2006年7月

神の手にいる ウイリアム・モーア

ヨハネによる福音書10章22−30節

【羊】
バイブル・クイズではないんですが、聖書の中でどんな動物が一番多く言及されていますか。牛ですか。ラクダですか。馬ですか。それともウサギですか。そうですね。その動物も聖書に載ってあるんですが、ある動物は遥かにもっと出て来ます。実は、今日の聖書の朗読は質問の手掛かりになります。やはり、聖書には全ての動物の中で、羊は一番多く言及され、羊という単語は500回以上の所に載ってあります。

羊はなぜ聖書にそんなによく出て来るものなのでしょうか。それは、聖書の時代のパレスチナの人々には日常生活を通してもっとも必要とする大事な動物であったからです。例えば、その毛で布を織って着物を作りました。その乳を飲み、何よりもその肉はおもな食肉となりました。そして、その皮までも色々なところで物を作るのに使われました。ですから、羊はお金のような物になって、何かを買う時、羊で払う事が出来ました。更に、人々は神殿で生け贄をする時、羊を捧げました。社会に羊はなくてはならないものでしたが、また何処にでもいる家畜でもありました。それで皆は羊の事がよく分かりました。誰でも羊の性格と特徴までも詳しく知っていました。ですから、聖書は羊と羊飼いをシンボルとして何回も、何回も用いています。

【主は羊飼い】
旧約聖書の詩編23編にはこの有名な御言葉があります。

「主は羊飼い、私には何も欠ける事がない。主は私を青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせて下さる。」

そして、預言者エレミヤを通して神はイスラエルの人々にこのように約束しました。

エレミヤ書23章3−4節「この私が、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。彼らを牧する牧者を私は立てる。群れはもはや恐れる事も、おびえる事もなく、また迷い出る事もないと主は言われる。」

イザヤ書40章11節にこの御言葉があります。

「主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、子羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。」

このように、聖書には羊飼いを愛する神のシンボルに、そして、羊は神の民、私達を表します。

2006年07月16日 | カテゴリー: エレミヤ書 , マルコによる福音書 , ヨハネによる福音書 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 詩篇

テントから永遠の家へ ウイリアム・モーア

コリントの信徒への手紙二5章1−10

【避暑地の出来事】
私は韓国で大きくなる間、毎年の事ですが夏になると家族そろって、韓国の南にあるチリ山と言う山で休暇を過ごしました。その高い山の天辺に憩いの場として宣教師達がその所を開拓し、夏の蒸し暑さを逃げて、静かな所で休む事が出来ました。車の道がなかったので、上まで登るのは四、五時間程かかりました。電気や電話やお店なども全くありませんでしたが、特に私達子供はそこで素晴らしい日々を過ごしました。友達と一緒に山歩きとテニスと遊泳でのんびり休みを楽しむ事が出来ました。子供の頃の思い出の中で、その山での思い出は一番心に残っています。実は、今も大人になっても私は山に憧れ、たまに登ります。

【台風でテントは壊された】
山の思い出はとても良いんですが、一つだけとても怖い思い出があります。それは五歳の頃です。その時わたしたち家族には山小屋がまだなかった為、テントを張って夏を過ごしました。それはこの部屋の大きさぐらいの軍用テントでした。朝鮮戦争の残り物で、お父さんが市場で購入したと思います。小さい子供であった私にはその大きなテントで暮らすのは大変面白かったです。しかし、ある夜、台風が来ました。始めは雨が激しく降りましたけれどもテントの中は安心でした。しかし、やがて風が吹き始めました。そして、風は段々強くなると共にその音がひどくなりました。更に、テントがひどく揺れだしました。すると、テントを支えている真ん中の木の柱が曲がって来て、壊れる恐れがありました。お父さんとお母さんが側にいましたので、僕はその時までもあんまり心配しませんでしたが、お父さんが急に、「避難しなくちゃ。早く逃げよう」と叫ぶと、ちょっと不安になりました。そして、五人の家族はその酷い台風の風と雨の中で200メートル離れた友人の小屋へ何とか進んで、やっと無事に着きました。その恐怖は今もよく覚えています。

寝る事も出来なかったけれども、その晩は友人の小屋で過ごし、朝早く台風が過ぎてから、早速家のテントを見に行きました。テントはもちろんその中にある物もメチャクチャになり、被害が少なくありませんでした。避難しなかったら、多分怪我をしたかも知れません。お母さんがぺちゃんこになったテントを見て、お父さんに、「小屋を作ってくれないうちは、この山に戻りません」と言いました。そして、次の夏、その台風の御陰で家の家族は丈夫な山小屋で夏を過ごす事が出来ました。

【テント生活の限界】
今日の聖書の箇所に使徒パウロは私達のこの世での存在をテントに暮らすような存在と比べました。実は、パウロは伝道をしながらテントの職人として食べて行きました。彼は優れたテントを作ったと思いますが、テントの基本的な限界がよく分かりました。今日の朗読、コリントの信徒への手紙二5章1節からもう一度お読み致します。

「私達の地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられている事を、私達は知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。私達は、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。それを脱いても、私達は裸のままではおりません。この幕屋に住む私達は重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまう為に、天から与えられる住みかを上に着たいからです。」

2006年07月09日 | カテゴリー: コリントの信徒への手紙二 , ヨハネによる福音書 , 新約聖書

イエス・キリストは現在私の為に何を なさっていますか ウイリアム・モーア

フィリピの信徒への手紙2章18b−26節

【リストラされたあるサラリーマン】
あるサラリーマンが30年間忠実に会社の為に働きました。しかし、ある日突然リストラされてしまったのです。職場を失われた彼は年金を貰うにはまだ若いのであちこちへ行って新しい仕事を探しました。しかし、いくら探しても雇ってくれる人がいませんでした。そして、時間が経つとともに彼が貰った退職金が乏しくなり、生活が苦しくなりかけました。何かをしなければならないと思った彼は自分の甥の事を思い出しました。20年間、甥に会ってないですけれども、甥は実業家として成功し、結構盛んな会社を経営していました。仕方なく、彼はプライドを捨てて、働き口を得る為に甥を訪ねて行きました。しかし、頼むとこのように冷たくに言われました。「伯父さん、残念ながら、今は新社員を募集していません。」

そう言う事を聞くと彼はちょっと必死になって、 「肉親だから助けてくれ。あなたが五歳の時、私は魚釣りに連れてやったんじゃないか。覚えてるでしょう」と言いました。甥はそれを聞いてこのように返事しました。「そうですね、その事を覚えてますよ。御陰さまで今も魚釣りが好きです。実は、明日息子を連れて釣りに行く予定です。」

それを聞いて伯父さんは勇気づけられ、また言いました。「あなたは高校の野球をした時、私はいつも試合に行って応援したよね。覚えてるかい。」すると、「ええ、もちろんその事を覚えてますよ。伯父さんがいるからこそ励まされました」と甥が言いました。

そして、伯父は更に言いました。「大学の時、家の車をよく貸してやっただろう。夏休みに私の車で仲間と一緒に海に遊びにいったんじゃないか。」すると、「そうですね、伯父さんは本当に優しかったです」と甥が答えました。

話がうまく進むと思って、伯父は続けて言いました。「結婚した時、あなたがお金に困っていたので私は新婚旅行をプレゼントをした事も覚えてるわよね。一生のお願いだから、私をどうか助けてくれ。」

甥は少し考えこむように頭をうなずきながらこう言い始めました。「伯父さん、昔あなたがした事をもちろんよく覚えています。伯父さんは本当に気前の良い人でした。しかし、今になってちょっと問題があります。それは伯父さんは最近私の為にいったい何をしてくれましたか」と甥が平然と聞きました。

2006年07月02日 | カテゴリー: フィリピの信徒への手紙 , ヨハネによる福音書 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書