わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました ウイリアム・モーア
テモテへの手紙二4章6-8
【告知】
この間、私はある人と共に死について話し合いました。私は牧師だから他の人よりも、恐らくそういう機会が多く与えられています。その時、相手の人は数カ月前に亡くなった家族の一員の事を語りました。実は、その方は亡くなる一年前に、自分が病気で死にかかっている事が分っていたそうです。それから話が、人は先立って自分の死を告知される方が良いかどうかと言うことになりました。自分の死が先立って分っていたら色々と準備が出来るので良い事もあると言いました。逆に、分らないと残りの時間を黒い雲のような状態で過ごさなくてもすむから良い面もあると話しました。皆さんはどうでしょうか。
【死刑囚パウロ】
今日、与えられた御言葉を書いた人物は、自分には限られた日しか残ってない事が分っていました。実は、彼、使徒パウロは信仰の故にローマ帝国の囚人になり、死刑宣告を受けてしまいました。暗い死刑囚監房(かんぼう)に閉じこめられたパウロはどんな気持ちで自分の日を待っていたのでしょうか。来るべき死刑実行を恐れて惨じめな気持ちでしたか。あるいは、不正な判決の為に敵に対する恨みをいだきましたか。少なくとも彼は気持ちが落ち込んでいたはずだと思います。長い間、福音宣教の為に励んで、宣教師として数え切れない程の犠牲を払って来ました。迫害と様々な困難の故に決して楽な生活ではありませんでした。そして、その報いは何だったか。ついに死刑という悲惨な運命になりました。使徒パウロが絶望したとしても、ちっともおかしくありませんね。 しかし、彼は絶望しませんでした。敵と自分の運命をののしりませんでした。却って、その代わりに手紙を書きました。希望と勝利と信仰に満ちた素晴らしい手紙を書いて、自分が開拓した教会と協力者に送りました。自分の遺言と思って、受け継いだ信仰を守るようにと信者を励み続けました。
使徒パウロは今日の個所をテモテに書いて送りました。割合若いテモテはパウロと共に伝道に励んで、パウロの弟子のようになりました。手紙にパウロはテモテを「愛する子」と呼びましたので、間違いなく彼等は親子のような親しい関係を持っていました。そして、死に直面したパウロはテモテに自分の信仰と死に対する確信を伝えたかったのです。与えられた信仰のお陰でパウロは勝利者として死に向かい、恐れませんでした。
私達も使徒パウロの言葉から学ぶ事があります。特にイエス・キリストを信じ頼る者として私達には、パウロの証は大事であると思います。
2006年01月22日 | カテゴリー: テモテへの手紙二 , フィリピの信徒への手紙 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書
世の光であるイエス・キリスト ウイリアム・モーア
ヨハネによる福音書9章1--11
【ひと間違い】
このような経験がありますか。遠くから人を見て、その人が知人だと思って手を振りました。そして、挨拶しに近づくと、その人は実は全く知らない人でした。恥ずかしいですね。または、電話の声で相手を「なになにさん」だと思って、直ぐ会話を始めましたが、一分、二分しゃべると、実は相手が違う人だと気付きました。それも恥ずかしいですね。
この間の話ですが、家に電話がかかってきました。電話を取ると、「Hey, what's up?」つまり、「おい、どうしてる」と言う声が聞こえました。ちょっと可笑しい挨拶だなと思ったんですが、声がアメリカにいる長男らしいので、色んな話に入りました。しかし、突然、相手が、「Who are you?」つまり、「あなたは誰ですか」と私に聞きました。その瞬間ピンと来ました。相手は実は次男の友人で、ポールと話したかったんですが、私の声をポールと間違えたようでした。その事件は家で大笑いになりました。
【相手の身元を知る】
相手の身元を知るのは大切な事です。それが分らなかったら、相手と話す事さえも難しいです。どんな身分や、何処の人などが不明の場合は、その人と関係を結ぶのはなかなか難しいです。その反面、相手の身元が十分分かると、適当な関係を持つ事が出来ます。だからこそ、初めて人に会う時、よく名刺を交換します。名刺を見たら、相手の身元が分かって、適切に扱う事が出来ます。
【イエス・キリストの身元】
同じようにイエス・キリストの身元もちゃんと分かった方が良いと思います。主イエスは世界歴史の一番重要な人物だし、今も主の教えはキリスト教信徒だけではなく、社会にも大きな影響を与えて来ました。
さて、イエス・キリストはいったい誰ですか。どんな役割を果たしましたか。そう、その事が分かるには、先ずイエス・キリストが御自分について何と言われたかを調べるのが良いと思います。すなわち、もしイエス・キリストに名刺があたら御自分について何と書いたのでしょうか。
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2006年01月15日 | カテゴリー: エフェソの信徒への手紙 , ヨハネによる福音書 , 新約聖書
神は本当に私を愛するか ウイリアム・モーア
サムエル記下9章1-13
【旧約聖書のお話】
毎月のバイブル・クイズを通して私達は旧約聖書に於けるお話を少しづつ学んで来ました。ハンナとその息子サムエルの事や、イスラエルとペリシテの戦いや、国王サウルの政権や、ダビデと巨人ゴリアトの決闘などについて学びました。ある面でこのお話は面白いです。何千年前の人の考え方と行動が映画の場面のように目に浮かびます。その劇的な王と預言者のストーリは今を住んでいる私達に興味を起こさせます。しかし、旧約聖書のお話はいくら面白くても、その出来事の数千年後に生きる私達と何の関係がありますか。キリストの教会はその大昔のストーリを現在も、「御言葉」、すなわち、私達の為の神からのお話としてなぜ大事にするのでしょうか。
【選民イスラエル】
実は、旧約聖書のおもなお話は全能の唯一の神と御自分が特別に選んだ民イスラエルとの関係を記録してあります。つまり、その民の為の神の愛と恩寵が語られています。ですから、主イエス・キリストの贖いによって神の家族に加わえられた私達は、旧約聖書のお話を通して父なる神の愛が分って来ます。変わらぬ神はイスラエルを愛したように私達も愛して下さいますので、その古代のストーリは私達のストーリになって、それを学んで大事にします。
【サウル王の孫メフィボシェット】
今朝、与えられた個所は、ダビデ王とサウル家の物語ですけれども、実際にこのお話を通して私達に対する神の愛と恵みが悟らされます。
まだ小さい子供だったサウル王の孫メフィボシェットは、一生その恐ろしい日を忘れる事が出来ませんでした。戦地から宮殿にこの悲しいニュースが届きました。「サウル王と息子三人は戦死されてしまいました。」イスラエルの長年の敵ペリシテは戦争でイスラエルの王と息子達を皆殺しました。その上、内戦の相手ダビデはサウルに代って、イスラエルの王になりました。ですから、祖父サウルとお父さんヨナタンを亡くした若いメフィボシェットは自分の命も危なかったのです。その時代、王家が代ると、勝った方が負けた王家を全滅しました。なぜなら、前の王家を二度と立ち上がらせない為でした。
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賢い者として新年を歩みましょう ウイリアム・モーア
エフェソの信徒への手紙5章15-17
讃美歌 15
【評判の良くない兄弟】
ある町に二人の兄弟がいました。その二人は双子のようにとても仲良く、いつも何でも共にしました。兄弟の仲は良いですけれども、町での評判はあんまり良くありませんでした。飲み過ぎて人と喧嘩したり、乱暴な言葉をよく吐きました。そして彼等はお金があったのにも係らず、あちこちで勘定をためて、なかなか払いませんでした。更に、自分の会社の従業員を厳しく扱いましたので、皆に嫌われていました。
ある日、兄弟の一人が急に病気で亡くなりました。そして、残った一人は町の教会へ行ってお葬式の為に牧師と相談しに訪ねました。彼は、牧師に一つ頼みがあると言いました。それは「お葬式の時、是非兄を『聖人』と呼んで欲しい。そうすると、家族に大きな慰めになるから」と頼みました。牧師は、「それはちょっと難しいですよ。町の人は皆、お兄さんの事をよく知っていますから、『聖人』と呼んだら笑われるかもしれません。しかし、弟は願い続けて、「お願いだ。お葬式の時、兄を聖人と呼んで下さい。そうすれば、教会に$1、000献金します」と約束しました。
仕方なく、牧師はお葬式の時、そうする事にしました。そして、お葬式の際、牧師は立ち上がって、皆の前でこのようにお話をしました。「故人は乱暴で、長い間我々の町に迷惑ばかり掛けました。その上、勘定も沢山残して亡くなりました。しかし、とても嬉しい事ですが、故人について少なくとも一つの良い事を言えると思います。それは、弟さんに比べると故人は本当に聖人だったと正直に言えます。」
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2006年01月01日 | カテゴリー: エフェソの信徒への手紙 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 詩篇