可能です。だからこそ使徒パウロはここでわざわざ「出来れば」と書いておきました。しかし、私達の方から少し気を配ると、多くの苦手さえも上手に扱う事が出来ます。侮辱されても我慢して沈黙を守る事、悪い事を何もしなかったのに謝る事、自分の責任でなかったのに責任を取る事。色んな方法で全ての人と平和に暮らす事が出来ます。主イエスはこのように言われました。
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」
(マタイ5:9)私達も神の子と呼ばれるように努めるべきです。
【燃える炭火を敵の頭に積む】
キリスト者の為のチェックリストの最後の項目は19節から21節にあります。
「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐は私のする事、私が報復する』と主は言われると書いてあります。『あなたの敵が飢えていたら、食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積む事になる。』悪に負ける事なく、善をもって悪に勝ちなさい。」
と記されています。
ある牧師が小さい女の子からこのような手紙を貰いました。「愛する牧師へ。先生は何回も説教で敵を愛しなさいと言いましたが、私はそんな事が出来ない。私はまだ6歳で敵がないからです。私は来年7歳になると敵を作りたいと思う。あなたの友達エーミから。」
多分私達はエーミちゃんのような問題を持っていないと思います。長く住む程、敵の数が増えて来る気がします。そして、敵が増えると復讐したい気持ちが強くなります。しかし、復讐は私達の責任ではありません。復讐の一切を神に任せよと教えられています。そして復讐の代わりに敵に善い事をするべきと記されています。
「あなたの敵が飢えていたら、食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積む事になる」
と書いてあります。大昔エジプト人は自分が犯した罪の事で、後悔と悔い改めを現そうとした場合、炭火を器に入れて、自分の頭に乗せて歩き回りました。その事によって自分の恥と罪の意識の燃えるような苦しみを皆に表しました。ですから、ここで使徒パウロが書いたのは、もし敵を友人のように扱うと、恐らく彼が恥を感じ悔い改めます。逆に、敵を敵のように扱ったら、もっと酷い敵を作ってしまいます。復讐を神に任せ、敵を友人のように扱う事は最後のチェックリストの項目です。
皆さん、いかがでしょうか。チェックリストはちょと長くなりましたが、イエス・キリストの僕としてそのすべての項目は重要です。もう一度始めから終わりまでチェックリストを繰り返します。
人を心から愛する事。
悪を憎む事。
善から離れず事。
兄弟愛をもって互いに愛する事。
尊敬をもって互いに相手を優れた者と思う事。
怠らず励み霊に燃えて主に使える事。
希望を持って喜び、苦難に耐え忍び、たゆまず祈る 事。
聖なる者達の貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなす事。
迫害する者の為に祝福を祈る事。
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く事。
互いに思いを一つにする事。
全ての人の前で善を行う事。
出来れば、全ての人と平和に暮らす事。
そして、最後に、復讐せず、敵を友人のように扱う事。
このチェックリストを参考しながら毎日の生活を歩むなら、きっと主イエス・キリストの忠実な弟子となり、周りの皆に大きな祝福と証になります。(おわり)
2007年02月25日 | カテゴリー: ローマの信徒への手紙 , 新約聖書
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