十字架からの御言葉(その3):「婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です」 ウイリアム・L・モーア
ヨハネによる福音書19章23-27
【十字架上のお言葉(3)】
イエス・キリストの十字架からの御言葉を学び続けたいと思います。覚えていらっしゃると思いますが、主イエスは十字架に掛けられた間、御自分の唇から七つの大事な御言葉をおっしゃいました。私達は受難節の際にもうすでにその二つを覚えました。第一は赦しの言葉
「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです。」
そして、神はそのお祈りを叶えて、十字架の贖いを通して、御自分の御子を救い主として信じる者は、誰でも罪の赦しを与えて下さいました。
先週学んだ主イエスの第二の御言葉は永遠の救いの約束でした。傍らの十字架に掛けられた犯罪人は主に、
「イエスよ、あなたの御国においでになる時には、私を思い出して下さい」
と心から願いました。その願いは悔い改めと信仰を表しましたので、イエスはこの素晴しい約束を彼にしました。
「あなたは今日私と一緒に楽園にいる。」
その同じ悔い改めと信仰を表すならば、私達の為にも神は天国の戸を開いて下さいます。罪の赦しと永遠の救い。その二つの御言葉で、唯一の全能の神は私達の個人的、また、全人類の一番大事なニーズにお答えになりました。
【二つのグループ】
さて、十字架から第三の主イエスの御言葉の背景を見てみましょう。実は、今日与えられた聖句は著しい対照をなしています。と言うのは、主イエスの十字架の前で二つの全く違っているグループが立っていました。一方にはイエスを苦しませ、死刑を実行した四人の兵士達でした。そして、他方には主を誰よりも愛した五人がいました。
【兵士たちがしたこと:預言の成就】
先ず兵士達を見てみましょう。主イエスは四人組の兵士に付きそわれて、形場へ着くと,彼らは主を十字架に付けました。そして、当番で処刑の任務についたこの兵士達の役得は、受刑者の着けていた衣服でした。ユダヤ人は通常五種類の衣具をつけていました。サンダル、ターバン(すなわち頭に巻く頭巾)、帯(おび)、下着、それに外套。兵士は四人、衣服は五品目でありました。彼らは賽を投げてそれらの取りっこをしました。それぞれが自分に当たった物を取り、下着だけが残りました。それは縫い目がなく、一つ織りの物でした。それを四つに裂けば、勿体ないので、それが誰の物になるかを決める為に、もう一度、賽が投げられました。こうして、兵士達は十字架のもとで賭け事をしました。不思議にその事は旧約聖書の預言を成就しました。詩編に救い主についてこの預言があります。
「私の着物をわけ、衣を取ろうとしてくじを引く。」(詩編22:19)
事実、兵士達は自ら喜んで主イエスの処刑に参加し、ルカによる福音書に記されたように、兵士達は主を侮辱して、
「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」
とあざけました。
【貪欲と苦しみに対する無関心】
彼らの前に神の独り子,世の唯一の救い主が十字架に架けられていました。そのお方から罪の赦しと永遠の命を頂く事が出来ましたけれども、兵士達は主の衣服を取ることしか考えられませんでした。その物を市で売れば僅かな収入になるかもしれませんが、哀れなことですが、比較出来ない程の賜物を見落としてしまいました。価値のあんまりない衣服の為の貪欲と、すぐ目の前の人の苦しみに対する無関心。それは兵士達の本当の悲しい姿でした。
貪欲と、すぐ目の前の人の苦しみに対する無関心。それは兵士達の本当の悲しい姿でした。
【主を愛する5人】
十字架の側にいるもう一つのグループは兵士達に対比して主イエスを心から愛した者です。その人達は主のお母様マリアと、その姉妹と、クロパの妻マリアと、マクダラのマリアと、主の弟子ヨハネでした。その所にいるだけで非常に危険な事でした。イエスは反逆者として処刑されましたので、主と共にいた人は疑いをかけられて来ました。ですから、彼らが逮捕されても意外な事ではありません。しかし、彼らは愛の故に、その時、主イエスを見捨てる事が出来ませんでした。そのような状態でイエスを見るのは何よりも辛かったですが、どうしてもその一番大変な時、愛する主と共にいたかったのです。何も出来なかったのですけれども、そこにいる事だけで、自分の愛をイエスに示したかったのです。
【母マリア】
特に主イエスのお母様マリアの立ち場は辛かったと思います。マリアには決して楽な人生がなかったのです。ヨセフと結婚する前に彼女は聖霊の力によってイエスで身籠って、人に軽蔑されたと思います。また、ヘロデ王の迫害を逃げる為、エジプトへ非難しなければなりませんでした。さらに、夫ヨセフを早くに亡くして、未亡人になってしまいました。そして、今、長男イエスは何一つ罪を犯してもいないのに、その生々しい拷問と残酷な処刑を目撃しなければなりませんでした。
母マリアは喜んで自分の子イエスを守る為、その身代わりに十字架の死を経験したいと思った事でしょう。しかし、それは不可能で、どうしようもなく長男の苦しみと死を見るしかなかったのです。
その時、十字架に掛けられたイエスは自分の母マリアと弟子ヨハネを見て、驚くべき事をしました。自分の深い苦しみの中にも、イエスは母マリヤの将来を考えて十字架から第三の御言葉をおっしゃいました。母と側に立っている愛する弟子ヨハネを見て、母に、
「婦人よ、御覧なさい、あなたの息子です」
と言われました。それから愛する弟子に
「見なさい、あなたの母です」
と言われました。そして、その弟子はマリヤを自分の家に引き取りました。やはり、イエスはお母さんを深く愛していたのです。そのもっとも難しい時、御自分の苦しみを忘れ、母の事を心配して、十字架からの第三の御言葉を通して、その大事なニーズに答えて下しました。
愛する皆さん、主イエスとは比較するには及ばないですけれども、私達も痛みと苦難を経験した事があると思います。そして、私達は精神的と肉体的苦しみを受けると、どんな状態でいられるのでしょうか。自分の苦しみの中で周りの者の事まで気配りが出来るのでしょうか。自分の状態が正常で良い時は、何とか相手の気持ちと立場を思い、同情する事が出来ますが、悩み苦しむの場合は、周りの者の問題とニーズは面倒になり、その人の為に何も出来ません。「ほら、僕は自分自身の悩みがあるから、ほっといてくれ」と言いたいのです。
【主イエスはどんな苦しみをも覚えてくださる】
しかし、主イエスは十字架で私達が想像出来ない程、霊的と肉体的苦しみを受けていても、人のニーズを深く思い、そのニーズを叶えて下さいました。主は。
「父よ、彼らをお赦し下さい」
と祈って、自分を迫害する者、また全人類の罪を赦して下さいました。
さらに、隣で十字架に掛けられた犯罪人に救いと永遠の命を約束されました。それから、ここでは自分のお母さんを思い、彼女のこれからの世話を弟子ヨハネに托しました。苦しみがあまり激しいから、その苦しみしか考えられなかったはずですが、イエス・キリストは自分を忘れ、最後まで相手の事、そして敵の事さえも考えて下さいました。
【十字架は愛】
愛する兄弟姉妹達、私達の救い主、イエス・キリストは私とあなたを御自分のお母さんと同じように一人一人を大事に、愛して下さいます。私達の為に御自分の命を捨てて下さいました。私達の為に十字架の苦しみを受けて下さったのです。一番苦しい時、私達の一番大事なニーズ、罪の赦しと永遠の命を考え叶えて下さいました。しかも、主イエスは今も天国で私達の為に執り成し、助けて下さいます。
【ある兵士と子供】
アメリカの南北戦争の時ですが、ある若い兵士が自分の父と兄も戦死してしまいました。その為に彼は家長になり、農園で残されたお母さんと妹の事で大変心配でした。彼の助けがないと、春の種蒔きが出来なくなって大変困ります。その二人が飢え死ぬかも知れないと恐れました。兵士はその心配を将校に言いましたけれども、何も助けてくれませんでした。
そして、彼には一つアイデイアが浮かびました。もし首都のワシントンDCへ行って、リンカン大統領に合ったら大統領はきっと自分の問題を聞いて、家族を助ける為、休暇を与えると信じました。ですからリンカン大統領に合う為、二日の休みを頂いて、ワシントンDCへ出掛けました。彼はワシントンDCへ着くと直接にホワイトハウスに行き、正門で自分の用件を警備員に伝えました。そしたら、警備員は言いました。「大統領は大変忙しい人ですから、紹介なしで面会は不可能です。このまま大統領と合うのはとっても無理です。基地へ速く帰って下さい」。
その事を聞いて兵士はもちろん大変がっかりしました。そして、ホワイトハウスのすぐ隣にある公園へ行ってベンチに座り、これからどうしようかと考えたのです。その時、小学生の坊やが彼のところにやって来て言いました。「兵士さん、どうかしましたか。大変悲しそうな顔をしていますよ。」その事を聞いて兵士は坊やに自分の悩みを全部言ってしまいました。「リンカン大統領に合えるなら、きっと私の悩みを聞いて助けて下さると信じる」と坊やに言いました。
坊やは彼の悲しいお話しを聞いて、「僕と一緒に来て下さい」と返事をしました。そして、坊やは兵士の手を持って一緒にホワイトハウスの方へ歩きました。ホワイトハウスの正門を通るとき警備員は何も言いませんでした。しかも、ホワイトハウスの正面玄関に上がっても、誰も彼らを止めませんでした。そして、大統領の執務室に着くとドアを叩かないでそのまま入りました。そして、兵士の目の前で、リンカン大統領が机に向かって座っていました。大統領は坊やと兵士を見て言いました。「あ、トッド、どうしたの。友人を連れて来たのか。紹介してくれ」と優しそうに言ってくれました。そして、大統領の息子、トッド・リンカンはお父さんにこう返事しました。「この兵士さんはあなたにお話があるそうです。」それから兵士は自分の悩みをアメリカの大統領の前で全部言いました。そして、リンカン大統領は兵士の願いを叶えて、家に帰らして下さいました。実に、兵士は大統領の息子の紹介があったからこそ、その願いが満たされたのです。
実は、私達の救い主イエス・キリストは私達の為にその息子のような役割りを果たして下さいます。主イエスのお陰で私達は清い者として全能の唯一の神の御前に出る事が出来、私達も神を「父」と呼ぶ事が出来ます。イエス・キリストの愛はどんなに大きいでしょう。
【愛する弟子ヨハネに】
最後に主イエスは十字架から愛する弟子ヨハネにお母さんについてこのようにおっしゃいました。
「見なさい。あなたの母です。」
そして、
「その時から、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった」
と記されています。私達もヨハネのように主イエスが教えられた事を素直に受け入れるべきです。愛する主はこのように言われました。
「あなたがたは、私を愛しているならば、私の掟を守る。」(ヨハネによる福音書14章15)
どうか、私達は毎日主イエスに対する愛を表しましょう。(おわり)
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