2006年2月

隣人を愛する事 ウイリアム・モーア

マタイによる福音書22章34-40節

【ある運転手と暴走族】
あるトラックの運転手が高速道路のサービスエリアで車を止めて、レストランに入りました。大変空腹を覚え、ハンパーグステーキとマッシュポテトとグリンビンズを注文し、口に唾がたまる程その大好きなメニューを楽しみに待っていました。そして、やっとウェートレスが食事を持って来て、運転手さんは美味しそうに食べ始めました。その時です。暴走族の連中がレストランに入って来て、運転手の隣のテーブルに座り込みました。しかし、そのテーブルには皆が座れる余地がないから、番長らしい人が運転手に向かって、「退け!あんたのテーブルを譲れ」と怒鳴りました。そうすると、運転手は、「食事はもうすぐ済むから、ちょっと待って下さい」と言いました。すると、番長らしい人が運転手のコーヒー・カップを自分の手に取って、コーヒーをその食事の上に流してしまいました。そして、「これで食事が済んだぞ。早く帰れ」叫びました。

運転手は何も言わずに立ち上がって、平然とレジの方へ歩いて、暴走族の笑いを後ろにしながら会計を済ませました。事件を見ていたウェートレスは申し訳ない気持ちで外まで運転手に付いて行って見送りました。そしてウェートレスがレストランに戻った時、連中の一人は彼女に言いました。「あの親爺は弱虫だぞ。本当に男らしくないね。」すると彼女はこう返事しました。「男らしくないと言えば、運転も大変下手ですよ。運転手なのに出た時、外で並んでいたあなた達のオートバイ8台をトラックで轢いて帰ってしまったよ。」

【復讐】
私達はこのストーリを聞くと笑いますが、更に何とも言えない満足も感じる事だと思います。なぜなら、あの暴走族の連中は相応(そうおう)の罰を受けたからであります。正義が行われました。私達は傷つけられたら、傷をつけたい気持ちが強いのです。しかし、多くの場合は勇気が出せないから仕返しが出来なくて、我慢するしかありません。ですから、私達は先程のストーリの何倍もの復讐劇を聞いては喜ぶのです。恐らく私達は密かにあの運転手のようになりたいかも知れません。やられたらその倍にして返すのです。

2006年02月26日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 新約聖書

神を愛する事 ウイリアム・モーア

マタイによる福音書22章34-40 ◆最も重要な掟 34:ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。 35:そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。 36:「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」 37:イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 38:これが最も重要な第一の掟である。 39:第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 40:律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

【613の掟】 今日の御言葉によりますと、ある日、ユダヤ教の律法専門家がやって来て主イエスにこのように尋ねました。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」その当時、律法はユダヤ教の中心になり、宗教の律法を守る事によって、信者は神を喜ばせようとしました。ですから、専門家達が律法を研究して、御言葉の中から613程の掟を見つけました。そして、その613の掟を「重い」、つまり重要なものと「軽い」すなわち、それ程大事ではない掟に分けました。

またある学者によりますと、律法を重いものと軽いものに分けてはいけない事だそうです。なぜなら、もし神から授けられたものだったら、全ての掟は同じく重要であり、従わなければならないものなのです。ですから、律法を区別する事は神に対して罪になります。ユダヤ教の学者達がこの二つの立場を激しく議論しましたけれども、なかなか決定する事が出来ませんでした。

【最も重要な二つの掟】
恐らく律法の専門家が主イエスをこの問題に巻き込む為、また、試そうとして、

「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」

と聞きました。そして、イエスは迷わずにはっきりとこのように答えられました。

「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

主イエスのお答えは真に素晴らしいものでした。その二つの掟に神の全ての律法が纏められています。何故なら、もし神を本当に愛するならば、真の神をおいて他の神を拝まないし、神の名をみだりに唱えません。また、神を愛する者は安息日を心に留め、聖別します。同様に、もし隣人を愛するならば、もちろん隣人を殺さないし、その物を盗まないし、彼に関して偽証などをもしません。つまり、愛の掟に従ったら、神の御旨に従って生きる事が出来ます。

「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」

と主が言われました。もし心からこの二つの掟だけを守ろうとしたら、同時に残りの611の掟も守る事になります。

2006年02月19日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , ヨハネの手紙一 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 詩篇

神への道 ウィリアム・モーア

ヨハネによる福音書14章 6:イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。 わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」

【驚くべき主イエスのお言葉】
イエス・キリストの教えは人間の常識を遥かに超えるものですから、その教えを聞くと私達の耳に驚くべき事がよくあります。例えば、「自分の命を得ようとする者は、それを失う。」また、「受けるよりは、与える方が幸いである」と「柔和な人々は地を受け継ぐ。」そして、「敵の為に祈りなさい」と「迫害される時、あなたがたは幸いである。喜びなさい」と教えられました。そのイエス・キリストの御言葉は私達を驚かされますが、恐らく今日の聖句は最も驚くべき主のご発言であります。

「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行く事が出来ない。」

考えて見ますと、この主イエスの御言葉は本当にすごいものです。そして、あんまりにも大胆ですから、ある人々には躓きになります。つまり、イエスは御自分が神への唯一の道であるとおっしゃる事は、ちょっと傲慢な発言だと思う者がいます。了見の狭い、あるいは頑迷な主張と受け取る人もいるかも知れません。そう言う排他的な事を言ってはいけないのではないかと思う者が大勢おられるでしょう。

しかし、イエス・キリストは

「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行く事が出来ない」

と宣言されるとき、神の独り子として真理を語りました。そして、御自分の発言は傲慢ではなく、却って愛と憐れみの動機からなさいました。

実は、この宣言は全人類と私達一人一人にとって、最も貴重な真理であると信じております。何故なら、この教えは私達の永遠の救いへの唯一の道を示して下さるからです。

この主イエスの発言は躓きになる理由が様々あると思いますが、多分おもに宗教に関する誤解と言えば三つの事が取り上げられます。

この三つの誤解を抱く者が多いですから、恐らく皆さんも聞いた事があると思います。

2006年02月12日 | カテゴリー: ヨハネによる福音書 , 新約聖書