イエス・キリストは現在私の為に何を なさっていますか ウイリアム・モーア

フィリピの信徒への手紙2章18b−26節

【リストラされたあるサラリーマン】
あるサラリーマンが30年間忠実に会社の為に働きました。しかし、ある日突然リストラされてしまったのです。職場を失われた彼は年金を貰うにはまだ若いのであちこちへ行って新しい仕事を探しました。しかし、いくら探しても雇ってくれる人がいませんでした。そして、時間が経つとともに彼が貰った退職金が乏しくなり、生活が苦しくなりかけました。何かをしなければならないと思った彼は自分の甥の事を思い出しました。20年間、甥に会ってないですけれども、甥は実業家として成功し、結構盛んな会社を経営していました。仕方なく、彼はプライドを捨てて、働き口を得る為に甥を訪ねて行きました。しかし、頼むとこのように冷たくに言われました。「伯父さん、残念ながら、今は新社員を募集していません。」

そう言う事を聞くと彼はちょっと必死になって、 「肉親だから助けてくれ。あなたが五歳の時、私は魚釣りに連れてやったんじゃないか。覚えてるでしょう」と言いました。甥はそれを聞いてこのように返事しました。「そうですね、その事を覚えてますよ。御陰さまで今も魚釣りが好きです。実は、明日息子を連れて釣りに行く予定です。」

それを聞いて伯父さんは勇気づけられ、また言いました。「あなたは高校の野球をした時、私はいつも試合に行って応援したよね。覚えてるかい。」すると、「ええ、もちろんその事を覚えてますよ。伯父さんがいるからこそ励まされました」と甥が言いました。

そして、伯父は更に言いました。「大学の時、家の車をよく貸してやっただろう。夏休みに私の車で仲間と一緒に海に遊びにいったんじゃないか。」すると、「そうですね、伯父さんは本当に優しかったです」と甥が答えました。

話がうまく進むと思って、伯父は続けて言いました。「結婚した時、あなたがお金に困っていたので私は新婚旅行をプレゼントをした事も覚えてるわよね。一生のお願いだから、私をどうか助けてくれ。」

甥は少し考えこむように頭をうなずきながらこう言い始めました。「伯父さん、昔あなたがした事をもちろんよく覚えています。伯父さんは本当に気前の良い人でした。しかし、今になってちょっと問題があります。それは伯父さんは最近私の為にいったい何をしてくれましたか」と甥が平然と聞きました。

【イエス・キリストは現在私の為に何をなさっていますか】
あんまり情けない話で、恩知らず甥の事を聞いて笑われるかもしれません。しかし、このストーリを通して今日の課題、「イエス・キリストは現在私の為に何をなさっていますか」を御一緒に考えたいです。しかし、「イエス・キリストは現在私の為に何をしていますか」と言う質問は甥の質問と同じように自己中心的でしょうか。決してそうではありません。もしその質問の答えがまだ分からなかったら、是非問うべき質問だと思います。と言うのは、私達の信仰とは現在生きているものなのです。そして、信仰が私達の今の生活に本当に生きているものとして経験したいならば、イエス・キリストが現在私の為になさっている事を分からねばなりません。

【約2000年前になされたキリストの御業】
言うまでもないが、キリスト教信仰は神が私達の為にもう既になさった事に基づいています。すなわち、約2000年前にイエス・キリストを通して神は肉体を取ってこの世に下り、私達と共に宿りました。主イエスは神の性格を現し、そして、御自分の教えと模範で人間に最も良い生き方を示して下さいました。更に、私達の罪を贖う為、主イエスは十字架の死を経験して、その死を通し私達の全ての罪が許され、神の子供として永遠の命を頂きました。それは過去にイエス・キリストが私達の為になさった素晴らしい御業です。それはキリスト者の信仰の絶対に必要な基盤ですから、私達はその過去に行った事が分かると思います。

【主イエスを信じる者の将来の希望】
そして、神が約束して下さった事の故に、将来の為、私達は大きな希望を抱いています。すなわち、将来に主イエスは救われた者を天国に迎え入れて下さいます。そして、その存在は想像出来ない程素晴らしくなります。罪と悲しみと全ての障害から解放され、愛する神の御前に出る事が出来ます。完全にされた私達は永久に神の全ての恵みを受けられます。間違いなく、イエス・キリストは将来に私とあなたの為にその事をして下さいます。

【イエス・キリストと現在】
しかし、今日の課題は「イエス・キリストは現在私の為に何をしていますか」と言う事です。過去に行った事と将来に期待する事は大事ですが、私達は現在に生きていますので、現在イエス・キリストは私の為に何をしていますかと言う事を知りたいですね。

【獄中での使徒パウロの信仰】
もし今日の聖書の箇所を書いた使徒パウロがその質問を聞いたら何も驚かないと思います。フィリピの信徒への手紙を書いた時、使徒パウロは福音宣教の故にローマで監獄に入れられていました。実はパウロはエルサレムで告訴されたのですが、彼はローマの市民権を持っていたので、ローマにいる皇帝に上訴しました。しかし、皇帝の前に出るまで二年間程監獄で待たされました。そして、その裁判はどうなるかは分かりませんでした。キリスト教の敵は結構力と影響があって、どうしても一番効果的な宣教師パウロの声を消したかったのです。

信仰の為に自由が失われたパウロは、「現在イエス・キリストは私の為に何をなさいますか」と聞くことは、当たり前の事でしょう。しかし、パウロはその質問をしませんでした。何故なら、彼はもう既にその答えがよく分かっていたのです。パウロの経験ですけれども、牢に入れられてもイエス・キリストは自分の為に様々な素晴らしい事をなさいました。今日与えられた箇所はパウロがその時、キリストから受けた恵みの証になります。

もし私達はイエス・キリストから現在与えられている事があんまり分からないなら、きっと使徒パウロの証が参考になると思います。パウロはどんなに難しい状態に入っても主イエスの恵みを認める事が出来、心から感じました。その故にいつも勝利者として試練に向かって、希望と力が失われませんでした。

さて、主イエス・キリストは監獄に収容されたパウロの為に何をしましたか。今日の箇所の始めの所を見ましょう。18節の後半からお読み致します。

「これからも喜びます。というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、この事が私の救いになると知っているからです。」

第一に主イエスは収容されたパウロに喜びを授けて下さいました。環境が悪くなると喜ぶ事がなかなか難しくなります。特に監獄の環境はそうです。アメリカで牧会していた間ずっと刑務所の世話になった教会員の息子を訪ねました。実は、あの所は喜びがあんまりなかったのです。笑顔と笑う人は本当に少なかったです。何年間自由が失われ、家族と社会から離れると殆ど皆の囚人は鬱状態でした。そして、刑務所に対する文句は一番の話題でした。同じ厳しい環境に入れられても使徒パウロはどうして喜びを経験する事が出来ましたか。

【パウロとともなるイエス・キリスト】
彼の為になされた信徒達の祈りは大きな慰めと励みになりました。神はその祈りを聞き叶えて下さるとパウロは心から信じました。その上にパウロは「イエス・キリストの霊の助け」を頂きました。つまり、牢に入れられても主イエスは御自分の聖霊を通してパウロと共にいて下さいました。主イエスは十字架の死と復活の直前に弟子達にこの約束をしました。

「私は父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにして下さる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れる事が出来ない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」(ヨハネによる福音書14:16−17)

そして、主の霊はパウロと共にいるだけではなく、力ある霊ですので、彼を色々な面で助けて下さいました。知恵と忍耐、霊的と精神的力を与えて、健康も支えて下さったのです。主イエスはパウロの為に御自分の霊の存在と助けを授けました。そして、その霊の存在と助けは

「自分の救いになると知っている」

とパウロが言いました。更に、その救いの希望の結果は心からの喜びです。どんな事になっても、主イエスが助けて下さる霊は彼と一緒にいましたので、勝利と喜びによって満たされました。主イエスはパウロの為にその賜物を下さいました。

【生きるはキリスト、死ぬるも益なり】
20節からパウロは主イエスからの恵みを続けて記しました。

「そして、どんな事にも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬ事は利益なのです」

と使徒パウロが書いたのです。誠に、イエス・キリストはパウロに人生の真の目的を与えて下さいました。それは、

「私の身によってキリストが公然とあがめられる」

事です。その大きな、大きな目的があったからこそ、パウロの人生は焦点があり、パウロは生き甲斐と召命をキリストから頂きました。その召命はイエス・キリストの恵みを出来るだけ多くの人に分かち合う事です。パウロにとって救いの福音は一番貴重なものなので、喜んでその為に自分の命を捧げました。ですから、

「生きるとはキリストであり、死ぬ事は利益なのです」

と言える事が出来ました。

同じように彼はローマの信徒への手紙14章8節

「私達は、生きるとすれば主の為に生き、死ぬとすれば主の為に死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、私達は主のものです。」

と書きました。イエス・キリストはパウロの為に一番優れた人生の目的を授けて下さいました。そして、その目的に満たされた彼は大きな実を結ぶ人生を歩む事が出来ました。

間違いなく、使徒パウロはイエス・キリストの現在にある賜物を深く知り、徹底的に頼って来ました。だからこそ、パウロは試練と苦しみと言う環境にいても、主イエス・キリストがパウロと共にいて働いて下さるので喜びと慰めと勝利を豊かに授かりました。

祈祷

愛する天の父様、あなたの御子イエス・キリストを通して現在与えられている多くの恵みと祝福を心から感謝致します。あなたは私達といつも共にいて下さる御臨在や、あなたの霊の助けや、喜びや、真の人生の目的などの賜物を豊かに授けて下さいます。しかし、弱い罪深い私達はあなたの恵みを忘れがちです。どうか、私達の毎日の生活にその素晴らしい恵みを常に覚えるように助けて下さい。そして、あなたの愛と力と希望に支えられ、主の忠実な僕として歩めるように導いて下さい。

(おわり)

2006年07月02日 | カテゴリー: フィリピの信徒への手紙 , ヨハネによる福音書 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書

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